ドラッグの引きずり込まれるような陶酔とは違うが、自然で心地良い、そして甘酸っぱい気分になるような陶酔を味わう方法がある。

何十分も、そして場合によっては数時間も、夢うつつのような陶酔感に浸れるような時間を持てる。

殺伐とした今の時間を忘れ、どうなるのか分からずに不安にまみれている将来のことを忘れ、寒い日に温かい飲み物を飲んだときのように小さな感激と幸せを感じることができる。

甘美な陶酔を得るために、アルコールやマリファナに頼る必要もない。余計なものは何も要らない。

やり方は簡単だ。まずはセッティングを行う。ひとりになれる時間を作り、誰にも邪魔されない静かな環境に身を置く。そして、身体を横たわらせて目を閉じる。

それから呼吸を整え、リラックスして、深く深く「昔の想い出」に潜り込んでいく。

子供の頃をできるだけ仔細に想い出す。あの頃の楽しかったこと、嬉しかったこと、好きだったこと、懐かしい街並み、懐かしい人、懐かしい時代……。想い出を次々と開く。

その先に陶酔感が待っている。


「自分の脳」を利用して快楽を引き出す方法がある


過去を振り返ったらいけないとよく言われる。表向きには「未来に進むことを忘れ、現在を楽しむことを忘れるから」と言われている。

本当はそうではない。ドラッグにのめりこんで戻って来れなくなる人がいるように、過去にのめり込むと、同じく戻って来れなくなる人がいるからだ。

なぜ、戻って来られないのか。

その理由は1つ。実は多くの人にとって「自分の過去は陶酔感を呼び起こすほど甘美」だからだ。昔の想い出は、ほとんどの人にとって甘美なのだ。

過去はつらいことばかりだったという人もいる。過去を想い出すことで、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に見舞われる人もいる。必ずしもすべての人が過去を想い出すことで甘美になれるわけではない。

しかし、あまり幸福な子供時代でなかった人であっても、嫌なことは記憶から抜け落ちていて、楽しくて、嬉しくて、気持ちが良い想い出だけが残って、過去が懐かしいと想うようになると言われている。

生き残るために人間の脳は無意識に記憶を取捨選択しており、郷愁を快楽に想うように記憶を「いじる」のである。

だから、子供の頃の自分、若かった自分、輝いていた自分の過去を思い出すと、懐かしい気持ちと共に安心感に包まれるような陶酔を手に入れることができるのだ。

深い郷愁は快楽である。

郷愁こそが、過去から快楽を引き出すための大きなキーワードだ。過去の何気ない場面、懐かしい光景を、いきいきと鮮やかに蘇らせることによって陶酔が生まれる。

甘くて、優しくて、甘酸っぱい郷愁は、深く潜り込んで行けば行くほど効果が大きくなる。あの頃の想い出が脳を覆い尽くして、快楽神経を刺激する。

つまり、郷愁に向かってどこまでも深く自分の脳の中を潜っていくことによって、その陶酔は数時間も続く。郷愁から意図的に快楽を引き出す。

ドラッグを利用するのではなく、自分の脳を利用して快楽を引き出す方法があるのだから、それを充分に利用しないと脳の可能性を引き出すことにならない。



郷愁に向かってどこまでも深く自分の脳の中を潜っていくことによって、その陶酔は数時間も続く。郷愁から意図的に快楽を引き出す。

郷愁と共に過去を振り返り続けることは快楽なのだ


人には誰でも大切な想い出がある。忘れられない人がいる。忘れたくない過去がある。

深海をいくダイバーのように、自分の記憶の中に潜り込むと、次々と大切な想い出が発掘できる。もう忘れてしまったと思っていた光景が、ありありと思い浮かんでくる。

忘れがたい友人たちがいる。そこに若かった自分がいて、大切だった音楽や、映画や、小説が、埋まっている。好きだった人も、好きだった姿のままそこにいてくれる。

自分の大切だった人が、自分が想い出すことを待っているかもしれない。あのときに感動したものが、そっくりそのまま過去の郷愁の中には残っている。

大人になる過程で失ったものもそこにある。純真さ。無邪気さ。夢。希望。喜び。そんなものが次々と記憶の深海から引き出すことができる。

だから、郷愁と共に過去を振り返り続けることは快楽なのだ。郷愁は甘美な快楽となる。自分の脳と人生を利用して人為的に深い陶酔を引き出すことができるのだ。

郷愁に浸るのは贅沢な時間だ。しかし現代社会は、私たちに贅沢をさせまいとスケジュールと予約と計画に追わせ、私たちを忙殺する。

「忙しいとは心を亡くすと書く」とよく言われる。なぜ心を亡くすのか。それは、自分が何者だったのかを振り返り、郷愁という快楽を味わう時間を失うからである。

本当は、静かな時間を作って自分と自分の人生を振り返る必要があるのに、それをさせまいと現代社会は殺人的な忙しさを人々に与える。

陶酔感を忘れ、郷愁を忘れ、やがて自分の存在意義も忘れ、ただ流されて生きているだけになる。自分は何が好きだったのかすらも思い出せず、自分が何のために必死で生きているのかすらも忘れる。

自分の原点を見失って生きていると、ある日、知らないうちに心が壊れてしまうのだ。



陶酔感を忘れ、郷愁を忘れ、やがて自分の存在意義も忘れ、ただ流されて生きているだけになる。自分は何が好きだったのかすらも思い出せず、自分が何のために必死で生きているのかすらも忘れる。

陶酔を招くものは、やってはいけないと言われる


「昔のことばかり振り返っていないで今を生きなさい」とはよく言われる叱り言葉だ。

「今を必死に生きていれば過去を想い出す暇もない。過去を振り返るのは現実逃避だ」というのも、昔のことばかり想い出すなという戒めのためによく言われるセリフだ。

これらのセリフは「後ろを向く人間には用がない」と言わんばかりのものであることが分かる。

もちろん、1日24時間365日、昔のことばかりを想い出している余裕は現代人にはない。今を生きよという忠告は「過去にとらわれると何もできなくなる」という危機感から生まれている言葉でもある。

しかし、忙しさのあまり心を亡くしそうになっている時、ひとりの時間を作って郷愁に浸るのは、それほど悪いことのようには思えない。

現代人は、あまりにも過去に向き合い郷愁に浸る快楽を恐れすぎているようにも見える。「郷愁に浸る」というのは、心を亡くしてしまった現代人にこそ必要なものなのにそうしない。

どのみち現代人は誰もが時間に追われており、気が済むまで郷愁に浸るような贅沢は許されていない。

だから奇跡的にそんな時間が取れるときは、思いきり郷愁を味わい、想い出という快楽に浸る時間があってもいい。

自然で、ゆったりとして、安心感に包まれるような陶酔を味わいたいと思ったら、思いきり過去の楽しかった想い出と郷愁に浸って欲しい。

優しさに包まれるような、そして、どこか甘酸っぱい気分になるような陶酔感を味わいたいと思ったら、楽しかった昔を何度も何度も反芻して欲しい。

過去の自分と過去の時代と郷愁と想い出をさまよい、夢うつつのような陶酔感に浸って欲しい。

小さな感激と幸せを感じるために、過去に戻って欲しい。昔の自分に何度も会いに行き、「もう戻れなくなってもいい」と思うほどその世界に浸りきったとき、あなたは陶酔感でいっぱいになるだろう。

今、静かに、ひとりきりになれる時間があるだろうか。私たちは、時には現実に戻れないほどの陶酔を味わう権利がある。陶酔を味わうために、目を閉じて過去に行ってみてほしい。

自分の脳と人生を利用して人為的に深い陶酔を引き出す。それは間違いなく合法なのだから、恐れることはない。



今、静かに、ひとりきりになれる時間があるだろうか。私たちは、時には現実に戻れないほどの陶酔を味わう権利がある。陶酔を味わうために、目を閉じて過去に行ってみてほしい。


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