ドナルド・トランプが大統領に立候補してから、トランプのまわりは罵詈雑言と中傷と口論の嵐となっている。

マスコミとトランプ、トランプ支持者と民主党支持者、あるいは反トランプ主義者とトランプ自身が激しく互いを罵りあっている。

「無能、間抜け、低能、軽率、大統領の器ではない、まったく何も考えていない、外交を知らない、政治を知らない、品位がない、嘘つき、差別主義者、女性蔑視……」

これらはすべてドナルド・トランプに連日のように向けられている攻撃の言葉である。これほどマスコミに集中砲火を浴びながら実務を行う大統領も珍しい。

また、何か言われたら激しい言葉で罵り返す大統領も今までにないタイプだ。

こうした状況の中で、インターネット内では急激に言葉による暴力が過激化し、殺伐とした空間になっている。

2017年7月12日、CNNは、アメリカの成人4248人を対象にした調査で41%が誹謗中傷を受けた経験があり、66%が他人が誹謗中傷されているのを目撃し、そのほとんどがSNSで発生していると報道した。


どんなに批判を受けようとも我を貫き通す人物


この激しい誹謗中傷の蔓延に、グーグルやフェイスブックはついに対策を余儀なくされている。

しかし、直接的な誹謗中傷は対策の抜け道を探して、言葉を変え、表現を変え、場所を変えていくので対策は後手後手になってしまう。

その結果、もはや繊細な人は生きていけないような無法地帯になってもおかしくない。

一方で、この世には批判されても中傷されても罵倒されても袋叩きにされても、まったく何の痛痒も感じないばかりか、むしろ他人の中傷・罵倒をエネルギーにして燃え上がっていく人間もいる。

ドナルド・トランプは、まさにそんな時代に現れた現代の象徴とも言える。

ドナルド・トランプの攻撃的な言動は反撥と憎悪を呼びやすい。だから、罵詈雑言を受けても自業自得という面もある。

しかしそれにしても、容姿から人格から政策まで、ほぼすべてに渡って凄まじい批判と中傷のネガティブ攻撃を受けても、気にしないでいられるというのは尋常ではない神経だ。

他人の評価のすべてを弾き飛ばす凄まじい闘争本能が最初から備わっている人物であるとも言える。まさにインターネット向きだ。

企業家の中にも、やはり激しい罵詈雑言を浴びてもまったく意に介さない人間がいて、たとえばスティーブ・ジョブズなどはその典型だった。

どんなに批判を受けようとも我を貫き通して、逆に自分を批判する人間を痛罵し、平気で切り捨てるような荒々しい性格だった。社員であっても容赦しなかった。

しかし、誰もがドナルド・トランプやスティーブ・ジョブズのような、批判を物の数とも思わないような性格を持ち合わせているわけではない。

多くの人は人格を傷つけるような誹謗中傷にさらされると、それを気に病み、恐れ、傷つき、落ち込む。しかし、それは「弱い」のではない。それが普通の人の姿なのである。

そんな中で、特に「繊細な心」を持った感受性の強い人たちは、激しい批判が続くと心が萎縮し、次第に精神のバランスを崩してしまうことになる。インターネットが精神を蝕む。



ドナルド・トランプ。容姿から人格から政策まで、ほぼすべてに渡って凄まじい批判と中傷のネガティブ攻撃を受けても、気にしないでいられるというのは尋常ではない神経だ。

人間の憎悪を止める方法は、発見されていない


繊細な心を持った人たちは、インターネット時代になって壮絶に生きにくい時代に入った。

インターネットの世界では、顔の見えない相手から突然、何の前触れもなく凄まじい批判が飛んでくる。そして、その批判と罵詈雑言は永久に記録されてそこに残る。

批判にさらされやすい有名人だけでなく、ごく普通の人たちでさえもそうなのだ。

その結果、インターネットの誹謗中傷が原因で深く落ち込んだり、鬱病になったり、自殺したりする人たちも激増した。

成人であっても誹謗中傷に耐えるのは覚悟がいる。

しかし、インターネットは成人だけのものではない。今や子供たちもスマートフォン経由でインターネットに接続し、SNSで友達とつながっている。だから、子供たちの間でもインターネットでのいじめが蔓延している。

インターネットは人々のコミュニケーションを円滑にする道具なのだが、それと同時に悪意と憎悪を相手に届ける道具でもあるのだ。

ここでは、憎悪が直接的で剥き出しだ。

そのため、もはや繊細な人たちが生きる場所は存在しないと思えるほど荒廃した社会になった。言論の自由があり、対策には抜け道がある以上、この荒廃はもっと加速していく。さらに深刻化する。

誰もが巻き込まれ、他人事ではなくなり、もっとひどくなり、恐ろしいことになる。

規制はもちろん避けられない。しかし、いかに罵詈雑言や中傷罵倒が規制されたとしても、それでインターネットが牧歌的になることは絶対にない。

人間の憎悪を止める方法は、発見されていない。

それは自分の身の回りの人間関係を見れば分かる。リアルの世界でも人間関係の対立やもつれや決裂があるのだから、インターネットでもそれが持ち込まれて当然なのである。



自分の身の回りの人間関係を見れば分かる。リアルの世界でも人間関係の対立やもつれや決裂があるのだから、インターネットでもそれが持ち込まれて当然なのである。

誰もが暴力と対峙しなければならない日がくる


人間は誰でも闇を抱えており、それはインターネットという空間にも充満する。そして、目を背けたくなる一歩手前まで状況は悪化していくことになる。

インターネットが深刻なのは、中傷や罵倒がいつまでも残って当事者を傷つけ続けるということだ。言葉の暴力が延々とリピートされる。

規制は意味を為さない。規制をすり抜けて、どんどん巧妙になって言葉の暴力は浸透していく。それが激しい勢いで個人に向かっていき、その人が破壊されるまで続く。

だから現代社会で最も深刻な危機にあるのは「繊細な心の持ち主」であると言える。

今後は、素直で優しく感受性が強く敏感でナイーブな性格の人間が生きられないような世の中になる。

こうした人たちは実は人間社会で最も重要な人たちである。彼らは社会に潤いと優しさと慈しみを与えてくれる。彼らは愛を表現することができる。

繊細であるが故に、その繊細な機敏を文学や音楽や絵画によって私たちに気付きを与えてくれる。その繊細さが、私たちに思いやりの重要さを教えてくれる。

美しい文化は、繊細な人たちの偉業で成し遂げられている。

ところが繊細な心の持ち主が生きていけないほどの罵詈雑言と誹謗中傷と叩き合いが蔓延するようになっている。そして、そうした叩き合いに耐性がついた人間が君臨していく世の中になっている。

叩き合いに耐性がついた人間というのは、自分が叩かれるのも平気だし他人を叩きのめすのも平気だ。

もともと、そういう性格の人がいるのだが、全世界でこうした人間たちが台頭し、言葉の暴力が吹き荒れ、突き刺さる危険な世の中になっていく。

これは誰にとっても他人事ではない。

暴力に満ち溢れた社会では、誰もが暴力と対峙しなければならない日がくる。「繊細な心」は今後の世の中を生きる上で致命傷になってしまうのだろうか……。

今のままで推移すると、どうやらそのようだ。



暴力に満ち溢れた社会では、誰もが暴力と対峙しなければならない日がくる。「繊細な心」は今後の世の中を生きる上で致命傷になってしまうのだろうか……。


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