ブラックアジア - 注目のランダム・トピックス
◆イタリア国内で路上売春。ナイジェリア女性の劣悪な売春環境 ◆トレイシー・ローズが未成年だったのは見抜けなかった? ◆ドリー。「売春婦は出て行け」と叫ぶ人々の抗議デモの姿 ◆年間2万2000件ものレイプ事件が起きているインドの惨状
◆シンナーに覚醒剤。麻薬が蔓延するカンボジアに未来はあるか ◆映画『娼婦たち』より、夜の世界に生きる女の17の言葉 ◆痴漢・セクハラが蔓延する女性にとって危険な国とは? ◆売春女性への嫌悪が大量殺人に結びつく動きは止まらない

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2016-11-06

残虐なレイプ殺人で殺されたカンボジア女性の2つの事件

閲覧注意
カンボジアのシアヌークヴィルはとても素晴らしい場所だ。静かなビーチがあり、観光客が安心して泊まれる宿もある。島に行きたければ、ロン島という小さな島もある。

2015年の6月、ここをひとりで歩いていたという日本人女性が2人組の男にレイプされそうになった事件があった。幸いにして犯人は逮捕されて、盗まれた金も戻って来たのが不幸中の幸いだった。

カンボジアでは日常茶飯事でレイプ事件が起きているし、レイプされて殺される事件も普通にある。カンボジアは治安が良くなってはいるが、何をしても安全だというわけではない。

タイでもしばしばレイプ殺人事件が起きているが、そのタイよりも治安が悪いのだから、女性がレイプされて殺される事件がしばしば発生したとしても不思議ではない。

ロン島の日本人女性が「殺されないですんだ」というのは、想像以上に幸運なことだったのだ。

最近、カンボジアでは2つのレイプ殺人事件があった。現場は、ひどいものだった。

どちらも山中に放置されていたのだが、ひとつの方は殺されてから発見されたのが数日かかったので、死体は腐乱しつつあり、蠅がびっしりとたかっていた。あと数日遅ければ、蛆にまみれていただろう。そんな死体だった。



 


2016-10-30

処女取引。カンボジアには、まだスワイパーの呪いが残る

カンボジアはかつて少女が3ドルや4ドルで売春していた国だ。そのため、1990年代の後半から2003年頃まで世界中のペドフィリア(児童性愛者)が集まって、世界最悪の売春環境になっていた。

その中でも悪名高い売春地帯だったのがスワイパーである。

一部の男たちは10歳前後の少女すらも欲していた。そして、事もあろうにスワイパーの売春宿の経営者は、平然と少女を提供していた。尋常ではない暗黒がそこにあったのだ。

そのため、カンボジアは2001年から急速に全世界のNGO団体の重点監視国と化して、スワイパーだけでも4つほどの団体が出入りする男たちを監視していた。

そうした中で摘発が何度も行われるようになり、やがて2003年には大規模摘発で売春地帯スワイパーは壊滅した。

ところが2004年に私が本当に壊滅したのかどうか見に行くと、確かに表側では壊滅していたのだが、地下ではまだ「少女売り」のビジネスは継続していたのだった。

この闇の売春ビジネスはまだ続いているというのは、2016年10月27日に新聞社「南華早報」が報じている。



 


2016-09-14

共産主義の独裁者はインテリを憎んで無学な子供たちを好む

カンボジアで狂気のポル・ポト政権が成立したのは1975年4月17日のことだった。狂気の指導者であるポル・ポトが当初から敵視していたのは「インテリ層」だった。

ポル・ポト自身は教師出身のインテリなのだが、極端な共産主義に染まっていたポル・ポトは、新しい国「民主カンプチア」を設立するにあたって知識人は不要だと考えた。

ポル・ポトは自分が支配するカンボジアを「原始共産主義」の国にしようと考えていて、「国には指導者と農民がいれば、あとは必要ない」と割り切っていた。

そのため、まだ西洋思想や民主主義や資本主義のような「堕落した思想」を知らない子供たちを親から引き離し、原始共産主義の思想を洗脳し、邪悪な思想に染まった人間を殺すように命令した。

子供たちは忠実にそれを実行した。インテリを敵視し、医師や教師や経営などの職に就いていた人間はことごとく殺害していった。

国からインテリが一掃できればできるほど「民主カンプチア」は理想に近づくとポル・ポトは本気で考えていた。それほど、ポル・ポトは「物を知った人間」を嫌ったのだ。






2016-07-22

スワイパーでは今も貧困と共に少女売春が地下で生き残る

カンボジアにはかつて、「スワイパー」と呼ばれる売春地帯があった。(小説『スワイパー1999』と、その時代背景の解説について

2003年に完全に息の根を止められたとされるこの売春地帯だが、私が2004年に再訪すると、裏通りで馴染みの老婆がまだ非合法の売春ビジネスを細々と続けていた。

そして、静かにやってきたドイツ人がこうした闇ビジネスの顧客として関わっていた。あれから、すでに10年以上経つ。カンボジアはどうなったのか。

もしかしたら、まだカンボジアの闇は変わっていないのかもしれない。

アメリカ出身の牧師、ドン・ブリュースター氏はカンボジアに移住し、そこでカンボジアの貧しい人々の支援に入っていた。そんな中でこの牧師が見たのは、実におぞましい「伝統」だったという。

何が起きていたのか。ブリュースター氏が支援している貧困家庭の少女キエウの身に起きたことをドン・ブリュースター氏はCNNに話している。



 


2016-04-09

プノンペンのスラム建築は、そろそろ見納めになるのか?

カンボジアは1950年代は「東洋の真珠」として知られる豊穣でのどかな国だった。

しかし、徐々に隣国のベトナム戦争に巻き込まれ、狂気の共産原理主義者「ポルポト政権」が樹立した1974年からは国土は「キリング・フィールド」と化して荒廃した。

プノンペンはこのポルポト政権時代は誰もいない無人都市と化して、いくつかの刑務所が政治犯を次々と処刑するだけの場所と化した。S21(トゥール・スレン)と呼ばれる場所は今は博物館として知られているが、10歳の子供でさえもここでは政治犯として処刑されていた。

ポルポトの暴虐政治が終わった1979年以降に地方に追い出されていった人々が戻ってきた。

その中で、すべてを失った人たちの一部はがら空きになった建物を勝手にねぐらにしてそこで暮らしはじめるのだが、その一部が「ビルディング」「モーディン」と呼ばれた地区だった。

この「ビルディング」は「ホワイト・タワー」と揶揄されながら残っている。貧困層とドラッグの売人とセックスワーカーとごく普通の人たちが暮らす高層スラムである。

実は、この高層スラムは私の馴染みの場所である。その理由は言うまでもない。



 


2016-03-12

プノンペン。警察官6人がエイズの売春女性を集団レイプ

カンボジアの警察は、ほとほと信頼できない警察官が多いと言われているのだが、これについてはブラックアジアでも何度も書いた。

私もカンボジアにいるときに警察に用もなく踏み込まれて難癖を付けられたこともあるし、70ストリートでは警察官が売春女性の持ち物を好き放題に取っていく姿を見ている。ママサンは賄賂を払って警察官「たち」から解放される。

あるいは、違法検問を行って相手がベトナム人売春女性だったりすると、金をせびったり、レイプしたり、やりたい放題だ。

カンボジアでは売春ビジネスが野放しなのだが、警察官はたまに思い出したように摘発をする。そして、摘発で捕まえた売春女性に虐待を加えるようなことをしている。(カンボジア警察。目の前で、ベトナム娘を殴り始めた警察官

NGOはプノンペン各地で売春している女性を「人身売買されている」として、警察に売春宿を通報して女性を「保護」しているのだが、警察署では女性たちは保護されるどころか、集団レイプされたりしているのである。

だから、カンボジアの売春女性たちは、「私を救出させないで」と訴える事態になっている。こうした状況をひとりの売春女性が告発している動画もある。



 


2016-03-01

「お願い、私を救出させないで。それは救出にならないの」

売春する女性を救済するという名目で、実は売春する女性に関心がなく、ただ自分自身を売り込んでいる人は欧米でも日本でもたくさんいる。

こうした人はNGO団体やジャーナリストという肩書きをつけて、売春する女性たちに寄り添うように見えて、実は彼女たちをダシにして、自分のビジネスのタネにしている。

カンボジアで人身売買の女性たちを救出するという人権活動をしていた女性、ソマリー・マムという女性もそんな女性のひとりだった。

彼女は「家族から切り離されて売春させられていた」と言っていたのだが、本当にそうだったのかどうかずっと疑念を持たれ続けて来た。

その後も「娘が人身売買業者に拉致された」とか「自分のNGO団体の職員がカンボジア軍に8人殺された」とショッキングなことを言っていたが、それがすべて虚偽であったことがバレて、自分の財団を追い出された。

実は「人身売買と戦う」と公言しながら、その裏で売春女性を食い物にしている悪徳NGO団体や、寄付金を詐取しているNGO団体が山ほど存在する。

また、売春する日本女性の境遇の悲惨さを訴えながら、実は自分がその女性たちに手を出しているジャーナリストもいる。日本でも、貧困女性の味方のふりをして、実はそうではない人間がいるのである。



 



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