日本は1945年に敗戦を迎え、日本に上陸したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)はすぐに公娼廃止指令を出した。

しかし、日本には「遊郭文化」が根付いていたので、そう簡単に売春ビジネスは消えなかった。遊郭は「特殊飲食店(カフェー)」に鞍替えして生き残った。

政治家や官僚も遊郭で政治を語り、男は遊郭で友情を深めるのが当たり前の時代だった。GHQの命令には、日本人の上から下までみんな反対した。

やがて、1956年に売春防止法が制定されたのだが、戦後のどさくさの中で売春ビジネスに追いやられた女たちの多くがこれで途方に暮れた。

この売春防止法が制定される前後の日本は貧困が蔓延していた。貧しい女性のために「売春」という仕事はまだまだ日本に必要だという無意識の総意がそこにあった。

この1946年の公娼廃止指令から1956年の売春防止法までの期間において、売春ビジネスが黙認されていた地域は警察によって地図に赤線で丸が書かれて特別視されていたので、この地区は赤線地帯と呼ばれるようになった。

いったい、この赤線地帯はどんな光景だったのか。


特殊飲食店(カフェー)として生き延びていた時代


それを知りたければ映画『赤線地帯』を観るのが最適だ。この映画は、その頃の赤線地帯独特の光景をリアルに捉えている。

『赤線地帯』は1956年の映画であり、当時の光景や日本の空気がそのまま映像に刻まれていると言っても過言ではない。

日本の当時の売春ビジネスの空気感を知るためには、絶対に見逃してはいけない作品でもある。

この映画『赤線地帯』は舞台は吉原なのだが、そこで「夢の里」で働いている複数名の娼婦たちの群像を描いている。この女性たちがそれぞれワケありだ。

ひとりは病気の夫を抱えて極貧にあえぎながら身体を売っている。ひとりは平凡な主婦に憧れながら抜けられない。ひとりは故郷に残した息子を想いながら必死で生きている。

そしてひとりは金の亡者のようになって客も騙している。そして街でパンパンをして生きていたところを拾われて吉原に流れてきた女性もいる。

この女性たちが客や同僚と絡み合い、互いに相手を支え合ったり、出し抜いたりしながら生きていく。

この当時の吉原は、公娼廃止指令で法的には「遊郭」というスタイルが禁止されたので、一斉に特殊飲食店(カフェー)というスタイルに偽装していた。

「カフェーに来た客が女性と恋愛関係になって二階に向かう」というストーリーで売春専門の店ではないという偽装を行っていたのである。

だから、この映画に出てくる『赤線地帯』は、江戸時代から続いていた遊郭という特別な世界ではなくなっていた。

性風俗が文化ではなく「ちょんの間」に近いものになっていたのだった。そうした時代の背景を知っていると、この映画の光景が理解できる。

店内には踊り場もあって、そこで女性が踊ったりすることもあったようで、それを見ると現在のタイのゴーゴーバーの雰囲気の先駆けを感じたりするのが面白い。



映画『赤線地帯』。1956年に公開されたこの映画は溝口健二監督の最高傑作でもある。私が愛している日本映画のひとつだ。


この当時の吉原。女性は多くが和服で客を募っていたのだが、パンパン上がりの女性などは洋服を着て流行の最先端を行っていた。そういった女性が混在していたというのがこの映画を観れば分かる。


吉原の特殊飲食店の中ではこんな趣向を凝らして客寄せをしているところもあったようだ。映画の中で踊っているのはパンパン上がりの不良娘を演じる女優の京マチ子。

「お前たちはな、甘い話なんか乗っちゃいけないよ」


この1950年代というのは、日本が今までの歴史・文化の中で合法だった売春ビジネスを法的に廃止するか存続させるかの瀬戸際にあった時代だった。

日本では、昔から「貧しい女性を食わせるための仕事」として売春ビジネスは認知されていた。

しかしアメリカから見ると、それは貧しい女性を女衒が集めて借金を背負わせ、性ビジネスを強制している違法ビジネスという見方しかなかった。

また地方から貧しい女性を集めるというのは「人身売買である」という見方が次第に大きくなっていった。

遊郭が廃止されて、特殊飲食店として生き延びた置屋の経営者は、言ってみれば人身売買の親玉として糾弾されて苦しい立場に追い込まれていた時代だったのだ。

公娼廃止指令と売春防止法は、「人身売買されて強制的に性労働させられている女性の解放」という見方であり、これが通れば遊郭・赤線地帯は崩壊する。

そのため、当時の吉原の置屋経営者は、「世間は何も分かっていない。自分たち経営者だけが女性のことを考えている」と女性たちをつなぎ止めようと必死だった。

こうした経営者の事情も、映画『赤線地帯』では盛り込まれている。映画では店の経営者が女性を集めてこのように演説をぶっている。

「今日はな、ちょっと大事な話があるんだ。今の巷で騒いでいる売春禁止法な、ほらラジオで聞いてただろう。お前たちを助けるための法律なんて言ってるが、とんでもねぇ。一番困るのはお前たちだ。客を取ったら監獄にぶち込まれるとしたら、お前たちどうやってオマンマ食っていく?」

「本当にお前たちのことを心配しているのは、俺たち業者だ。こうやって店を作って、娼売させているから、お前たちは食うに困らない。一家心中だってせずに済むんだ。俺たちはねぇ、政治の行き届かねえところを補っているんだ。国家に代わって社会事業をやってるんだ」

「英才ぶって食いっぱぐれのない連中は、お前たちの苦労なんてひとつも分かっちゃいなんだ。お前たちの味方は俺たち以外にあるかい!」

「ま、お前たちはな、甘い話なんか乗っちゃいけないよ。この商売ができなくなったら、明日からどうなるかってことを、よーく考えて、馬鹿見ないようにしなきゃいけないよ。いいな」

これに対して女性たちも、しんみりしながら聞いてこのようにつぶやく。

「議員の人も分かんないことを言うね。自分のものを自分で売るのに、どうしていけないんだい?」



女性たちに「俺たち業者がお前たちの味方だ」と演説をぶつ店の経営者。「英才ぶって食いっぱぐれのない連中は、お前たちの苦労なんてひとつも分かっちゃいなんだ。お前たちの味方は俺たち以外にあるかい」と説く。

娼売をする女たちを見る世間の冷たさが垣間見える


映画ではこの経営者が同じ演説を二度もぶっている。

女たちに逃げられたら経営者も一緒に破綻するわけで経営者も必死だ。しかし、世間が彼女たちを見る目はとても冷たくて、彼女たちが日陰の女であることは映画では何度も繰り返される。

面白いのは、結婚して娼売を上がる女性に対して、自分の妻に娼売で食わせてもらっている男がこのように言って見送ることだ。

「私は嬉しいよ。世の中に負けないで頑張って下さいよ。こんな嬉しいことはないよ。あんなところでいつまでも働いている女は人間のクズだ。……どんな目に遭っても君は決して戻って来るんじゃないよ。二度と戻って来るんじゃないよ。分かったね」

自分が病弱のために妻が吉原で身体を売って働いているのに、その横で「あんなところでいつまでも働いている女は人間のクズ」というのだから、この映画の皮肉の効いたブラックジョークの場面のひとつだ。

もうひとつ悲しい場面は、息子のために身体を売っていたのに、息子が働くようになって会いに行くと、その娼売をなじられ「あんた、恥ずかしくないのか」と息子に言われる場面だ。

「私ね、あんたを立派に育てたいばかりに、この歳になってこんな情けない娼売してるんじゃない。あんまり馬鹿にしないでおくれよ!」

しかし気持ちは通じず、「もう二度と連絡しないで下さい」と突き放されてしまう。

自分が最も愛していたはずの息子だった。この愛する息子を育てるために身体を売って必死でお金を作っていたのに、その娼売のために冷たく突き放されて親子の縁が切れてしまった。

この女性は立ち直れず、その後、吉原の店で精神を病んで発狂してしまった。

身体を売る女たちを見る世間の目は、今以上に厳しいものがあったのだろう。そういった悲劇をも映画『赤線地帯』はしっかりと織り込んでいる。私の好きな映画だ。



自分が病気で妻が吉原で身体を売って働いているのに、その横で「あんなところでいつまでも働いている女は人間のクズ」という男。隣で妻がやれやれと聞いている。




吉原で身体を売って生きているばかりに、息子に拒絶されてしまう母親。精神的なダメージから立ち直れなかった彼女は、その後、気が触れてしまった。悲しい結末だ。



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