ブラックアジア - 注目のランダム・トピックス
◆産んだ赤ん坊を、へその緒がついたままゴミにして捨てる ◆マリファナは武器ではない。ボブ・マーリーが訴えていたこと ◆イスラム過激派の仕掛けるテロ事件はこれからも延々と続く ◆「病気の母を助けるために処女を売ります」という売春
◆白人と黒人が使うドラッグが違うが、その3つの理由とは? ◆カリマンタンの売春宿にいたのは、オランウータンだった ◆南アフリカの地方の道路に出没する死んだ売春女性の呪い ◆セックス依存症かどうかは、このチェックリストで分かる

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2017-08-17

イギリスの社会荒廃が生んだパンクな女たちを愛せるか?

1945年に第二次世界大戦が終結した後、イギリスは勝戦国の側にあったが、国土は荒廃し国力はズタズタになっていた。

ナチス・ドイツは1940年9月から8ヶ月に渡ってロンドンを激しく空爆し、4万3000人が死亡、100万人以上が家を失うという凄まじい被害が発生していたのだ。

戦後、イギリスは労働党によって再建がなされるのだが、ここで取られた政策が、「ゆりかごから墓場」までの安定を約束する福祉充実と、石炭・石油・通信・鉄道・鉄鋼等の産業の国有化だった。

戦争によって壊滅した国土を復興させるためには、国が強い指導力と産業保護をしなければイギリスは立ち直れなかったはずであり、この政策は当初は正しいものであった。

しかし、やがて10年経ち20年経つとこの「ゆりかごから墓場」までの福祉政策が国を停滞させるようになっていった。

国営企業は非効率で保守的な運営をし、人々もまた厚い福祉政策にどっぷりと浸って新しい時代を切り拓く能力を失った。人々はこれを「英国病」と呼んだ。

さらに1970年代の石油ショックは停滞していたイギリス経済を直撃し、急激に社会が疲弊して活力が失われ、底知れぬ貧困と閉塞感が次第に強まっていった。そして、アンダーグラウンドで何が生まれたのか?



 


2016-07-17

ナイジェリアの売春する女性を取り上げたブルージーな歌

ナイジェリアの首都ラゴス。アフリカで有数のこの都市は、真夜中になるとバーやストリートに売春する女たちが溢れ出す街でもある。

快楽とエイズ、愛と暴力、貧困と金が渦巻くストリートの中で、ブラウンの肌をした女たちが、さまよい歩いて自分が持っているただひとつの所有物である身体を売る。

売春宿もラゴスの街のあちこちに点在し、エイズまみれのセックスワーカーたちが客を待つ。(エイズ大国ナイジェリア。エイズにまみれながら売春ビジネス

少女売春も盛んだ。警察当局は彼女たちを保護するのではなく、彼女たちを食い物にする存在である。(セックスの仕事でも、仕事なの。ナイジェリア少女のつぶやき

ヨーロッパに移民したり密入国したりするアフリカ系の女性たちの多くはナイジェリアから来た女たちであることも知られている。

こうした女性たちがイタリアで行っている売春ビジネスの貧困が衝撃的な光景であるというのも以前に話題になった。その劣悪さは多くの人が言葉を失った。(イタリア国内で路上売春。ナイジェリア女性の劣悪な売春環境

こうしたセックスワーカーたちはアンダーグラウンドの存在であり、表側の人々が気にすることも取り上げることもない。しかし、アメリカでひとりの女性がラゴスのセックスワーカーたちを題材にして曲を作っている。



 


2015-09-19

ジャニス・ジョプリン。彼女を殺した高純度のヘロインのこと

2015年9月15日、ドラッグとアルコールに溺れて1970年10月4日に急逝したジャニス・ジョプリンの愛車だったポルシェが競売に出されることを報道していた。

ジャニス・ジョプリンはヒッピー文化の申し子だ。

彼女が死ぬまでずっと所有していたこのポルシェもまた、曲線を多用した様々な色使いが混じったサイケデリックなペイントをされた独特の美的感覚で彩られたもので、当時の時代の空気を強烈に残している。

彼女は「メルセデス・ベンツ」という題名の歌を歌っていて、神に「私にメルセデス・ベンツを買って下さい。友達はみんなポルシェです」と祈っていたが、手に入ったのはポルシェの方だったようだ。

彼女が死んだのは1970年なので、もう45年も昔の話になっており、今はもうヒッピーだとかジャニス・ジョプリンだとか言っても、知る人はほとんどいないのかもしれない。

タイのサムイ島やパンガン島では今も昔もヒッピー文化の申し子のような人間たちがその文化を継承している。

私が初めてタイのサムイ島に行ったときも、ヒッピーが愛する音楽が朝から晩まで流れていて、そこにはドラッグとセックスが充満していた。私はそこでヒッピー文化の洗礼を受けた。

そこに、ジャニス・ジョプリンの音楽があった。私は、彼女のシャウト(叫び声)に圧倒され、日本に戻ってからも彼女の音楽が忘れられなかった。






2015-09-01

パタヤ・パタヤ。パタヤに行くなら、この歌を覚えておく

セックスとアルコールが満ち溢れる街。売春と退廃が蠢く真夜中。男たちの天国、女たちの地獄。それがパタヤだ。

私は書籍『ブラックアジア第二部 タイ<パタヤ>編』を出しているが、パタヤという売春地帯は本当に多くの人を虜(とりこ)にする場所である。(ブラックアジア第二部 タイ〈パタヤ〉編

この本は売春地帯の好きな人には、ぜひ読んで欲しい。パタヤだけでなく売春ビジネス全般に関心がある人全員に読んで欲しいと思っている。

売春ビジネスというのは、実は男も追い詰められる場所であることを書いた。

この本の副題は「いいヤツは天国へ逝く、ワルはパタヤへ行く」となっているが、この文句は私が考えたのではない。

Good guy goes to HEAVEN いいヤツは天国へ逝く。
Bad guy goes to PATTAYA ワルはパタヤへ行く。

パタヤでそのようなセリフのTシャツがどこにでも売っているのである。

この本を上梓した後、読者からメールが来て、このセリフを書いていたTシャツがあったので土産で一枚買ったという。まだ、パタヤのどこかに売っているようだ。



 


2015-02-14

まだ良い国ではあるのだが、良い時代は過ぎ去ってしまった

あなたは運が良い人生を歩んでいると考えるだろうか。それとも、運の悪い人生だと思うだろうか。

生まれた国、生まれた時代、生まれた場所、生まれた両親、五体満足だったかどうかによって人間の運・不運が決まる。不運であれば、その人生は自分の努力ではどうしようもないほどのハンディを負って生きることになる。

あなたが今シリアやイラクで生きていたら大変なことになっていただろう。あなたがソマリアやコンゴで生きていたら、地獄を這っていただろう。

普通の生活を送るということ自体ができない国は世の中にはたくさんある。

そう考えると、多くの日本人は「良い星」に生まれたと言うことができるかもしれない。しかし、もちろん日本人で生まれたからと言って誰もが「良い星」なわけではない。

1930年に若者だった日本人と、1960年に若者だった日本人と、1990年に若者だった日本人は、みんなそれぞれ運命が違っていた。ほんのわずかな差で「良い時代」と「悪い時代」は入れ替わるのだ。どちらになるのかは、「運」でしかない。






2015-02-05

才能を開花させる秘訣はあるか。それは、あるかもしれない

タイの真夜中をうろうろしていると、たまに簡易的なステージが組まれて、そこでタイのルークトゥンを歌うとても若い女性の姿を見ることがある。

ルークトゥンというのは、「田舎の音楽」という意味で、昔からタイで歌い継がれている大衆音楽のジャンルの一つである。

ステージを見据えてしみじみと聞いて、曲が終わって去ろうとすると、ステージの女性がこちらに気付いて、そっと合掌(ワイ)をしてお礼をしてくれることもある。

それは、「聞いてくれて、ありがとう」という意味のお礼だ。私もワイを返して立ち去る。

まだ、とても若い娘、もしかしたら10代の半ばくらいではないかと思うような年齢の娘が、売春地帯の場末のオープンバーの片隅のステージで歌っているのだから、何となく物哀しいものを感じることもある。

真夜中のタイの歓楽街で、こういったドサ回りの若い娘たちの姿を見かけない日はない。






2015-02-05

無意識を自覚。自分が何に洗脳されているか一瞬で知る方法

インドの女性は歌が好きだ。インド・コルコタにいたとき、ひとりの女性が口ずさむように、静かで優しい歌を歌ってくれたことがある。

彼女は普段はどちらかと言えば粗野な喋り方をする女性で、感傷的な感情をほとんど持っていないようにも見えた。

しかし、物憂げな部屋の中で暇を紛らわすように歌ったその歌は、とても感傷的なリズムで、抑制された美しい声に私は聞き惚れて涙がこぼれそうになった。

声のトーンも彼女の普段の粗野なものが消えていて、まるで彼女が別人になったかのような不思議なものであった。

「それは何の歌だい?」と尋ねると、彼女は部屋の神棚に飾っている私の知らない神の写真を指さして「昔の歌(Old Song)よ」と答えた。

確かにそうだろうと思う。街の騒々しいボリウッドソングとはまったく違った趣(おもむき)の歌だった。そのとき、私は知らなかったのだが、のちにこのような歌は「マントラ」と呼ばれていることに気付いた。






2014-11-05

10歳の少女の歌をしみじみと聴いて、涙を流す日が来るとは

私は日本の歌謡曲はほとんど興味も関心もないまま暮らしてきたし、琴線に触れる曲もほとんど想い出の中に持っていない。

20歳を過ぎてから東南アジアで知ったその時々の歌を、現地の想い出や知り合った人たちと共に想い出を築いてきた。

1980年代のタイでは、街で洋楽が流れ、哀切の漂う現地のルークトゥンが流れていた。そういった「題名も知らない音楽」が私には重要で、そんな音楽ばかりが心を埋めてきた。

タイにいるときはタイの音楽を、アメリカにいるときはアメリカの音楽を、メキシコにいるときはメキシコの音楽を、カンボジアにいるときはカンボジアの音楽を、インドにいるときはインドの音楽を愛してきた。

私はずっと社会の底辺で踏みにじられながら生きている女性たちと一緒にいたので、彼女たちの口ずさむ歌、彼女たちが好きだった歌が私も好きになった。

だから、私は日本の歌謡曲に馴染む暇もなく人生が過ぎた。テレビもラジオも持っていないし、今後も買うつもりはまったくないので、よけいに日本の歌謡曲は私には縁がない。







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