◆「穢れ」という概念を信じていた人が生き残った理由とは

◆「穢れ」という概念を信じていた人が生き残った理由とは

閲覧注意
この世には「穢れ」という概念がある。これは古代から現代まで世界中で続く概念だ。

「穢(けが)れ」と「汚(よご)れ」は似ているように見えて違う。「汚れ」というのは「人が嫌がるものにまみれ、清らかさを失う」という意味で使う。

「穢れ」というのは「清らかさを失う」という意味も含まれているのだが、概念的には「最も深い部分で完全に汚れてしまい、二度と清らかになれない」というような哀しい意味が込められている。

自分が他人から「汚れている」と指を指されたのであれば、シャワーでも浴びて清潔な服を着れば回復できる。

しかし、「穢れている」と指を指されたら、シャワーを浴びようが相手よりも清潔な服を着ようがそれは回復できない。

「穢れている」とされたら、もはや清潔な存在になることは事実上、不可能になってしまうのである。自分の努力や気持ちや行動では何ともできないものが「穢れ」だ。

この「穢れ」の概念は、物や地域や動物を指して使うことも多いが、人間を指し示して言うこともある。「あの人は穢れた人だ」という言い方で使われる。

穢れたとされる人には、凄まじい災厄が待っている。

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