国連事務総長、潘基文は2016年12月19日、「南スーダンでジェノサイド(民族大量虐殺)が始まる可能性がある」と分析し、「対策を取る必要がある」と訴えた。

南スーダンは2013年からキール大統領と副大統領が政治的に対立して、互いに支持者を煽り立てて相手側を殺戮するように煽り立て、激しい内戦が勃発して現在に至っている。

副大統領側はこれによって明確な「反政府組織」と化して、他の反政府組織と連携し、政府側を指示する軍隊や村に襲いかかって「皆殺し」をしている。

他の多くのアフリカ諸国と同じように、南スーダンも国家よりも部族に帰属する人々が多く、国内は群雄割拠と化して互いに勢力争いに明け暮れるばかりの国と化した。

すべての部族、すべての村人が互いによそ者を信用しなくなり、対立、衝突、殺し合いという最悪の事態を招いている。

「まったく何もしない、何もできない、どこにいるのか分からない」と言われる潘基文は、こうした状況を国際世論に訴えて和平に尽力するという行動力を欠いていたので、南スーダンの暴力はエスカレートしていく一方である。

そして、潘基文は他人事のように言っているが、いよいよ南スーダンではジェノサイド(民族大量虐殺)が始まる一歩手前まで来ているのだった。


宗教対立は、いったん対立が始まると止まらない


南スーダンという国は、2011年7月9日に誕生した。アフリカ大陸の54番目の国家である。首都はジュバ。人口は826万人。宗教はキリスト教とアニミズムである。

この国が世界で注目されていた理由は、「新しく希望のある国家」だからではない。「石油が出る国家」だからである。現在、アフリカ6位の石油国家となっている。

ところで、「資源のあるアフリカの国は血みどろの国家になる」というジンクスがある。南スーダンも、そのジンクスから逃れられなかった。

南スーダンは、北部に位置するスーダンから独立した。このスーダンはイスラム原理主義国家であり、史上最悪の人道危機と言われたダルフール紛争が引き起こされた場所でもある。

スーダン自身は1956年に独立国家となったが、アラブ系のイスラム教徒と非イスラム教徒の対立が独立当初から先鋭化していて、1972年にはスーダン政府は南部の自治権を認めている。

しかし、1983年には北部政権がイスラム法を導入して南部側に強要したことから激しい反発が起きて、この年から南北戦争に突入することになった。

北部イスラム教徒と南部キリスト教徒の対立はまったく解消しないまま推移して、これが固定された民族対立・宗教対立となり、2003年に起きた大虐殺がダルフール紛争である。

宗教対立は、いったん対立が始まると止まらない。

信じるものが違うので、対立が高じると相手を大虐殺するような結果に行きつくことが多い。特に、イスラム教徒とキリスト教徒の対立は往々にしてそうなっていく。

そして、この対立は長引いて禍根を残す。

これは、どちらも相手を殲滅する力がないので拮抗したまま時間だけが流れているからだ。この時間の中で憎悪は増幅され、さらに修復不可能な感情へとつながっていく。




宗教対立は、いったん対立が始まると止まらない。信じるものが違うので、対立が高じると相手を大虐殺するような結果に行きつくことが多い。特に、イスラム教徒とキリスト教徒の対立は往々にしてそうなっていく

ダルフールで起きている大量殺戮には無関心だった


ダルフール紛争は明確に北部イスラム教徒が南部キリスト教徒たちを殲滅させようとして開始されたものである。殺戮については容赦がなかった。

ひとつの国家で国民が累計で200万人以上も殺されるような紛争は尋常ではない。しかし、こうした数百万人が殺される凄まじい暴力事件は人間の歴史の中ではしばしば引き起こされる。

アジア最大のジェノサイド(民族大虐殺)は、カンボジアのポル・ポト政権のものだ。

国を一切遮断したのちに行われた虐殺は完全に秘されていて、4年後に政権が崩壊したとき、カンボジアの大地は白骨でいっぱいになっていた。

その同じスケールでアフリカのダルフールで虐殺が起きていたのである。殺害が加速していたのが2003年から2005年の間で、この期間だけで30万人とも40万人とも言われる人々が皆殺しに遭っていた。

ちょうどアメリカはイラク戦争を開始していて、世界の目はすべて中東に向いており、ダルフールで起きていることは誰も見向きもしなかった。

この間に、ジャンジャウィードと呼ばれるスーダン政府に支援された民兵が片っ端から村を襲撃して火をつけ、女たちをレイプし、殺して回ったのである。

南スーダンの独立の住民投票についてはこのダルフール紛争が終わった2005年頃から本格的に話が決まり始めて、同じ年には南部自治政府の2代目大統領にキール氏が就任している。

独立の布石が打たれてから実際に住民投票が行われるのに6年かかったが、やっと2011年1月に住民投票が滞りなく行われ、99%の独立支持で南部独立が決定した。

そして2011年7月9日、ついに南スーダンという新しい国ができたのだった。

しかし、この独立の歓喜は長続きしなかった。2013年に入ると大統領と副大統領が対立して、現在に至る血なまぐさい対立の元凶となっただけだった。



ダルフール紛争は明確に北部イスラム教徒が南部キリスト教徒たちを殲滅させようとして開始されたものである。殺戮については容赦がなかった。

国連の目の前で大虐殺が起きる可能性が高まった


現在の南スーダンは自国内の内戦で崩壊状態にある。しかし、問題はこの内戦が片付いてもそれで平和になるわけではないということだ。

なぜなら、スーダンとの南北対立はまだ完全に解消されていないうえに、アビエイ地区の油田地帯は、双方が領有権を争っている状態にあるからだ。

内戦は容易に終わらないが、仮にそれが終わっても、すぐにスーダンと油田を巡る土地問題・経済対立も加わるわけで、南スーダンの存続は風前の灯火だ。

石油を巡る争いは、「金の卵」を得るための戦いでもある。それを得た方が「働かないで贅沢三昧できる」ので、欲にまみれた人間は絶対にそれをあきらめない。

また、国境地帯である南コルドファンだが、こちらはスーダン側に編入されているが、実は住民たちのほとんどは南スーダン側に立って戦っていた。

これは印パのカシミール紛争とまったく同じ構図で、もっとも危険な国境紛争となり得る。

事実、南スーダンの独立が決まってから、真っ先に紛争が起きているのは南コルドファンだった。南スーダンはこの地区の住民を公然と支援しており、スーダン政府に反旗を翻すように工作していると言われている。

これに対してスーダン側は2005年の合意違反であると激しく批判、軍隊を送り出して戦闘になっている。独立して1ヶ月も経っていないのに、南スーダンはすぐに崩壊の兆しが出ていたのである。

南スーダンの独立は、さらなる暴力のはじまりでしか過ぎなかった。南スーダンはどのみち、暴力に包まれていくというのは2011年から分かっていた。

しかし、国連は無為無策でまったく何もてを打たず、今頃になって「ジェノサイドが起きるかもしれない」と間抜けなことを言っている。

今となってはアメリカも内向きになり、EUも自国内の移民・難民で身動きできなくなっている。手を施すにはあまりにも遅すぎた。今後、近いうちに国連の目の前で大虐殺が起きる可能性が高まった。




ダルフール紛争は無関心の中で起きた大虐殺だった。今となってはアメリカも内向きになり、EUも自国内の移民・難民で身動きできなくなっている。手を施すにはあまりにも遅すぎた。今後、近いうちに国連の目の前で大虐殺が起きる可能性が高まった。



〓 関連記事