現在、日本は子供の6人に1人が貧困であると言われているのだが、貧困に堕ちる子供たちの少なからずは「ひとり親」であると言われている。

ひとり親というのは、子供にとって父か母のどちらかがいないという状態なのだが、それは父親と死別したとか母親と死別したというものではない。

ほとんどは、両親の離婚で一方が出ていって、片方の親が子供を育てる事態となって「ひとり親」となっている。すでに「子はかすがい」とはならない。ドライに関係は切れる。

子供はどうするのか。子供は母親に懐くし、母親もまた子供を離したがらないので、ひとり親と言えば多くが「シングルマザー」である。

本来であれば、離婚したとしても父親は養育費を払って金銭的に子供の面倒を見る必要がある。別れたとしても、自分の子供には間違いないからである。血はつながっている。

しかし、多くの場合は養育費はほとんど継続して払われることはない。父親は最初から払わないか、途中で逃げてしまうのである。

そしてどうなるのか。シングルマザーの50%が貧困であるのを見ても分かる通り、母子ともども凄まじい貧困の中に堕ちていくことになる。


どんなにキャリアや能力や適性があっても無駄だった


これは世界中どこを見てもそうだ。東南アジアでも離婚したら父親が家を出ていって帰ってこなくなる。

だから、福祉も行政も頼りにならない東南アジアの女性たちは、離婚後には極貧に陥って売春ビジネスに足を踏み入れている。それしか生きる道がないからだ。

日本も風俗店に託児所があるとか、母親風俗嬢が仕事に行っている間は待機の女性が子供の面倒を見ているとか、そんなケースも増えている。

それどころか、妊娠して臨月の状態なのにデリヘル店で働いているような女性すらもいる。(臨月の風俗嬢(1)「産まれる直前まで風俗で働くつもり」

日本のアンダーグラウンドでは、そのような光景が広がっているのである。

何にしろ、父親がいない家庭は母親がひとりで子供を育てることになるのだが、それは想像以上の重労働であり、難事業でもある。

子供が幼ければ幼いほど、あるいは子供の数が多ければ多いほど、母親は子供から離れられない。そのため、仮にフルタイムの仕事があったとしても、フルタイムで働ける環境にない。

託児所と言っても無料ではないし、空いているわけでもない。また時間を過ぎても預かってくれるわけでもない。子供に問題があれば、すぐに呼び寄せられる。子供の体調は変化しやすく、子供も常に母親の庇護を求める。

つまり、シングルマザーはどんなにキャリアや能力や適性があっても仕事に全力投球できず、かと言って子育てのみに専念することもできない中途半端な状況に置かれて苦しむ。

実家には頼れず、養育費ももらえず、孤立無援に


そうしたシングルマザーが最終的に頼るのは自分の実家だが、その実家が遠く離れていたり、仲が悪かったり、疎遠になっていたり、実家の両親がそもそも貧困だったりすると、助けを求めることもできない。

すでに日本社会の経済は1990年から停滞しており、そこに無能な政治家が首相になって消費税を取り入れたり上げたり総量規制をしたりして経済成長の芽を叩き潰してしまった。

2001年以後はグローバル化が剥き出しのまま日本に取り入れられて非正規雇用者が爆発的に増え、格差、貧困が日本に定着するようになっていた。

さらに少子高齢化もそのまま放置されて現在に至っている。その結果として財源不足が深刻になり、年金制度や医療制度も崩壊していこうとしつつある。

シングルマザーが親に頼ろうと思っても、親世代もまた日本社会の変化の中で余裕をなくしている。子供たちが金銭的に困っても援助できないようになっている。

貧困に堕ちているシングルマザーは、そのほとんどが親に頼れない状況だ。かつてのように、母親の実家が子供を預かって、母親が経済的にも精神的にも助かるような幸せな家庭は減ってしまっている。

しかも子供の父親からも養育費をもらえていない。

シングルマザーの夫、すなわち子供の父親が養育費を払わないのは、やはり父親自身も問題があるからだ。

うまく仕事が見付からなかったり、仕事を続ける能力がなかったり、そんな責任も感じなかったりするからである。だから、払わずに逃げる。

家庭内暴力で別れた場合、妻が身元を知られたくないので養育費をあきらめるケースもある。

そして、シングルマザーは孤立無援と化す。

男たちは「それなら、どうぞ」と喜んで道を譲った


社会が複雑化することによって今の子供たちは多くのことを学ばなければ生きていけない。

そのため、昔のように16歳で結婚するどころではなく、18歳まで学校で勉強するのは当たり前の社会となった。それでも足りずに大学に入るのも当然の義務になっている。

そして大学を出ても収入や生活は安定しないので、結婚はさらに先に延ばされる。結婚は20代後半や30代前半になる。しかし、身体的には思春期以後に性に芽生えて20代には性的にも活発になる。

身体はセックスを求めているのに、結婚はずっと後になるのだから、社会が婚前交渉を黙認するようになるのは必然だった。セックスは多くの人と経験するものとなり、それが抵抗なくなっていくと、結婚もまた形骸化していくことになった。

それでも結婚という形が残っているのは、子供が生まれたら夫婦で育てるという社会的な了解事項があるからである。

子供が生まれたら女性の収入は途絶える。だから、夫は稼ぎ手としての役割を担う。それが結婚だったのだ。

ところが、結婚も簡単になったが離婚もまた簡単になると、男は子供を作って飛んでしまい、後に子供だけが残される。そういうケースが多くなった。

これでは女性が安心して子供を産むことができない。あまりにもリスクが高すぎるのである。

「何があっても妻と添い遂げる。子供も夫婦で立派に育ててみせる」という気概が男から消えたし、社会もそれを強制しなくなった。

「何が何でも俺が妻子の面倒を見る」と断言する男は世の中から消えたのだ。それは今の男が軟弱になったからではない。そう言うと、責められる時代になったので責任を持つのをやめたのだ。

誰が責めるのか。フェミニストだ。

フェミニストは「男女は平等なのだから、男が面倒見るなんて傲慢だ」と言うので、男は「面倒をみなくていいなら、それは都合がいい」と重荷を下ろした。

フェミニストは「女も働いて自立すべきだ」というので、男たちは「それなら、どうぞ」と喜んで道を譲った。

かくして、責任を取らなくてもよくなった男と、壊れた家族と、取り残される母親と、貧困に苦しむ子供が出現するようになったのである。

こんな社会になった責任は誰も取らない。しかし、飢えたシングルマザーと子供が日本の底辺に残されている。



「何が何でも俺が妻子の面倒を見る」と断言する男は世の中から消えたのだ。それは今の男が軟弱になったからではない。そう言うと、責められる時代になったので責任を持つのをやめたのだ。誰が責めるのか。フェミニストだ。



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