奇妙な男がいる。物心が付くか付かないかの時期、4歳になる直前に母を亡くし、あまりにも貧しすぎて8歳の頃に父親と離れて救貧院の少年施設に入れられた男だ。

コミュニケーションがうまく取れないので、12歳で知的障害児の施設に入れられた。以後、自分の世界に閉じこもり、死ぬまでその姿勢は変わらなかった。

彼の名前はヘンリー・ダーガーといった。

彼はその後、16歳で病院の掃除夫として働き始め、73歳になるまでずっと掃除夫として暮らしていた。

他人とうまく会話することができず、仕事が終われば誰とも付き合うこともなく自室に引きこもり、まったく部屋から出ようとしなかった。

81歳で死ぬまで、ほとんど他人と付き合いがないままだった。いつも浮浪者のような格好をして、人に話しかけられても天気の話以外はしなかった。そのため、多くの人が彼を知的障害者と思っていた。

本当に彼は知的障害だったのか。いや、彼は子供の頃から読書が大好きで、小学校では1年から3年に飛び級をしたほどの知性を持っていた。


ダーガーは部屋に閉じこもって何をしていたのか?


ヘンリー・ダーガーは知的能力には何ら問題はなかった。ただ、他人とコミュニケーションがうまく取れず、極度の孤独者となって現実社会と分断されていた。

彼の人生はほぼ小さな自分の部屋に限られていて、掃除の仕事と教会の往復以外はずっと部屋に閉じこもったままだった。73歳で掃除の仕事を強制的に辞めさせられた後は、さらに部屋に閉じこもりっきりになった。

ヘンリー・ダーガーが80歳で体調を崩して救貧院に移った後、大家が彼の部屋の荷物を処分するために中に入ったのだが、そのとき彼の部屋に残されたものを見て大家は驚愕した。

そこにはヘンリー・ダーガーの残した大量の文書、大量の絵画が狭い部屋にびっしりと積み上げられていたのだった。

彼は部屋に閉じこもって何をしていたのか。約60年間、彼はずっと発表するあてのない超大河小説を書き続け、それに派生した独自の挿絵も描いていたのである。

その小説の題名は『非現実の王国で』というものだった。

正式名称は『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ─アンジェリニアン戦争の嵐の物語』と言った。

古いタイプライターで打たれたこの小説は、1万5000ページ以上の大作で、この小説こそが人類史上最長の小説ではないかと言われている。

さらに、この小説の後にも『シカゴにおけるさらなる冒険』という小説が書かれており、こちらも凄まじい大作で8500ページもの長編だった。

ヘンリー・ダーガーはこれをどうしようと思っていたのか。別にどうしようと考えていたわけではない。彼はこの小説を発表するつもりもなければ売るつもりもなかった。世の中に存在をアピールするつもりもなかった。

彼は自分自身のためにそれを60年間、書き続けてきたのである。「捨ててくれ」と彼は大家に言っていた。



ヘンリー・ダーガー。彼は部屋に閉じこもって何をしていたのか。約60年間、彼はずっと発表するあてのない超大河小説を書き続け、それに派生した独自の挿絵も描いていた。

発表するあてのない作品「アール・ブリュット」


ヘンリー・ダーガーが『非現実の王国で』を書き始めたのは19歳の時である。これは彼が死ぬ半年前までずっと書き続けられた。

ヘンリー・ダーガーの現実の世界は、狭く小さくちっぽけで取るに足らないものだった。しかし、彼の小説は違う。それは壮大で広大で遠大だった。まさに叙情詩である。

小説の主人公は7人の奴隷少女で、彼女たちが子供奴隷制を持つ軍事国家を相手にして知恵を絞りながら残虐な兵士たちと戦う物語だった。

ヘンリー・ダーガー自身も、この小説の中に少女たちの守護神として登場する。

現実世界ではただの貧しい掃除夫でしかなかったヘンリー・ダーガーだが、空想の世界では少女たちに知恵を授ける重要な役割を担っていた。

彼は自分が生み出す小説の中で生き、小説の中で暮らしていたと言える。

彼はうまく生きることができない現実社会と決別し、19歳で別次元の世界『非現実の王国』を自分で創り出し、そこで生きていたのだ。

だから、彼は作品を公開する予定もなかったし、彼自身はそれを作品とも思っていなかった。それは彼だけが足を踏み入れることができる別次元だったのだから……。

ヘンリー・ダーガーの創り出した『非現実の王国』のように、「発表するあてのない作品」は世の中には大量に存在する。

特に精神障害者が創り出す作品群は絵画の訓練も受けず、何にも縛られず、どこにも属しない独自世界のものである。フランスの画家ジャン・デュビュッフェは、こうした作品を「アール・ブリュット」と呼んで、カテゴリー化した。

ヘンリー・ダーガーが60年かけて作り上げた作品『非現実の王国』もまたアール・ブリュットだが、その長大さゆえにヘンリー・ダーガーのアール・ブリュットは異色であり独特だ。




『非現実の王国』の挿絵。彼は自分が生み出す小説の中で生き、小説の中で暮らしていたと言える。彼はうまく生きることができない現実社会と決別し、19歳で別次元の世界『非現実の王国』を自分で創り出し、そこで生きていたのだ。

「消された作品」の方が多いのではないか?


ヘンリー・ダーガーの創作物が世に出て世界を驚愕したのは、大家がたまたま画家であり、それを評価する能力があったためで、それは偶然の産物であったと言える。

もし大家が芸術の資質がまったくなければ、ヘンリー・ダーガーの作品群を見ても面倒臭いゴミだと思って捨ててしまった可能性が高い。

ヘンリー・ダーガー自身はそれが自分自身の妄想の産物であると自覚する知力はあったし、最初から発表するつもりではなかったものだった。

それを本人が「捨ててくれ」と言っているのだから、捨てたとしても誰が咎めることもなかった。

ヘンリー・ダーガーは、自分がもう死ぬと分かった段階で、本当に捨てて欲しかったのだ。それが世に出るということ自体が、彼にとって想定外だったはずだ。

彼は自分を芸術家だとも作家だとも画家だとも思っておらず、そのため他人にも小説を書いていることも絵を描いていることもまったく言わなかった。

誰もが彼が何をやっているのか知らなかった。他人はみんな彼が「頭のおかしな人」としか思っていなかったのである。

こうした事実を客観的に見つめると、ふと思うことがある。

ヘンリー・ダーガーと似たような境遇にある人の多くの作品は、恐らく捨てられているはずだという事実を……。

ヘンリー・ダーガーと同じように、まったく誰ともコミュニケーションを取らず、徹底した孤独の中で生きている人はこの世には大勢いる。

そして彼らの中には、誰も知らないところで膨大な作品を生み出している人もいるはずだ。ヘンリー・ダーガーがそうだったのだからゼロではない。

ヘンリー・ダーガーは、たまたま作品を評価してくれる人がいたのだが、世の中はそう都合良くできていない。逆に、作品を評価する人がいなくて、捨てられて闇に消された作品もあって当然である。

本当のところを言えば、「消された作品」の方が多いのではないか。本来であれば、人類の「至宝」ともなるべきものもあったはずだが、それは捨てられたのではないだろうか……。

ヘンリー・ダーガーを見てて、そう思うのは私だけではないはずだ。





ヘンリー・ダーガーは、たまたま作品を評価してくれる人がいたのだが、世の中はそう都合良くできていない。逆に、作品を評価する人がいなくて、捨てられて闇に消された作品もあって当然である。


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