1912年と言えば、アメリカではまだピューリタン的な道徳が色濃く残っており、女性は明確に2つの種類に分類されていた。「淑女」と「娼婦」である。
この2者はまったく相容れず、同じ女性であっても扱いはまったく違った。
淑女(レディー)は正式な紹介もなく男性と話をするのは下品であると教育され、マナーも言葉遣いも厳しくしつけられたが、その代わりに家庭の中でとても大切に育てられた。
しかし、娼婦に堕ちた女性は、社会から差別的な目で見られて爪弾きされていた。
しかし、彼女たちは酒もタバコも踊りも何でも許され、酒場で酔いつぶれる男にはなくてはならない存在だった。
当時のアメリカではどこの町でも酒場(バー)があって、そのバーには娼婦がついていて、二階は売春部屋になっていていつでも娼婦を連れて上がることができた。また、酒場(バー)とは別に、専門の娼館(ランチ)もあった。
この時代の最大の売春地帯はどこだったのだろうか?