シアヌークの粘り強い対フランス交渉によって、カンボジアは外交主権承認を得た。その後1954年7月21日のジュネーブ協定成立にて、カンボジアはフランスから完全独立を果たした。
このとき、シアヌークが利用したのはカンボジアにも共産主義者が台頭しているという状況だった。シアヌークが執拗に左派の台頭をフランスに訴えたのには理由があった。
フランスが隣国ベトナムのゲリラ戦で根も精も尽き果てていくのを見ていたからである。
このとき、フランスはベトナムのホー・チ・ミンが率いるベトナムの共産主義者に振り回され続けて疲弊していた。
だからカンボジアまでもが赤化した暁には、フランスの東南アジア支配は収拾がつかなくなってしまう。フランスがそれを恐れているのをシアヌークは知っていた。
だから、シアヌークはそのフランスの置かれた苦境と弱みを徹底的に利用して立ち回っていた。
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