人はその世界に長く居すぎると、そこに自分の考え方や生活のリズムや習慣が積み重なって、徐々にそれを変えることができなくなる。

そして、気が付けばそれが人生を貫く生き方になる。

たとえば、サラリーマンを10年も続けた人は、その生き方に最適化した人ほどサラリーマンという仕事を止めることができなくなる。

真面目に、そして律儀に、サラリーマンという生き方に馴染む努力をした人は、そうすることで厳しい世の中で生きていくことができた。そのため、いくら「違う生き方もある」と言われても変えられない。

どこの世界でもルールがある。そのルールが無意識にまで染み込んで自分の習性になり、その習性が自分の行動ばかりか無意識の考え方にまで影響を及ぼすのである。

サラリーマンの世界でも、上司にはどのように従うのかとか、どのような挨拶をするとか、顧客対応はどのようにするのかとか、服装はどうするとか、言葉遣いはどうするとか、そういった暗黙知に近いルールが存在する。

それに馴染まないとサラリーマンとして生きていけないというルールが夥しくあって、それに自分を最適化すればするほど生き方や考え方が固定化されて変えられなくなる。


「馴染んだ水からは逃れられない」という意味


「その世界に自分を最適化する」というのは、悪い話ではない。悪いどころか、絶対に必要であり、重要なことでもある。

最適化できないと「まだ未熟だ」と思われる。そしていつまで経ってもその社会のルールに馴染めないと、そこから排除される可能性もある。

たとえば、決められた時間に出勤せず、上司の方針には従わず、挨拶もできないような人がサラリーマンをやっても、評価されることはないし、その世界で生きていくこともできない。いずれ放逐されるからである。

その世界に長くいるためには、できるだけ早くその世界に順応し、その世界のルールを覚え、自分の考え方をその世界に合わせなければならない。

自分がその世界でうまく生きていけるように自分自身を最適化するのだ。

もちろん、それは簡単な話ではない。しかし、だいたい3年もすればその世界に馴染み、さらに長く続ければやがてそれが自分の生き方になる。

10年もその世界にいれば、もはや他の世界には移れないほど順応することになる。その世界のルールが、自分の絶対的な常識と化す。

常識は疑わない。だから、それが自分の生き方になるのである。自分の決断や考え方は、自分が最適化したルールの中で行われるようになり、それ以外の考え方は馴染めなくなる。

いったん自分の生きている世界に馴染むと、ほとんどの場合はそれが自分の人生を貫いて変えられないことの方が多い。

絶対に変えられないわけではないが、「身に付いた生き方」というのは変えるよりも続ける方が馴染むので、それは延々と続いていく。

だから、サラリーマンの世界で生きていた人は、失職しても次の仕事はサラリーマンを探す。そこに最適化されているので、その世界以外では生きていけないように思うからだ。

「馴染んだ水からは逃れられない」というのは、このあたりの事情を指している。その世界に自分の人生が最適化されたら、そこにいくら不満や嫌悪があっても抜けられない。



サラリーマンの世界で生きていた人は、失職しても次の仕事はサラリーマンを探す。そこに最適化されているので、その世界以外では生きていけないように思うからだ。

自分がどこの世界に最適化されたのかを把握する


それと同じで、長く水商売や風俗の世界を生きていた女性も、自らをその世界に最適化させている。

その世界の独自の考え方、習慣、生活スタイル、ルールを自分の潜在意識にまで到達するほど強く自分に課す。そして、その女性はそこから逃れられなくなる。

話し方、しぐさ、相手の見方、接客、セックスの方法、道徳の概念、金の使い方、金に対する考え方のすべてが自分のいた世界に最適化されていく。

だから、いったんその世界にうまく最適化された女性であればあるほど、その世界から抜け出せない。もはや生き方そのものがそこに馴染みすぎて、他の生き方をする自分を想像することすらもできなくなる。

そう考えると、「自分がどこの世界に最適化されたのか」というのを把握しておくのは、非常に重要なことであるということに気付く。

何しろ、あまりにも長くその世界にいて、そこに最適化されてしまっていると、もう「馴染んだ水からは逃れられない」可能性の方が高いからだ。

サラリーマンとして生きてきた人はずっとサラリーマンの発想をするし、事業家として生きてきた人はずっと事業家の発想から抜け出せない。

詐欺師として生きてきた人はずっと「うまくいく詐欺」の発想を考えるし、ギャンブラーとして生きてきた人はずっとギャンブラーの生き方や発想をするし、暴力団として生きた人はずっと暴力団の生き方や発想をする。

たとえ、その生き方が自分の不利益になると分かっていても、すでに潜在意識の域まで生き方や発想や生活習慣が染みついてしまっているので、いったんゼロに戻してイチから自分を構築するというのがなかなかできないのである。



いったんその世界にうまく最適化された女性であればあるほど、その世界から抜け出せない。もはや生き方そのものがそこに馴染みすぎて、他の生き方をする自分を想像することすらもできなくなる。

表にも裏にも属していない完全なる孤独者


自分はいったいどこの世界に最適化されたのか……。

最近、私がそれをよく考えるようになったのは、私自身が売春地帯に最適化された人間で、何をどうしても「馴染んだ水からは逃れられない」という事実を痛感しているからだ。

私は常に他人を信じながらも裏切られることを考えて生きているし、裏切られても絶対に自分が破滅しないように何重ものバリアを張り巡らせている。さらに、国家も政治も組織も他人の意見も何も信じていない。

なぜこんな人間になったのかというと、私の人生の大半は「目の前の人を信じない方がうまくいった」からに他ならない。

真夜中の世界というのはあまりにも海千山千の人間が跳梁跋扈としてうごめいている。そんなところで無防備に他人を信じたら馬鹿を見る。

一緒に過ごして愛を交わした女性ですらも、裏切るし、盗むし、騙してくる。

真夜中の世界では、相手の約束をまともに信じる方が馬鹿を見る。時間さえも守られない。交わした約束は常に破られる。相手の性別すらも分からない。

そんなところに何十年も関わっていたら、「他人を信じないことで自分を守る」という方向に自分が最適化されたとしても不思議ではない。

決して人間不信になっているわけではない。私自身は人間が好きだし、誰かを愛したいし、誰かに愛されたい。しかし、自分の考え方が夜の世界の流儀に最適化されてしまっている。

私はもはや旅人であることを止め、売春地帯に長く沈没することもなくなった。

相変わらず真夜中の世界に生きている女性しか関心がないというのは事実だが、今の私自身は裏側の世界に属しているわけではない。

かと言って表社会で他人に雇われているわけでもないし、表社会の誰かと付き合うわけでもないので、必然的に表にも裏にも属していない完全なる孤独者となってしまったが、少なくともアンダーグラウンドには生きていない。

とすれば、もうそろそろ表側の世界に最適化されてもいい頃だと思うのだが、私は一向に考え方や生き方が変わらない。

夜の世界で出会ったわけではない人は、別に私を裏切ったり騙したり脅したりするわけではないと分かっているのだが、あまりにも他人を信じないで生きてきた期間が長すぎたのか、信じない方が私には落ち着くのである。

いや、正確に言えば「裏切られる前提で信じるのが落ち着く」というべきか……。

これは夜の世界では正しい人間関係の接し方だが、この接し方をすべてに当てはめるのは重大な誤りであり、愚かであるというのは分かっている。ところが、無意識が働く。

私もまた「馴染んだ水からは逃れられない」のだろうか。どうやら、そのようだ。

もっとも「馴染んだ水から逃れられない」というのは、私だけではないはずだ。すべての人は自分が生きてきた環境に馴染んで、その世界で覚えた生き方や考え方から逃れられなくなっているはずだ。

あなたは、どうだろうか?



馴染んだ水からは逃れられない。長くいた世界に自分の人生が最適化されたら、そこにいくら不満や嫌悪があっても抜けられない。



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