多くの人は「今の生活」を持っており、日々を食べていくためにその生活を続けざるを得ない。そのため、無意識にある防衛本能が心理的に働くようになる。

その防衛本能とは「本当にやりたいことを忘れる」というものだ。たとえば、サラリーマンは時間的に拘束された生活を一生続けることになるので、半年や1年の旅行に出るというのは夢のまた夢だ。

そのため、サラリーマンになるまでは旅行が好きで仕方がなかった人も、「長期で旅行に行く」というささやかな夢を捨て去るしかない。

そうすると、やがて「旅行に行く」という本当の自分の「やりたいこと」が意識にのぼらなくなり、やがて脳裏から消えていくことになる。そして、いつしかそれは「忘れる」のだ。

サラリーマンという仕事を持ち、妻子をあり、車や家のローンを組ながら生きるようになると、「長期の旅行に行く」という夢はよほどのことでもない限り実現することは難しい。

しかし、日本人の8割はサラリーマンか、サラリーマン志向である。組織に縛られ、家庭に縛られているのだから、「長期旅行に行く」というのは今の生活を破壊する危険な夢になってしまう。

だから人は、無意識に「それを忘れる」のだ。


自分が何が好きだったのかすらも忘れてしまう


本当は歓楽街で知らない女たちとセックスまみれになりたいと思う男であっても、妻や子供がいたらそんな「夢」は絶対に忘れなければならない。それは危険な夢だ。今持っているものを失ってしまう。

あるいは、本当は自分の趣味を突き詰めて生きたいと思っても、今の生活を維持するため、しがらみのため、老後のために、できないという人も珍しくも何ともない。

大半の人が、自分が本当にやりたいと思っていることを実現できないまま一生を終える。

好きなことをして生きていける人というのは恵まれた人であり、ほとんどの人は「好きなこと」や「やりたいこと」ができず、むしろそれを敢えて忘れるようにして生きる。

そして、どうなるのか。自分が何が好きだったのかすらも忘れてしまい、記憶にのぼらなくなってしまうのだ。

自分の性癖や好みについて、あまり意識していないことを「突然、発見する」経験をすることがたまにないだろうか。たとえば、ある日何かの拍子にこのようにふと思ったことはないだろうか。

「自分は、実はこんなことが好きだったのか?」
「自分は、実はこれが好きだったのか?」
「自分は、実はあの人が好きだったのか?」

自分が好きなことに気付かず、それを何かの拍子で「発見する」というのは奇妙なことのように思う人もいるかもしれない。しかし、それは決して奇妙なことではない。

今の生活を守るために、人は敢えて「好きなことを忘れる」という選択をしているからだ。それはあまりにも自然かつ無意識に行われるので、何かの拍子で本当に好きなことを発見するまで気付かなくなってしまうのだ。

生活を成り立たせるために、人はいろんな意味で「やりたいこと」を自制しており、そうやって今の生活を成り立たせながら生きているのだ。だから、人は自分のやりたいことが分からなくなってしまうのである。



生活を成り立たせるために、人はいろんな意味で「やりたいこと」を自制しており、そうやって今の生活を成り立たせながら生きているのだ。だから、人は自分のやりたいことが分からなくなってしまう。

人はいろんな社会的な制約にがんじがらめにされる


「自分が本当にやりたいこと」「自分が本当に好きなこと」をやり始めると今の生活が破綻するかもしれない。

あるいは「自分が本当に好きな人」と一緒になろうとしたら、社会的に制裁を食らうかもしれない。あるいは「自分が本当に好きな行為」を行ったら、社会に罰せられるかもしれない。

人はいろんな社会的な制約にがんじがらめにされており、「好きだから、やりたいから」と言って何でもできるわけではないのだ。

これらは、社会的な制約がかかるので自分を無意識に抑え、忘れ、自分で気がつかないフリをすると言われている。今の生活を守るために、そうせざるを得ないのだ。

たとえば、結婚している人が、実は深層心理の深いところで、本当は「別の人が好きだった」などと分かったらどうなるだろうか。

あるいは、「ずっと抑えてきたけれども、本当は自分は異性よりも同性が好きだったのだ」などと知ってしまったらどうなるのだろうか。

それこそ人生がひっくり返るような大問題になる。

だから、無意識が働いて、自分の心を自分で抑えて「封印」してしまう。それは潜在意識で行われて表に出てこないので、本当に自分で自分のことが気がつかない。

「もし自分が本当に配偶者以外の人が好きだったら家庭が壊れるから隠しておこう」と考えるのは意識だ。

そうではなくて、まったく自分では意識しない「自分の真の姿」を潜在意識が無意識下で隠してしまうのだ。

しかし、無意識とは言ってもそれは自分の心の中のものだから、かすかにそれに気がついていて、ある日何かの拍子に「あっ」と気がつく。

「本当の自分の姿は、こっちだった」と、自分の本音を自分で発見して驚くのである。



無意識が働いて、自分の心を自分で抑えて「封印」してしまう。それは潜在意識で行われて表に出てこないので、本当に自分で自分のことが気がつかない。

自分の深層心理を知るのは場合によっては危険なこと


こういった「突然、自分の真の姿が分かる」という衝撃は、潜在意識を知ろうと躍起になって心の中を探っているときには見えない。

しかし、何か別のことをしている無意識の中で、突如として湧き上がって怒濤のように見え始める。どういった精神状態のときにそうなるのか。

それは意識的にも無意識的にも「受け入れる体制」になっているときだ。受け入れるというのは、要するに「物事を静かに受け入れているとき」ということだ。

「批判しないで受け入れる」
「快く受け入れる」
「喜んで受け入れる」
「心から受け入れる」

他者に対してだけでなく、自分に対してもそのような寛容な気持ちになっているときに「隠していた自分も受け入れる体制」になる。

そこで初めて潜在意識が開いて「自分の本当の姿」が見えてくる。ヨガや瞑想は、「無想(何も思わない)」気持ちになることが重要であると言われているが、その理由は「受け入れる」ためである。

何を受け入れるのか。それは自分の深層心理である。

多くの人は自分の深層心理を知りたいと思うのだが、それを知るのは場合によっては危険を招くこともある。

それが今まで表層に上がらずに隠されていたのは、本当の自分の姿は、必ずしも自分の意に沿ったものではないからである。自分を知ってしまったら、今の人生が壊れるかもしれない。

今の人生を壊さないために、無意識が隠していたのだ。それを知るのは、実は恐ろしいことでもあるはずだ。

自分の深層心理から何が出てくるのか誰も分からない。それでも、あなたは自分の真の姿を見たいだろうか。自分が無意識に隠していたはずものを……。

それは、場合によっては大きな闇かもしれない。



自分の深層心理から何が出てくるのか誰も分からない。それでも、あなたは自分の真の姿を見たいだろうか。自分が無意識に隠していたはずものを……。



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