フィリピンはドゥテルテ大統領になってから反ドラッグ、反汚職の政策を過激に繰り広げている。

ところが、ドゥテルテ大統領がそれだけ剛腕を振るっても汚職は一掃されず、むしろひどくなっているという調査報告書を国際NGOのトランスペアレンシーが発表している。

フィリピンは東南アジアでは汚職の蔓延が一番ひどい国であると言われている。この汚職がフィリピンの成長を阻害しているのは確かだ。

しかし、汚職が消えないのである。警察官から公務員まで、金とコネがないと動かない。

金とコネと言えば、東南アジアは多かれ少なかれ、この2つを駆使しないとビジネスが動かないというのはよく知られている。これは東アジアでもそうだし、南アジアでもまったく同じことが言える。

コネがあれば、その仕事に相応しい能力や資質がなくても仕事に就けさせてもらえる。

その業界のことを何も知らなくても、コネがあればその業界に潜り込むこともできるし、コネが強ければいきなりどこかの組織の長になったりすることもある。


日本人はスキルを磨き、中国人は人脈を増やす


東南アジアやインドのような国を見て、そこで働くビジネスマンたちと接したとき、彼らは「自分に何ができるのか」をそれほど重視していないように見える。

東南アジアのビジネスを支配しているのは華僑だが、この華僑もまたそうだ。華僑がそうだということは、本土の中国人もそのような傾向にあるはずだ。

彼らは「自分に何ができるのか」よりも、別のものが重要だと考えているように見受けられる。

同じようにビジネスをして、同じように向上心があるとしても、成功する方法についての考え方は、日本人と中国人・東南アジア・インド圏のビジネスマンはまったく違う発想をする。

日本人は自分のスキルを磨くが、彼らは自分の人脈を増やすことに腐心する。

もちろん、ここでは「傾向」の話をしているので、全員がそうだと言っているわけではない。日本人でも人脈重視の人もいるし、中国人や東南アジアのビジネスマンでもスキル重視の人はいる。

しかし全体を俯瞰して見た場合、その違いは顕著である。社会風土がそうなっている。

日本人は職人気質があるのだが、職人は技術力が非常に重要なので「自分のスキルを磨く」方向に向かう。対して華僑は商人気質があって、誰から仕入れて誰に売るかが非常に重要なので「人脈を増やす」方向に向かう。

どちらが良い悪いではなく、そういう違いがある。

日本人は「私はこのようなことができます」とアピールする。それが重要だからだ。しかし、華僑や東南アジアの人たちは「私はこのような人を知っています」とアピールする。それが重要だからだ。



フィリピンは東南アジアでは汚職の蔓延が一番ひどい国であると言われている。金とコネが仕事を見つけるにも進めるにも必要になってくる。

どうしてもコネが必要であれば、どうするのか?


中国や東南アジアやインド人とビジネスをする日本人は、一様にこのビジネス風土の違いに直面する。彼らの社会では「誰を知っているか」で運命が決まる。

そのため、彼らの社会でビジネスをする場合、人脈の上の人間と話が付かないと、どんな些細なプロジェクトも進まず、許可も下りない。

逆に人脈がしっかりしていれば、どんな杜撰なプロジェクトでも許可が下りる。キーマンさえつかんでいれば問題ない。すべては「誰を知っているか」につながっていく。

これは経済だけでなく、政治の世界でも同じだ。

たとえば、タイのタクシン元首相は、首相になってから重要な役職に自分の親族や関係者を次々と配置した。そして、旨い汁が吸えるビジネスは自分の身内と仲間で独占した。

自分が失脚したら、今度は自分の身内をどんどん首相の座に送り込んだ。

一国の首相は、その座に相応しい能力と素質がある者が就かなければならないはずだが、そんなことはお構いなしに「自分の身内」を据える。能力がある人間を据えるのではない。

この「縁故主義」もよく考えれば、人脈重視の社会の当然の帰結であることが分かる。

能力重視社会では、そのポストに相応しい技能を持った人を据える。しかし、人脈重視社会では、そのポストに自分の知っている人を据える。

東南アジアやインドの社会が停滞し、社会のダイナミズムが消えて格差が固定化しやすい理由は、人脈社会だからだという理解の仕方もある。

その「人脈のサークル」に入れない人間は、どんな能力があっても重要な地位に就くことができない。能力は持っていなくても、権力者とコネのある人間がそこに就く。

どうしてもコネが必要であれば、どうするのか。

多くの人は、何とかコネの中に潜り込みたいと考えて、ワイロを送りつける。そう考えると、東南アジア・華僑・中国・インド圏の社会が汚職にまみれる理由が分かるはずだ。



タクシン元首相とインラック元首相。シナワット一族が首相のポストを「たらい回し」にできるのは、もちろんタイ華僑が血縁とコネと人脈を重視しているからだ。

「自分に何ができるのか」に関心が向かない社会


何としてでもコネの内部に潜り込みたいと考えている人たちが、権力者にこれでもか、これでもかとワイロを送る。

ワイロとは過酷な人脈社会なのに何も持たない者の涙の象徴だ。なけなしの金を差し出して、自分を何とか「仲間」にしてもらうのである。

仲間だと認識されれば、後はもう怖いものはない。コネ社会では「自分は何ができるか」などは重視されない。コネがある人間が然るべき仕事に就かせてもらえるからだ。

こうした社会で重要なのは「どれだけワイロを送れるか」ということであり、「どれだけ重要人物とつながれるか」ということである。

技能よりも人間関係が重要になるということは、仕事とは効率を優先する場所ではなく、人間関係を構築する場所になるということだ。

「自分に何ができるのか」に関心が向かず、「誰を知っているか」だけが極端に増長していく社会は、どんな現象を生み出してしまうのか。

それは、革新を生み出さない社会に変質していく。それもそうだ。自分を向上させても意味がないのだから、その先にある革新も生まれるはずがない。

東南アジアやインド圏がややもすれば停滞してしまうのは、能力よりコネが重要で、重要な地位にある者が自分の仕事の内容が分かっておらず、かくして非効率が発生し、そのために誰もが働くのが嫌になるからでもある。

社会が停滞すると仕事がなくなる。仕事がなくなると、少ない仕事を得るためにますますコネが重要になる。それがまた汚職と非効率を生み出す。そうすると、また仕事がなくなる。

それを延々と繰り返してきたから、途上国はずっと自力での発展ができなかった。こうした社会は風土は今後変わっていくのだろうか……。



仲間だと認識されれば、後はもう怖いものはない。コネ社会では「自分は何ができるか」などは重視されない。コネがある人間が然るべき仕事に就かせてもらえるからだ。


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