日本がまだ貧しかった明治・大正・昭和初期にかけて、「からゆきさん」という海外出稼ぎに向かう女性たちがいた。これについては、ブラックアジアでも取り上げた。以下のものだ。
■ からゆきさん
(1)シンガポール史の裏面に、明治の女性の影
(2)日本人墓地に記されたからゆきさんのこと
(3)セックスに対する爆発的な需要があった
(4)二木多賀次郎と、村岡伊平治について
(5)400年の歴史を持つ傾城局はやがて国辱に
1980年代後半から、日本には「じゃぱゆきさん」と呼ばれる外国人女性たちがやって来たことがあった。この「じゃぱゆきさん」は「からゆきさん」の対比としてそのように呼ばれ、そして日本に定着していった。
1990年代、日本のアンダーグラウンドで「じゃぱゆきさん」を見ない日はなかったと言ってもいい。歓楽街、ストリップ小屋、温泉街、ちょんの間、スナック……。ありとあらゆる場所に彼女たちは浸透していた。
そして、もちろんストリートにも立っていた。その中で、新大久保は特異な場所であったと言える。1990年代始め頃の新大久保を私は今でも忘れられない。売春地帯としての、当時の新大久保はすごいものがあった。