もし、ここに2人の人間がいたとする。同じ環境で育ち、同じ家庭で暮らし、同じ学校に行き、同じ友達を持つ。そうすると、この2人は同じ気質なのだろうか。

たとえば、一卵性双生児はそのような環境になりやすいのだが、それでは一卵性双生児は気質は同じだろうか。

興味深いことに、一卵性双生児でも「気質が違う」ことが分かっている。それは多くの研究で証明されている。同じ日に生まれ、同じ環境で育ち、同じ大学に行っても、気質は違い、考え方も違っている。

これは、2人以上の子供を持つ親、あるいは母猫や母犬が同じ日に生んだ仔猫や仔犬を育てたことのある人は、深く納得できる事象であるはずだ。

同じ親に育てられた兄弟でも、明らかに気質が違っている。兄弟は、ほぼ同じような環境に育ち、同じ親を持ち、同じものを見て食べて育って来た。

しかし、やはり気質は違っているのだ。

これを知る最も極端な例は「結合双生児」である。結合双生児とは身体のどこかが結合して、切り離せなくなっている双子を指す。

臓器は共有していない双子もいれば、ある臓器は別々、ある臓器は共有という複雑な双子もいる。


結合双生児でさえも、互いに違っていた


2003年7月、頭部分離手術に失敗して、相次いで死んでしまった姉妹がいる。イラン人の双子ラレ・ビジャニ、ラダン・ビジャニ姉妹だ。

彼女たちは頭部が結合した結合双生児で、静脈を共有し、脳も癒着していたという。この2人は同じ環境に育ち、同じ時間を共有し、同じものを見て育って来た。

しかし2人の気質は、かなり違っていた。

ラダン・ビジャニの方は陽気で話が好きで、ラレ・ビジャニは控え目で大人しかった。

2人は同じ日に生まれ、同じ環境で育ち、同じ大学に行った。にも関わらず、気質は違い、考え方も違っていた。

この2人は自分とは違う相手と分離することを望んだ。癒着しているのが、自分とは違う人格であったのだから、それは当然だったのかもしれない。

しかし、そうは言っても手術は非常に難解で、危険を伴うものであることを医師は2人に告げた。失敗すれば、どちらかが、あるいは両方が死ぬ可能性が高かった。

しかし、2人の決意は変わらなかった。

そして、2003年7月6日に分離手術が行われたが、まずラダンの方が大量出血で死亡し、次に後を追うようにラレの方も死んでしまった。

分離手術を行わなければ2人は生きていけたが、2人は自分と違う人格との分離を望んだ。

ラレ・ビジャニ、ラダン・ビジャニの姉妹は別の人格であり、別の理想があった。故に、これから結合したまま生きるのは「死にも劣る」と考えていたという。

2人は分離し、自由になり、自分の気質に合った生き方を望んだのだ。しかし、それは叶わなかった。

自分と似た顔付き、身体付きの人間がいたとしても、それはまったく違う人間であることを、この不幸な結末となってしまった2人の姉妹は表していた。



ラレ・ビジャニ、ラダン・ビジャニ姉妹。2人は分離を望んだが……。

環境が同じであっても、気質は同じにはならない


1990年3月7日に生まれたヘンゼル姉妹もよく知られている結合双生児である。

この2人は頭が2つ 、腕が3本、脊髄が2本、肺は4つ、心臓は2つ 、肝臓は1つ 、胃は2つ、腎臓は3つ、大腸は1つ、小腸は1つ、性器は1つ、足は2本という複雑な結合双生児であった。

ひとりはアビゲイル、もうひとりはブリタニーと名付けられた。この場合、分離すると一方は必ず死ぬことになるので、両親は分離手術を拒絶した。

そのため、2人は合体したまま生きることになった。このヘンゼル姉妹も、成長すればするほど2人の気質の差が顕著になっていったという。

アビゲイルは外向的でブリタニーは内向的だった。

ラレとラダンが外向的と内向的の気質を持っていたのと同じだ。身体の一部を共有していたとしても、「気質は違った」のである。

アビゲイルは運動がとても好きだが、ブリタニーは家でくつろいでいる方が好きなのだという。服装の趣味も違う。食べ物の好みも違う。

これは、環境が気質に影響を与える前に、その人には固有の気質が与えられていることを意味している。つまり、自分という存在は自分しかいないということなのである。

どんなに環境が同じであっても、気質は同じにはならない。

親や教師は確かに強い影響力を子供にもたらすのだが、それでも子供は本来持っている気質を保つ。

いくら外部の環境が限りなく同じであっても、人間は生まれながらにして、それぞれがユニークだったのである。



ヘンゼル姉妹。臓器の一部は共有しているのだが、気質は違った。アビゲイルは外向的でブリタニーは内向的だった。どんなに環境が同じであっても、気質が同じにはならない。

気質を変えるよりも、環境を変える方が合理的だ


性格というのは、年齢や出来事や環境によって変わる可能性がある。子供の頃はおてんばだった少女が、思春期を過ぎて大人になると驚くほどしとやかになることもある。

逆に子供の頃は大人しくて親の言うことをよく聞く「良い子」だったのに、思春期に入ってから反抗ばかりするようになって、手が付けられない性格になることもある。

学生時代は明るくて楽しい性格だったのに、社会人になってからは寡黙で孤独な性格になる人もいる。あるいは、年齢と共に性格が徐々に変わっていく人もいる。

「あの人は昔は、ああではなかった……」と言うのは、あなたも思い当たる人がいるはずだ。いや、自分自身が「子供の頃の自分は今とはまったく違う性格だった」と思うこともあるかもしれない。

性格は人生経験によって変わってくる。しかし、性格よりも深い部分である「気質」は、変化しないことの方が多い。気質は、人格の根幹にある部分である。

気質とは「外向的、内向的」「冷淡、温厚」という持って生まれた傾向のようなものを指す。これは絶対に変わらないとは言わないが、なかなか変わらない。

性格が変わっても、気質はほとんど変わらない。双子であっても兄弟であっても気質は違っており、通常はその気質が一生を通して続いていくことになる。

気質が違うと生き方も違う。外向的な人は外向的なやり方で人生を切り拓こうとするが、内向的な人は内向的なやり方で人生を切り拓こうとする。

言うまでもないが、気質に合った仕事や生き方やライフスタイルを持った方がストレスなく生きられるし、成功する確率も高い。無理なく生きられるからだ。

逆に気質に合わない生き方をしているとストレスが心身を蝕んでいく。自分を殺し、無理して生きているからだ。

気質に合わない環境にいると、人は取るべき方法は2つある。1つは「環境に自分を合わせようと無理する」か、もしくは「そこを捨てて自分に合う環境に移るか」である。

どちらが幸せか。自分の気質を変えようとせず、環境を変える方である。自分というアイデンティティは、気質や性格や知能が合体したもので成り立っているので、気質を変えるとなるとアイデンティティが揺らぐ。

アイデンティティは長い時間をかけて構築されたものであり、環境に合わせて都合良く変えられるものではない。とすれば、「そこを捨てて自分に合う環境に移る」方が合理的な判断であると言うことができる。

自分の気質に反する環境で生きているのであれば、自分の気質に合う仕事・生活・考え方・ライフスタイルに合う環境に移る方が絶対にいい。

結合双生児と違って、私たちは独立した肉体を持っている。環境を変えるというのは身体を分離するよりもたやすく、自分を変えるよりもたやすい。




明らかに分離が不可能な結合双生児も多い。脳が別々であれば、間違いなく気質も違うだろう。しかし、そうであったとしても、彼らは分離することができない。



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