◆津波で死んでいった人たちの、凄惨な地獄絵図に思うこと

◆津波で死んでいった人たちの、凄惨な地獄絵図に思うこと

閲覧注意
あれからもう11年前になるのか……。スマトラ沖大地震が起きたのは2004年12月26日のことだが、まるで昨日のことのように思い出すことができる。

マグニチュード9.1、死者約22万人。

地震直後はカンボジアにいたのだが、その後バンコクに戻ってからホテルの部屋でいつもはほとんど見ないテレビをずっと見つめてこの凄まじい災害の現場を見つめていた。

インドネシア、タイ、スリランカ……。私の馴染みの国々がことごとく被害に遭っていたのだが、それは逆に言えば私が巻き込まれていてもおかしくなかったということでもある。

このとき、私はカンボジアにいたが、カンボジアに入る前はシンガポールにいた。

カンボジアではなく、スマトラ島に行くという選択もあったわけで、スマトラのアチェにでもふらりと行っていたら生きていなかったはずだ。

現場では、見渡す限りの光景の中で、見るも無惨な地獄絵図が広がっていたが、その地獄の光景の一部として私の死体があったとしても不思議ではなかった。現場の地獄は、改めて見直してもその凄まじさが分かる。

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