1975年に政権を取って自国民を大量虐殺し、1979年に政権が倒れた後にもカンボジアの密林の中からその後の政治に多大な影響を与え続けたポルポト派とはいったい何者なのだろうか。
ポルポト派は共産主義を標榜し、中国の文化革命をさらに先鋭化させた政策をカンボジアで行った集団であると考えれば分かりやすい。
シハヌーク国王は彼らのことをクメール・ルージュと言った。ルージュは赤色、クメールはカンボジア人のことを指す。つまり赤色のカンボジア人である。赤色は言うまでもなく共産主義のカラーだ。
しかし、クメール・ルージュは他国の共産主義とは違い、かなり先鋭化した集団としてカンボジアに君臨した。
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