ここ1年、「ブラックアジア・イン・ジャパン」のために、しばしば新宿歌舞伎町をうろついている。(日本の風俗嬢たちに会い、様々な話や人生をまとめた記事群

2017年2月15日、自動販売機脇に設置されたゴミ箱の中に捨てられたカバンの中から生後間もない男の子の嬰児の遺体が見つかるという事件が起きていた。

それが東京都新宿区歌舞伎町2丁目のホテル街にある駐車場・コインパーキングとあるのだが、具体的な場所を言うと「ホテルG7」と「ホテル・リバティ」向かいにある駐車場に置かれてあったゴミ箱の中である。

ここに手提げカバンと一緒にヘソの緒の付いたままの嬰児を生きたまま捨てていた。

この前日はたまたま私も真夜中に歌舞伎町をうろうろとさまよい歩いていたのだが、夜になると冷え込むこの季節に母親は嬰児に服も着せずにカバンと共に捨てていた。

歌舞伎町は水商売と風俗とラブホテルが林立する場所であり、この歌舞伎町2丁目も、そうしたラブホテルが立ち並ぶ場所の一角である。


いずれ近いうちに、母親が逮捕される可能性は高い


まだ、生まれたばかりの嬰児を遺棄した母親のことは何も分かっていない。しかし、母親の逮捕は案外そう遠くない時期に起きる可能性は高い。

なぜなら、歌舞伎町は石原慎太郎都知事時代から大量の防犯カメラを張り巡らせており、警察は歌舞伎町で事件が起きるたびにこの防犯カメラを検証できるからだ。

事情が分かっていれば、歌舞伎町で嬰児を遺棄するというのは警察に証拠を残すようなものだが、普通の女性は防犯カメラを意識しないので、そばに誰もいなければ見られていないと思ったのかもしれない。

こうしたラブホテル街に来て子供を捨てているのだから、もしかしたら女性は水商売や風俗で働いていて土地勘があったとも推測される。

まったく見も知らない場所ならば、そこが嬰児を捨てられる場所があるのかどうかも分からないのだから、「あそこなら捨てられる」という土地勘があって来ているように思える。

それとも、男がいて一緒に行動していたのだろうか。

場所柄、まだ日本人女性と断定できるわけでもない。最近起きた岐阜県の生み捨て事件は女性がフィリピン人だった。(岐阜県にいるフィリピン女性たちと、赤ん坊遺棄事件のこと

いずれにしても、近いうちに母親がどんな女性だったのか分かるはずで、ニュースを見落とさないように気を付けているところだ。

ところで、なぜ母親は嬰児を生み捨てるのか。

そこには望まない妊娠があったはずだし、さらに貧困が重なっていることも多い。両方は切り離されるものではなく、セットになっているケースが大半かもしれない。

まず、生活苦に陥っているのに望まない妊娠をしてしまう。どうしようかと決断できないうちに6ヶ月が過ぎて中絶も不可能になる。

そして、そのまま成り行きで出産し、どうしようもなくなって生み捨てるというのが典型的な「生み捨て」の動機である。

女性が貧困に転がり堕ちている日本の社会で、こうした生み捨ては増えていくのではないかというのが私の見方だ。(子供4人を次々に産み捨て。日本の底辺で、起きていること

社会の裏側で「生み捨て」の事件が多発していた


日本の社会で、「生み捨て」がピークに達していたのは1945年の戦後の混乱期である。この当時、日本の国土は敗戦と空襲で主要都市のすべてが灰燼と化していた。

社会は荒廃し女性たちは子供を育てるような環境ではなく、自分が生き延びられるかどうかが問われるような時代でもあったのだ。

そのため、社会の裏側で「生み捨て」の事件が多発していた。

しかし、戦後の混乱が収束し、やがて復興に向けて動き始めるようになってから、この「生み捨て」事件も潮を引いたように減少していくことになる。

貧困が解消すると、生み捨ても解消する。分かりやすい構図だ。しかし、日本が高度成長期に入って「一億総中流」と言われるようになった1970年に入っても赤ん坊の生み捨ての事件は決してゼロにはならなかった。

いつの時代でも、社会のどん底に堕ちて生活に困っている女性はいるし、そうした女性は闇の中で自分が生んだ赤ん坊の処置に困ってこっそりとどこかに捨てる。

「一億総中流」が叫ばれていた1970年代、ある「生み捨て」の方法がいくつも発生したことはアンダーグラウンドの歴史にはしっかり刻まれている。この時代、赤ん坊を産み捨てる母親の一部はどこに捨てたのか。

それは「コインロッカー」だった。

後に多くの女性が無責任なセックスの後始末に赤ん坊をコインロッカーに棄てる事件が相次いだことにより、「コインロッカー・ベイビー」という造語まで生まれた始末だった。

折しも時代は「ヒッピー文化」の真っ只中である。(社会はある時から凄まじく変わってしまうという事象がある

既存の文化を打ち壊すカウンターカルチャーとしてのヒッピー文化は、性道徳も打ち壊してフリーセックスを実践した。

この時代と「コインロッカー・ベイビー」が重なったので、やがてはこのコインロッカーの産み捨ては無軌道セックスの暴走の象徴として語られることになっていく。

最初は、夫に捨てられた貧しい女性の犯行だった


しかし、「コインロッカー・ベイビー」の最初の事件は、実はヒッピー文化とはまったく関係がなく、やはり貧困の中で夫に捨てられた貧しい女性の犯行だったことはあまり知られていない。

彼女は、夫に捨てられた後に妊娠に気がついたが、中絶するお金すらなく臨月を迎えて住み込みの部屋で子供を出産した。

住み込みの場所は「上野の飯場」と当時の記録に記されているのだが、飯場(はんば)とは季節労働者が集まるドヤ街のことを指す。

そして、「上野のドヤ街」と言えば、もちろん山谷(さんや)である。山谷で住み込みで働いていたというのだから、彼女の苦境の背景も理解できるはずだ。

山谷に住むのは流れ者であり、彼女もまた地方のどこかから流れて山谷に辿り着いたのだろう。山谷は貧しい貧困層が唯一泊まれる賃金の安いドヤが密集しており、同じ境遇の人々が肩を寄せ合って生きている場所だった。

そこで彼女は夫と共に暮らしていたが、妊娠して捨てられて独り身となってしまった。

彼女は赤ん坊を産んだ。しかし、赤ん坊を育てる自信がなく、そのまま首を締めて窒息死させた。そして、ダンボールに詰めてそれを上野駅構内のコインロッカーに棄てたのだった。

当時のコインロッカーはハイテクでモダンな装置であると思われていたのだが、いかにも都会的な収納ボックスと、彼女の極貧の生活状況とはなかなか結びつかない。

だから、極貧の女性の犯行であったということは忘れ去られ、やがて彼女の事件そのものよりも、コインロッカーに赤ん坊を棄てるという「テクニック」だけが人口に膾炙した。その後、類似事件が続出した。

やがて、コインロッカーがハイセンスでも何でもなく、ありふれた機械になっていくと、コインロッカー・ベイビーの事件も減っていった。

日本はさらに豊かになり、やがてバブルを迎え、日本の女性たちは貧困とは無縁の存在になったかに見えた。

しかし、1990年にバブルが崩壊すると、再び日本女性にも貧困が忍び寄るようになっていき、今では独身女性の3人に1人は貧困で暮らすような時代となっている。

女性の貧困と生み捨ては密接な関連性がある。だから、日本で起きる「生み捨て」の事件は注目した方がいい。それは社会の底辺のバロメーターでもある。



生み捨て事件が起きた新宿歌舞伎町。女性の貧困と生み捨ては密接な関連性がある。だから、日本で起きる「生み捨て」の事件は注目した方がいい。それは社会の底辺のバロメーターでもある。



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