◆プノンペンのスラム建築は、そろそろ見納めになるのか?

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カンボジアは1950年代は「東洋の真珠」として知られる豊穣でのどかな国だった。

しかし、徐々に隣国のベトナム戦争に巻き込まれ、狂気の共産原理主義者「ポルポト政権」が樹立した1974年からは国土は「キリング・フィールド」と化して荒廃した。

プノンペンはこのポルポト政権時代は誰もいない無人都市と化して、いくつかの刑務所が政治犯を次々と処刑するだけの場所と化した。S21(トゥール・スレン)と呼ばれる場所は今は博物館として知られているが、10歳の子供でさえもここでは政治犯として処刑されていた。

ポルポトの暴虐政治が終わった1979年以降に地方に追い出されていった人々が戻ってきた。

その中で、すべてを失った人たちの一部はがら空きになった建物を勝手にねぐらにしてそこで暮らしはじめるのだが、その一部が「ビルディング」「モーディン」と呼ばれた地区だった。

この「ビルディング」は「ホワイト・タワー」と揶揄されながら残っている。貧困層とドラッグの売人とセックスワーカーとごく普通の人たちが暮らす高層スラムである。

実は、この高層スラムは私の馴染みの場所である。その理由は言うまでもない。

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