人は生きていく上で、常に2つの決断を迫られる。その2つは相反するもので、対立するものである。

「目先の快楽を優先するか」
「将来の幸せを優先するか」

イソップ寓話では、これを「アリとキリギリス」の生き方に例えたが、これが単なる寓話ではないのは多くの人が自分の人生で常に「アリになるのか、キリギリスになるのか」を迫られているからであるとも言える。

若いうちに遊び回って勉強も就職もせず好き放題に生きていると、生活の基盤も安定しない。収入がないので経済苦に追いやられやすい。そのために結婚もできないし、30代や40代に入って真面目になろうと思ってもきちんとした仕事が見付からないことも多い。

若いうちは楽しかったかもしれないが、歳を取ったら遊んでいたツケを払うことになる。

一方で、若いうちに自制心を持って勉強に励み、どこかに就職して真面目に働いている人は、やがて生活が落ち着いて貯金も貯まり、幸せな人生を送れるようになる。結婚して、子供もできて、マイカーもマイホームも所有して、老後は悠々自適に生活できる。

若いうちは苦しかったかもしれないが、歳を取ったら楽しく幸せに生きられる。


目先の快楽を優先するか、将来の幸せを優先するか


しかし、人間の人生は絶対に結末が決まっているわけではないのが難しいところだ。

若いうちに遊び回っていた人が、遊びの延長で会社を作ったり、人脈ができたりして、要領良く立ち回って大成功してますます遊べるようになる人もいる。

逆に、若いうちにやりたいことも我慢して勉強と節約に励んでいたのに、運もツキもまったくなく、困窮から抜け出せずに好きなことを何一つしないで死んでしまう人もいる。

人生は結末が決まっていない。だから、「目先の快楽を優先するか、将来の幸せを優先するか」は、何かあるごとに自分を悩ませる選択肢と決断になる。

「欲しいものを買ってしまうか、将来のために貯めるか」「食べたいものも好きなだけ食べるか、将来の健康のために我慢するか」「楽しく浮かれて遊び回るか、将来のために我慢して勉強するか」……。

総じて自制した方が将来は明るい。しかし、自制ばかりでは毎日が楽しくない。だから、ある場面では自制し、ある場面では弾け、人は目先の快楽と将来の幸せの両方を秤にかけてどちらかを選択する。

将来の幸せを確保しつつ目先の快楽もほどほどに楽しめれば一番いいのだが、そのために必要になってくるのがバランス感覚である。ところが、バランスを取るというのは、誰にとっても本当に難しい。

なぜなら「目先の快楽」というのは、非常に強い誘惑であり、欲望であり、魅力だからだ。

勉強よりもテレビやゲームの方が楽しい。節約よりも買い物の方が楽しい。自制よりも暴飲暴食の方が楽しい。禁欲よりもアルコールとセックスの方が楽しい。

いくら将来のために自分をコントロールしようと思っても、あまりにも目先の快楽が魅惑的すぎて拒絶できずに、ずるずると流されてしまう人が多い。それが人間というものだ。

「目先に溺れるモード」と「自制するモード」


人は「目先の欲望」を前にすると、心の中で天使と悪魔が互いに囁き合うと言われている。

カロリーの高い砂糖たっぷりのケーキを見た時、肉汁たっぷりのステーキを見た時、よく冷えたビールがあった時、性の快楽が目の前にあった時、「溺れてしまえ」という悪魔の囁きと、「自制しろ」という天使の囁きが交互に頭の中に生まれ、戦い合う。

これを「葛藤」と呼ぶ。あなたも経験しているはずだ。

「目先の欲望」を前にして脳がふたつに分かれて綱引きをするのである。最近になって脳科学者は「脳に2つのモードがある」ことを発見したと、スタンフォード大学の心理学者であるケリー・マクゴニガル氏は言う。

「目先に溺れるモード」と「自制するモード」で、人間はもともとこの両方を持ち合わせており、それが常に入れ替わっているという。

もっとも、科学者に言われなくてもそんなことは私たちは経験則としてとっくの昔に分かっていた。だから、アリとキリギリスの寓話はずっと語り継がれ、心の中の天使と悪魔の設定や比喩も使われ続けているのだ。

私たちは目先の快楽に溺れるのは簡単だ。それはとても魅惑的なものなので、放っておいても私たちは自然に溺れている。だから、私たちは誘惑の溺れ方については学ぶ必要はない。

私たちが覚えなければならないのは「将来のために目先の快楽を自制する」方である。どんな合理的で理性を持った人であっても、目先の快楽はそれを完全に破壊する。

快楽は合理的な人を非合理に走らせ、理性的な人から理性を奪ってしまう。だから、「いったいどうすれば自制できるのか?」という科目を私たちは修得する必要がある。

目先の快楽に溺れなくなるような方法があるのだろうか。生まれつき意志の強い人だけでなく、ごく普通の人でも欲望を遠ざける方法などあるのだろうか。

意志の力はまず心身のコントロールから生まれる?


心理学的に「目先の快楽に溺れなくなるような方法がある」とケリー・マクゴニガル氏は言う。

私たちは「自制する」というのは、自分の鋼鉄の意志で何とかしなければならないと考える。しかし、マクゴニガル氏のアプローチは違っている。

「意志力を発揮できる生理学的な状態があるので、その状態に持っていけば意志力が発揮できて自制も効くようになる」というのだ。

「意志力を発揮できる生理学的な状態」とは、具体的にどんな状態なのか。それは、以下のものだ。

「心拍数が下がった状態」
「呼吸がゆっくりな状態」
「不安やストレスがない状態」
「充分な睡眠を取った状態」
「ストレッチや瞑想やヨガを行った状態」

意志を強くするためには、「それを我慢しろ」と自分に強いて意志を試すのではなく、単にストレスを取り除き心身を回復させる方向に心を切り替えれば、うまくいくというのである。

リラックスしている状態が最も意志力が強い。だから、意志力を発揮するためにはリラックスすればいいのだ、という逆転の発想である。

もちろん、リラックスが簡単にできる人とできない人がいる。簡単にできない人はどうするのか。筋肉を鍛えるように、リラックスできる状態をつかめるまで何度も練習すればいいというのが心理学が出した答えだった。

「正しい選択をするにはどうしたらいいのか?」
「目先の欲望を自制するにはどうしたらいいのか?」
「我慢する力をつけるにはどうしたらいいのか?」

答えは「意志の力を発揮するためにリラックスする」なのだという。

意志の力が強い人は常にリラックスした状態で決断を下しており、だから逆に言えばリラックスした状態に自分を持っていけば意志の力が発揮できる、という理屈である。

この生理学からの検証はなかなか興味深いアプローチで、この仮説は今後も検証が積み重ねられていくはずだ。これが正しいとしたら「意志の力はまず心身のコントロールから生まれる」ということであり、示唆に富んでいる。

あなたはこの考え方について、どう思うだろう。リラックスした状態で考えてみて欲しい。



意志を強くするためには、「それを我慢しろ」と自分に強いて意志を試すのではなく、単にストレスを取り除き心身を回復させる方向に心を切り替えれば、うまくいくという。


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