精神医学者のヴィクトール・フランクルは、ユダヤ人だったので、アウシュビッツ含むユダヤ人強制収容所に送られ、そこで九死に一生を得ることになる。

生きるか死ぬかの極限状態の中で、氏は精神医学者らしく人間観察を怠らず、やがて人間には二つの「種族」しか存在しないということを学んだという。

それは「善良な人間」と「悪い人間」である。

地獄のような極限状態に置かれたとき、人間の本性は剥き出しになる。

その時、自分が生き延びるために他人を裏切り、虐待し、自分を優先し、強い者に媚び、弱い者に残虐な仕打ちをする人間が囚人側にも生まれた。

逆に囚人の置かれた状況に涙し、囚人をかばい、食料をさりげなく渡し、自らの給料の中からこっそりと治療薬を与えるような善良な看守も存在した。

どちらの集団にも「善良な人」と「悪い人」が混在しており、両者は切り離せないままどちらにも混じって生きているというのがヴィクトール・フランクルが死の淵で学んだシンプルな事実だった。


利己主義者は、他人と協力することができない


極限状態になっても、他人をいたわる気持ち、他人に同情し助けてあげようと思う気持ちを持つ「善良な人間」がいる。

彼らは極限状態の中で、自分のことしか考えない利己主義に特化した人間に踏みにじられて死んでいくだけだったのかと言えばそうでもない。

極限状態で生き残れるかどうかは体力や運も大きく左右するのだが、善良であったことによって助かることもある。まわりに助けられるのである。

逆に極限まで自分を最優先して他人を踏みにじっても生き残ろうと決意している悪い人間は、善良な人間を裏切りながら生き残ったのかと言えばそうでもない。

その利己主義ゆえに死んでいった人間も多くいた。自分優先の利己主義が常に機能するとは限らないのである。利己主義が、むしろ何も得られない結果を生み出すこともあるからだ。

これはいったいどういうことなのか。

いくつかの理由があるのだが、最も大きな理由は「利己主義者は他人と協力することができない」という問題を抱えているからである。

利己主義者は、なぜ他人と協力することができないのか。それは、すべてにおいて自分を優先し、他人をワナにはめ、他人を裏切るからだ。

利己主義者は「一緒に井戸を掘って、水が出たら自分がそれを独占して他人に分け与えない」という性質がある。そのため、集団の中で何度かそうした利己主義的行為が繰り返されると、誰もこの利己主義者を相手にしなくなる。

自分の権利ばかりを主張して他人のことは一切配慮しない行為は、他人に信頼されないばかりか、他人から排除されてしまうのである。

利己主義者は自分を優先するがゆえに他人から排除されるようになり、最後には何も手に入らなくなってしまうのだ。利己主義は結局、他人から爪弾きされて損をする。

極端な利己主義者であればあるほど自滅は早い。

「自分のことしか考えていない」のは必ず発覚する


巧妙な利己主義者は、自分が利己主義者であることを隠して裏で自分の利益になるように画策する。しかし、こうした利己主義者の裏切りは、最後にすべてが利己主義者の利益になることによって発覚する。

まわりを騙し、踏みにじり、結局は自分の利益のためにやっていたことがバレるので、その時点で相手にされなくなる。

寄付金詐欺は利己主義者が好む手口だ。

他人の不幸のために尽力しているという「良い人」を演じて金を集めながら、金が集まったらその金を自分の欲望を満たすために使いまくったり、姿をくらましたりする。

「貧しい人たちに寄付を」と言いながら、自分は金ぴかの豪華絢爛な屋敷で暮らし、それを見せびらかしているような奇妙な人間もいる。

もちろん、人々の善意で金を集めて自分の私腹を肥やしているようなことをしていたら、最終的にはそうした「裏の顔」は遅かれ早かれ何らかの方法でバレる。

自ら漏らさなくても、裏切られたと思った身近な人間が義憤に駆られて暴露することもある。あるいは「自分にも分け前をよこせ」という話になって内紛が勃発して裏事情が丸見えになることもある。

利己主義者は取り繕うのもうまいのだが、そうやって何度も取り繕っても、結局は最後には「自分のことしか考えていない」というのが発覚して見捨てられていくことになる。誰にも相手にされなくなるのだ。

その時点で、自分優先の利己主義は破綻する。社会や集団から見捨てられたら、その後は「何も得られない」という結果になっていくのである。

利己主義者からはまともな人間が去っていき、同類が集まってくるのだが、こうした利己主義者の集団が全員が他人を裏切る素養を持っているので、裏切りと謀略が渦巻く集団と化して、遅かれ早かれ自滅していくことになる。

人間には二つの「種族」が存在するという現実認識


自分優先の利己主義が、結局は最後に「何も得られない結果」を生み出す理由は、助け合うことができず、集団から見捨てられ、排除されるべき存在と化すからだ。

全員が利己主義になると、社会秩序は荒廃し、誰も住めない大地と化す。

それは、『孫子の兵法』みたいな騙し合いの思想を崇めている中国が荒廃した拝金主義と利己主義の大地になって、結局は人間の住む場所ではなくなってしまったのを見ても分かる。

ヴィクトール・フランクルの言うところの「善良な人間」と「悪い人間」があるのなら、「善良な人間」であろうとした方が良い結果をもたらすのは言うまでもない。

道徳的に良いのではなく、合理的に考えて「善良な人間」であった方が結果的には良いのである。

自分がビジネスをするのに、利己主義者と組んで良い結果が生み出せるだろうか。あるいは、自分の人生のパートナーや友人となるべき人を選ぶのに、利己主義者を選んで良い関係を築けると思うだろうか。

自分の仕事の関係者が頭のキレる利己主義者だった場合、その頭脳と行動力が全力で自分を裏切ってくるだろう。

あるいは、自分のプライベートの人間関係に利己主義者がいた場合、自分の何もかもが相手に吸い取られ、何もなくなったら見捨てられてしまうだろう。

そのため、付き合う相手を選ぶというのは、人間が社会で生きていく上で非常に重要な素養であると言える。

特に人間関係の失敗が自分の生死に関わるのは、アンダーグラウンドの世界に生きる人たちだ。そこには究極の利己主義者と利己主義集団が渦巻いているので、付き合う人間を読み切れないと一気に地獄に突き落とされる。

悪い人間関係が元で破滅していた人たちを、誰もが思い浮かべることができるはずだ。

人間には二つの「種族」が存在するというアウシュビッツの生き残りであるヴィクトール・フランクルの現実認識は、生き抜くためにまずは知るべき基本でもある。





アウシュビッツ。地獄のような極限状態に置かれたとき、人間の本性は剥き出しになる。このような極限の世界でも「善良な人」は他人に思いやりといたわりを示したという。



〓 関連記事