売春地帯をさまよい歩いた日々:カンボジア編

売春地帯をさまよい歩いた日々:カンボジア編
ブラックアジア・カンボジア編
カンボジア絡みつくような熱帯の空気、豊饒な土の匂い、スコールの後の揺らめく水蒸気、ほのかな風に揺れるヤシの葉、匂い立つマンゴーの実、そして寝苦しい夜に心まで熱くしてくれる夜の女たち……。誘蛾灯に誘われる虫のように、彼女たちの誘惑に魂を奪われ、ひとときの快楽に溺れてゆく。熱帯の国で、女たちとたわむれる。売春婦と呼ばれ、社会から蔑まれながらも必死で生きている女たちが、通りすがりの男に笑みを浮かべる。金銭を払うと女は裸になる。横たわるベッドは汗と精液と愛液が染みついている。部屋は監獄のように殺風景で...
カンボジア編カンボジアの首都プノンペンの地図を見ると、この都市が区画整理によって計画的に作られたことがよく分かる。道はだいたいが碁盤目のようになっている。また、主要な道路は人名か番号表示になっているので分かりやすい。このプノンペン北に「売春ストリート」と呼ばれる通りが存在した。それが、70ストリートである。1990年代後半、ここは東南アジアの売春地帯でもっとも凄まじい場所だった。一本のでこぼこだらけの道が2キロに渡って東西に伸びているのだが、この両側に建ち並ぶバラックのほとんどすべてが置屋だったの...
カンボジア編70ストリートで、数え切れないほどの女を抱いた。強く印象に残っている女もいれば、もう忘れかけている女もいる。70ストリートで一番印象に残った女は誰だろうと、ときどき考える。そうすると、ひとりの天真爛漫な娘が脳裏に浮かんでくる。この砂塵の舞うストリートを入って中ほど、南側の並びのひとつの建物で、ひとりのクメール(カンボジア)娘をホテルに連れて帰った。彼女は自分のことを「マリー」と言った。マリーというのはフランス女性の名前で、そう言えばかつてカンボジアはフランスの植民地だった。しかし、ク...
カンボジア編昔、日本では売春宿の建物を「置屋(おきや)」と呼んでいた。現在では、もう置屋という言葉をあまり聞かなくなってしまったが、それは置屋の存在そのものが目につかなくなってしまったからである。しかし、まだ経済が発展途上にある国では置屋が健在だ。タイでは地方に行けばソンと呼ばれる置屋が必ずある。フィリピンでもカーサと呼ばれる置屋が溢れているし、インドネシアもインドも置屋があちこちに点在している。クリーンな国で知られているシンガポールでも、ゲイラン地区に行けば置屋が密集しているのである。カン...
カンボジア編カンボジアの首都プノンペンにはあちこちに置屋が点在している。隆盛を誇った70ストリートが徐々に縮小するのと対照的に、市内の置屋は数も勢力も増しているようだ。勢い、夜になったら男たちは市内の置屋をふらふらと夢遊病者のように巡ることになる。プノンペンの夜は人の姿が極端に減る。治安は悪く、銃を持った強盗が横行するので、人々は巻き添えを恐れて家から出てこない。隣国タイでは夜中になっても子供たちが外で遊んでいるが、プノンペンの夜は救いようのない暗さに沈んでいるのだった。昼間はあれほど喧噪に溢...
カンボジア編カンボジアの売春地帯にはベトナム女性が入り込んでいる。カンボジアで売春地帯をさまようといえば、必ずしもクメール(カンボジア)に出会うということにはならない。むしろ、ベトナム女性に出会うことが多い。70ストリートでも多数のベトナムから来た女性が売春業に携わっていた。主流になっている首都プノンペンの売春地帯と言えば63ストリートだが、ここでも多数の女性がベトナムから来ていた。はじめてカンボジアで親しくなった女性もベトナム国籍だったし、カンボジアで親しくなった女性たちの比率で言えば半分以上...
カンボジア編彼女と出会ったのはスワイパーと呼ばれる売春村だった。黒一色の服に身を包んだ彼女を一目で気に入った。まだほんの小娘だというのに、彼女はひどく陰のある瞳をしていた。黒目がちの瞳がじっと相手を見つめる。そして、ほんのりとほほえむその姿は他の娘たちの力任せの誘惑とはひと味違った魅力があった。しかし彼女はほほえんでいたが、何か哀しみを抑えているように思えた。実際、彼女は哀しいことがあるようで、ずっとそれを胸に秘めながら男たちと接していたようだ。抑えた感情、ささやくように話す力ない言葉、伏し...
カンボジア編プノンペンから延々と11キロ、国道5号線をウドン方面に北上する。ムスリム(イスラム教徒)の寺院を左手に、クメール人の高床式の粗末な家を右手に見ながら、さらに奥へ奥へと突き進んで行くと、今はもう古びて色あせてしまった「コンドームを使いましょう」という看板が見える。それを左折すると、そこは「スワイパー」と呼ばれる村である。ここは「不浄の聖地」だ。地獄に堕ちるのは避けられそうにないほど多くの姦淫をしてきた男どもが、最後に集う場所だ。正式にはスヴァイ・パッ(svay pak)だろうか。ちなみに、カ...
カンボジア編70ストリートのボンコック湖側のクメール置屋のひとつに、美しいクメール娘がいた。ここ最近はすっかり大人びてきて、その美しさには磨きがかかった。クメール女性が身につける独特のサンポッド(スカート)をつけ、長い髪をうしろで束ねたその姿は、他の女性たちを圧倒する美しさだった。70ストリートにいる娘たちの中で突出した美しさのように思えた。ところが、自分の好みと他の男たちの好みとはなぜか合致しない。近くの茶屋でのんびり水でも飲みながら見ていると、みんな彼女の前を素通りしてベトナム置屋の方に流れ...
カンボジア編夜、プノンペンの独立記念塔を川沿いに向かっていくと、明るくショーアップされた観覧車やメリーゴーランドが目に入る。その遊園地の手前を右に入ると、そこはブディン地区になる。川沿いには不法居住者が住まうスラム街が広がっているが、ソティオロス通りの一帯は置屋が並んでいた。賑やかな遊園地のところが光だとすると、こちらは影の部分だ。明日の見えない生活に困窮した男たち、女目当てにライフルを持ったままやって来る兵士、売春宿の主人にたかりに来る警察官、そして妖しい魅力を全開にした女たちが混沌とした...
カンボジア編熱帯地方のスコールは、思い切り激しく降ってから晴れるというのが一般的だ。しかし、プノンペンの8月や9月をそう思って行くと、いつまでもやまない雨にイライラすることになる。もちろん激しく降ってさっとやむスコールもあるが、日本の梅雨のような鬱陶しい雨も多い。これは異常気象というわけではなく、どうやらそういうものらしい。長い雨が続くと、とたんにメコン川などが氾濫してコンポンチャムやプノンペンでは例年のごとく洪水騒ぎになる。63ストリートもドロドロになってとても置屋どころではない。70ストリー...
カンボジア編セックスに言葉は要らない。交渉も指で数字を差し示したら、大抵は通じてしまう。どこの国でもそうだ。そして、どこを巡っても、特に現地の言葉を真剣に覚える必要はさらさらない。そのほとんどは少々の英語のみで場を乗り切ることができている。言葉など道具のひとつにしか過ぎないから、適当に使えればいいだけで、必要な言葉は自然に覚えるし、それ以上のものは現地に根を貼りたい人間だけが覚えればいい。夜の世界では特にそうだ。最初から交渉すべき内容が決まっているからカタコトでも事足りるという事情がある。ナ...
フィリピン・マニラ北部に「ここはフィリピンの恥部だ」と同国の大統領に言わしめた不浄の大地がある。インドのカルカッタと並んで東洋最大のスラムと言われ、地図にも載っていない暗黒地帯だ。3,000家族、約21,000人が集まり、山の斜面一面に大量のゴミが不法投棄され、いつしか人々には「スモーキー・マウンテン」と呼ばれるようになった。スモーキー・マウンテンの映像を見たことがある。大量のゴミが不法投棄され、自然発火して白い煙を上げる中、小さな子供たちが大人に混じって黙々とゴミを拾い分別する。唇を堅く結び、無表情で...
カンボジア編真夜中のプノンペン。売春地帯63ストリートを外れてふらふらと闇夜の中を歩いていると、薄暗がりからひとりの男がゆっくりとやってきて腕をつかんできた。振り返ると、男は無表情なまま"Bombom?"(セックスか?)と聞いてくる。 返事しないで男の背後の置屋を眺めた。黒いフィルターを貼ったガラス戸が入口になっている。このあたりでは有名な「來來」などと同じような店構えだ。男はにこりともせず、ただじっとこちらを凝視していた。好奇心に駆られて男にうなずいて見せると、ガラス戸を開けた男に中に押し込...
カンボジア編プノンペンの高級ホテル、インターコンチネンタル・ホテルの裏に「マティーニ」という1992年に設立されたディスコ・パブがある。ガンジャの紫煙が漂う小さなディスコで、一癖ありそうな白人や、なぜかアジアでは居心地悪そうな黒人たちが夜の9時前後になると集っている。安物のテレビゲームには安物の女がゲームに高じ、疲れたような中国人が色の薄いプロジェクターに映された香港映画に目を泳がせて身動きもせずにじっとしているような、そういう場になっている。純粋なディスコを踊りに行くつもりで足を運ぶと、そのあ...
カンボジア編シアヌークヴィルのプントッマイで、ひとりの陽気な娘と会った。若々しく弾けるような肌に、顔中が口になってしまいそうな大きなビッグ・スマイル、そして猫の目の色のようにころころと変わる表情としぐさが忘れられない。彼女の名はサイバーンと言った。夜中10時過ぎ、ピンクの街灯が灯った売春ストリートを、いつものように、ふらふらと歩いていた。置屋の前を歩くたびに女性たちが喚声を上げて声をかけてくる。腕を取って抱きついてくる積極的な娘さえ珍しくはない。ひとりの女性に捕まって置屋に引きずり込まれるとた...
カンボジア編アジアをさまよって売春をする女たちと刹那的に一緒にいても、通り一遍では彼女たちの心の中を知ることは難しい。社会的な環境も違い、文化・世代・言語さえも違う。自分と一緒にいる娘たちの心の中に何が渦巻いているのか、その正確なところは男たちには永遠に分からないものなのだろう。プノンペンに降り立ち、70ストリートで女性たちとたわむれる。熱帯の寝苦しい夜、ベッドの中で彼女がどんな生い立ちで、どのように堕ちたのか、たまに聞くことができる。ひとつの枕を分かち合いながら、彼女たちはいろんなことを話し...
UNTAC(カンボジア暫定統治機構)時代、外国からやって来た国連軍兵士たちの日給は130ドルだった。命を張って戦って1日に1万6,000円。これが高いか安いかは人によって判断の分かれるところだ。ではUNTAC時代のカンボジア警察官の日給はいくらだったのだろうか。カンボジア警察は月給制なので25日勤務だとして当時の月給9ドルを割ってみる。すると一日わずか44円という数字が出てくる。同じような仕事をして、片方は一日1万6,000円、片方は44円である。これは誰が見ても安すぎると分かる。しかもカンボジア政府の台所事情は逼迫して...
カンボジア編「売春婦」と呼び捨てられる女性は、どこの国でも孤立無援だ。世界中のほとんどの国が父系社会であることに根本的な理由がある。父系社会とは、男が社会の中心にいて、血統は男性側の家系図が書かれる社会のことを指している。世界中のほとんどは父系社会だ。大抵、どこの国の歴史を紐解いても、女性の家系図はほとんど見あたらず、女性は男性の付属品扱いのようになっている。それが当たり前だと思うのは、どっぷりと父系社会に浸っているからこそ出てくる。本来は女性の家系が重要な母系社会があってもいいはずだが、そ...
ベトナム語で「マイ」は「梅」という意味になる。ベトナム人の女の子でマイという名前をつけられる娘は多いようで、ベトナム社会に関われば、あちこちで「マイ」と知り合うはずだ。印象深かったマイは2000年当時スワイパーの15番館に在籍していた娘だ。彼女の優しさが好きだった。マイと知り合ったのがいつだったのか、あまり覚えていない。最初はスワイパーの多くの女性に混じっていて目にとまらなかったからだ。いつの間にか知り合いになり、そのうちに他の娘たちを差し置いて話すようになった。彼女をその他大勢から認識できるよう...
カンボジア編夜、プノンペンの独立記念塔を川沿いに向かっていくと、明るくショーアップされた観覧車やメリーゴーランドが目に入る。その遊園地の手前を右に入ると、そこはブディン地区になる。川沿いには不法居住者が住まうスラム街が広がっているが、ソティオロス通りの一帯は置屋が並んでいた。賑やかな遊園地のところが光だとすると、こちらは影の部分だ。明日の見えない生活に困窮した男たち、女目当てにライフルを持ったままやって来る兵士、売春宿の主人にたかりに来る警察官、そして妖しい魅力を全開にした女たちが混沌とした...
カンボジア編シアヌークヴィルのプントッマイには「BIBA(ビバ)」というディスコがある。ディスコと呼ぶにはいささか気恥ずかしいこぢんまりとしたところで、入口の手前はテーブル、奥がステージになっている。空いているテーブルに案内されて席に着くと、一斉にビールガールが自分の所属する会社のビールを飲んでもらおうと売り込み攻勢してくる。適当に選んでビールを飲んでいると、音楽が変わってみんな輪になって踊るカンボジア独特のものに変わった。音楽も民謡のようなものになり、踊りも日本の盆踊りを思わせるようなもの...
カンボジア編カンボジアで海を臨むことができる唯一の場所はコンポンソムだ。別名はシアヌークヴィルという。ヴィルというのはフランス語の村(ヴィル)を指している。かつて、ここにはシアヌークの別荘があったので、そういう名前になったらしい。ポル・ポト政権時代には地名が旧名のソム港(コンポンソム)と変えられたが、ポル・ポト政権が瓦解してから再びシアヌークヴィルに戻された。現在ではシアヌークヴィルの方が通りがいい。シアヌークヴィルはプノンペンから南東へ300キロの地点にある。プサートメイ(中央市場)から出てい...
カンボジアにいたとき、売春宿に泊まり込むことも多かった。シングルベッドに四人の娘が固まって寝るので、残りの娘と一緒に床に転がって眠ったこともある。朝を迎えた時、娘は目が覚めてすぐに歩き回っていたが、私は肩も背中も硬直してしばらく身体が動かすことすらできなかった。マットレスや布団の上で寝るということがどれだけ贅沢なことなのかを先進国から来た人間が知る瞬間だ。床は板を張り合わせただけだから板と板の境目が微妙に開いており、床下の土が見える。カンボジアの田舎の住居は、大抵は高床式になっているから、朝...
カンボジア編カンボジアの国王はノロドム・シアヌークである。彼はかつて絶対的な主権を握り、王宮で優雅な生活に明け暮れていた。その王宮ではカンボジアの恵みを讃えるためのダンスを国王に見せるために選りすぐりの美しい娘たちが寝泊まりし、練習に明け暮れていた。そのダンスと言うのが、クメール・ダンスである。ゆったりとした音楽に合わせて女性らしい優雅な動きでアプサラ(天女)が舞う姿は素晴らしい。誰もが、反り返った指に神秘的なものを感じるはずだ。若かりしシアヌーク国王のプレイボーイぶりは現在でも語り継がれて...
カンボジア編カラカラに乾燥したカンボジアの大地を、ふらふらとさまよう。カンボジアに着いて2日目の昼下がりだった。熱射病で倒れそうになるくらいの強烈な太陽が降り注いでいた。向かう先は決まっていた。紅土の粉塵が舞い上がる70ストリートである。いつもはモニウォン通りを北上して芸術大学から入るのだが、この日は毛沢東通りにいた関係上、逆側から入ることになった。道路のほとんどをアスファルトで固めてしまったタイとは違い、カンボジアはいまだ舗装されていない道路が首都に残る。一日歩けば着ているものが土埃で茶色に...
カンボジア編カンボジアには雨期と乾期がある。二月は乾期だ。ちょうど涼季から暑季に切り替わり、身が焦がれるような灼熱の太陽が大地を照らす。カンボジアの大地を覆っている紅土は、猛スピードを上げて突っ走る車やモトバイクに煽られて舞い散り、白い服はすぐに茶色く染まってしまう。道路わきに生える草木は茶色の粉塵が積もって、その重みで葉は垂れ下がっている。ほとんどの葉が紅土の茶に塗りつぶされているので、一見すると有毒ガスか何かで枯れてしまったかのようだ。モンシロチョウやモンキチョウが蓮畑の上を舞っているの...
『ブラックアジア 売春地帯をさまよい歩いた日々』タイ編、カンボジア編、インドネシア編、インド・バングラデシュ編、フィリピン編。

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