私たちはテレビや新聞の報道番組を見ると、それがリアルであると思ってしまう。しかし、それは間違っている。日本の報道番組は報道になっていない。

日本社会は、注意深く「死と暴力」が隠されている。

テレビや新聞でも、プライバシーだとかトラウマ軽減だとか様々な理由を盾にして、暴力や死体は注意深く、執拗なまでの潔癖さで隠されている。つまり、リアルが隠されている。

日本人が見ているのは「現実」ではない。

マスコミは「生々しい映像」と喧伝して映像を流しているが、それは編集されて「見たくないもの」が取り除かれている。本当に日本人がリアルに知らなければならない凄惨な「暴力の現場」がない。

人々が半狂乱になっている現場や、大怪我をしてのたうちまわっている人たちや、家族を失って怒り心頭に震えている人たちさえも出てこない。

憎悪を剥き出しにしている人や、互いに殺し合っている現場や、血まみれの暴力や死体が転がる戦場も出てこない。日本の報道番組は報道になっていない。


あなたは報道番組という娯楽番組を見ているだけ


日本のマスコミは、ただ口当たりの良いものだけを選んで、あたかもそれが100%の現実のように見せているだけだ。暴力と血と修羅場がきれいに掻き消されている。

もちろん、誰もズタズタに引き裂かれて原型を保っていない死体や、流血と混乱の現場を好んで見たいと思わない。しかし、それは間違いなく現場には存在していたものである。

つまり、それが現実だったはずだ。それを追及し、報道するのが本当の意味の報道番組である。

報道番組というのは、美人の女性アナウンサーを眺めるために存在しているのではない。そんなものは要らない。それを売りにするなら、それは娯楽番組である。美人アナウンサーなど、どうでもいい。

現在の日本人は報道番組という娯楽番組を見ているだけだ。娯楽番組を現実だと思っているから、日本人は平和ボケし、現実が分からなくなっている。

もちろん一部の人は「現実はもっと悲惨だったのに、マスコミのフィルターを通して、きれいごとになってしまった」と気付いている。

本当は現実をそのまま報道すべきだが、「現場の人はトラウマを感じている」とか、「死に対する尊厳はないのか」と、現実を見たくない人々が叫んで報道規制させる。

しかし、本来は「見たくもない血みどろ」が現実ではなかったのか。こうしたリアルに起きていることを隠し続けているから、日本人は現実思考ができなくなってしまっている。

国外で新聞を見ると、新聞の一面に凄惨な死体の写真が載っていることがある。アジアでも中東でも中南米でも当たり前にそうである。

死体が剥き出しになって写真に載ることは、それが現実である以上当たり前の話なのだ。それなのに、日本は剥き出しの死体が新聞に載ることはまずない。

だから、日本人だけ何も分からない。



ISISの暴力は今もまだ中東やEUで続いている。死体が剥き出しになって写真に載ることは、それが現実である以上当たり前の話なのだ。それなのに、日本は剥き出しの死体が新聞に載ることはまずない。だから、日本人だけ何も分からない。

死や暴力を隠蔽すると「重大さ」が伝わらない


日本人は現実を見ることを「規制」されている。

女性の裸を何のためらいもなく載せるイエロージャーナリズム新聞でさえ、剥き出しの死体を「載せない」という奇妙な徹底がなされている。

節操なく他人のスキャンダルを暴露し、意味のないヌードを載せるのにためらいのないこれらの新聞が、「死体」となると途端に自制する姿勢がどうも理解できない。

「人権」を理由に持ち出すのならば、噂の域も出ない他人のスキャンダルを大見出しで書き立てる姿勢も人権に反しているので規制すべきと思わないのだろうか。

「死者の尊厳」を持ち出すのならば、なおさら「生きている人たちの尊厳」を考えて他の記事も修正すべきだろう。

別に私は死体愛好家でもサディストでもないので、何らかの事件で変死した人々の遺体を進んで見たいわけではない。

しかし、死や暴力を隠蔽すると事件の「重大さ」が伝わらないし、それによって現実が隠されてしまうのだから、死体の隠蔽は反対だ。

「赤ん坊が虐待されて殺された」のであれば、どのように虐待されたのか「死体を見せる」のが一番ではないのか。

アザ、疵、打撲痕、発見現場。それらを見せてくれなければ、何が起きたのかまるで分からない。暴力は隠してはならないのだ。暴力も死も何もかも隠そうとするところから、日本はおかしくなってしまっている。

嫌なものは遠ざける。嫌なものは見ないことにする。嫌なものはなかったことにする。嫌なものは先延ばしする……。

「死体を見ない、見せない」というのは、つまるところ「現実は見ない」のと同じなのだ。マスコミは現実を報道する気がないのだろうか。



「死体を見ない、見せない」というのは、つまるところ「現実は見ない」のと同じなのだ。マスコミは現実を報道する気がないのだろうか。

血まみれになった現場は決して見ることはない


私たちはニュースに触れて、「戦争が起きた」「暴動が起きた」と知る。そして、その地で凄惨な虐殺や殺し合いが行われていることを知る。

しかし、日本のニュース、テレビ、新聞では、それらはただの「記号」にしか過ぎない。

たとえば、中東では自爆テロが続出して何人もの人々が犠牲になっている。

しかし、そこには爆発で燃え上がる建物の写真はあっても、手足や内臓が飛び散った血まみれになった現場は決して日本では見ることはない。

シリアやイラクで起きているISISの凄惨な暴力や、欧米やロシアが行っている空爆による被害、欧米で起きているテロ、次々と起きている凄惨な憎悪殺人……。

日本では、何ひとつ実態を知ることができない。

海外ではどうなのか。もちろん、どこまで見せるのかはそれぞれの国のスタンスに関係してくる。しかし、それを完全に隠すという発想はどこの国にもない。それが現実だからだ。

現実社会で何が起きているのかを知らしめるのが報道の正しい「道」であるならば、現場を正しく捕らえた写真が一枚も掲載されないというのは不自然すぎる。

日本が隠しているのは「死」だけではない。国家間の対立、憎悪、暴力、戦争。日本人に向けられた凄まじいまでの反日感情。何もかも隠してしまっている。

こうした現実を「直視」することは、恐ろしいことなのだろうか。それとも、日本人に現実直視させたくない勢力があるのか。

美人アナウンサーを話題にしてあれこれ言う人も多いようだが、そんなものは枝葉末節でまったくどうでもいいことだ。事件のリアルを隠すから美人アナウンサーを見るしかなくなっているだけのことで、それは本当の姿ではない。娯楽は他でやるべきだ。

美人アナウンサーは、爆弾で吹き飛んでバラバラになった死体を見つめ、暴力を解説し、テロの現場を見つめなければならない。それが仕事だからだ。

暴力も、死体も、隠してはいけない。憎悪を映さなければならない。現実から目を逸らしてはならない。報道番組は「リアルな現実」で埋まらなければならない。報道は現実に追いつかなければならない。

世界はとっくに「暴力の時代」に入っているのだから、日本人も暴力に免疫をつけておくべきだ。日本にも、遅かれ早かれ暴力はやってくる。



報道番組は「リアルな現実」で埋まらなければならない。報道は現実に追いつかなければならない。世界はとっくに「暴力の時代」に入っているのだから、日本人も暴力に免疫をつけておくべきだ。日本にも、遅かれ早かれ暴力はやってくる。


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