未来という言葉の中には明るい雰囲気が含まれている。しかし、未来が常に明るいと考えるのは現実的ではない。

私たちの人生は、否が応でも時代に翻弄されてしまう。生まれた場所、生まれた時代が良ければ、自分の好きなことを追求して、自分の好きなように生きる人生もある。

逆に生まれた時代が悪ければ、生き延びることだけでも精一杯で、ときには個人の力ではどうにもならなくなって力尽きることもある。

恐ろしいのは、今がいくら輝いていても、それが最後まで続いていくとは限らないことだ。未来は必ずしも、良くなるとは誰も約束してくれていない。

たとえば、1920年代に生きていた人たちは稀に見る好景気の中で暮らし、「未来は夢がある」「未来には可能性がある」と考えていた。

ところが、1930年代に入ると、彼らの思いとは裏腹に、時代は一転して史上最悪の世界恐慌に突入していった。

この1920年代当時の人たちが味わった未来とは、失業と自殺の嵐だった。それが第二次世界大戦をも引き起こすことになった。当時、未来に輝きがあると考えていた人たちは、深い絶望の中に放り込まれたのだ。


個人の努力を押しつぶしていくのが「時代」の流れ


1930年代に生きていた日本人は、日本こそが大東亜圏の覇者となるという未来に生きていた。

しかし、1945年には東京大空襲によって焼け野原となり、原子爆弾をふたつも落とされて壊滅的打撃を受けた。それが1930年代に夢を描いていた人たちの苦渋に満ちた未来だった。

1980年に生きていた日本人は、日本はこのまま世界最大の富裕国になるという夢を描いた。国が豊かになれば、自分たちもまた豊かになる。日本の未来は明るいと誰もがバブルに踊ったのだった。

ところが1990年に入るとバブルは崩壊し、日本は未曾有の不景気に落ちていった。この不景気は今も日本人を苦しめ続けている。

2000年代のアメリカ人もそうだ。彼らもまた右肩上がりに上がっていく土地をサブプライムローンで買いながら、「これがアメリカン・ドリームだ」とうそぶいた。

自分たちには豊かな未来があると確信していた。ところが2008年9月15日のリーマン・ショックは、一気にアメリカ人の中産階級を没落させていったのだった。

人々は漠然と「未来は良くなるものだ」と考えている。

しかし、歴史を見るとそれは事実ではない。未来は良くなることもあるが、逆に悲惨なまでに悪くなることもある。

2000年に生きていた日本人が10年経った2010年の日本を見て、こんなにひどい国になっているとは夢にも思わなかったに違いない。しかし、これが現実だ。

シリアは世界最悪の「虐殺の大地」となっている。街はガレキの山となり、人々は爆撃で死んでいき、多くの人たちが周辺国を流浪し、地獄を這い回って、生まれて来たことを悔やんでいる。

しかし、2011年頃までのシリアは、中東でも比較的安定していて、平和が保たれ、キリスト教徒でさえも安心して暮らせる国だったのである。誰が、以後のシリアがこのような地獄になると想像しただろうか……。

時代が音を立てて崩れていくと、その中で個人がいくら努力しても徒労に終わる。個人の努力を押しつぶしていくのが「時代」という大きな潮流だ。





ISIS(イスラム国)と、彼らに両親を殺されて3年間性奴隷にされていた少女たち。2011年頃までのシリアは、中東でも比較的安定していて、平和が保たれ、キリスト教徒でさえも安心して暮らせる国だった。

グローバル化がもたらす意味に気付かなかった


不景気になれば、個人がどんなに努力しても仕事を失う人が増える。戦争になると、個人がどんなに努力しても殺し合いに巻き込まれる。

個人の希望や努力や夢や計画というささやかなものは、すべて時代がうねり始めると押しつぶされていく。人は大きな潮流に飲まれ、流され、溺れていく。

しかし、平和な時代しか生きてこなかった人たちは、それを説明されても実感として理解できないことが多い。本当にそのような時代が来ないと分からない。

貧困の時代が来るというのも、暴力の時代が来るというのも、実際にそれが来るまで人々はピンと来ない。

2000年に入った頃、経済アナリストの誰もが次のように言っていた。

「グローバル経済はさらに加速して日本の空洞化は進み、日本人はどんどん貧困に落ちていく」

ところが多くの日本人は、グローバル化がもたらす意味に気付かなかった。グローバル化で日本人が貧困に落ちるとは誰も信じなかった。

「貧困」という言葉さえ、当時の日本人は実感が伴っていなかった。そんなものは「遠い遠い過去の郷愁」と考えている人もいた。

自殺する人が年間3万人を超え、GDP成長率が下がり、内需が落ちているという明確なシグナルが出ていたのに、日本が没落するなどあり得ないと頑なに考えていた人たちもいた。

「未来は常に明るい、未来は進歩する、未来は夢がある」と彼らは本気で信じていたのだ。しかし、すべてが吹き飛んで消えていった。

未来は常に明るいと考えるのは勝手だが、現実は必ずしもそうではない。未来は明るいのか暗いのかは、その時々の社会情勢によって決まるので、「常に明るい」と思い込んだら足元をすくわれる。

明るくない可能性もある。

現実主義者は、未来が不確実だという認識を持つ


時代はうねる。自分の未来が運の良い時代に恵まれるか、不運になるかは誰にも分からない。

気が付けば、殺戮の大地になっていた中東。気が付けば、疫病の大地になっているアフリカ。気が付けば、国内に貧困者が溢れているアメリカ。気が付けば、移民で混乱状態となった欧州。

気が付けば、周辺国と激しい対立にある日本……。

時代が大きなうねりを上げて変わっていくと、私たちはみんな個人の努力とは別のところで人生がねじ曲がる。

10年後には自分を取り巻く世界がどうなっているのか想像することすらもできない。

もしかしたら、人類は大混乱を国際協力と平和主義で乗り越えるかもしれないが、逆に憎悪と暴力にまみれて第三次世界大戦の最中にあるかもしれない。

未来が不明確になっている今、私たちは現実主義に徹する必要がある。「未来」という言葉は前向きな印象がとても強いが、実際のところどうなるのかは誰にも分からない。

今後、私たちは次のような歴史に関心を持った方がいいかもしれない。

大恐慌に巻き込まれた時、どんな人が助かったのか。猛烈な不景気がやって来たとき、誰が助かったのか。戦争がやって来たとき、何をしている人が助かったのか。

現実主義者は未来が不確実だという認識を持つ。時代が悪ければ自分の人生も時代に飲まれることを知っている。

日本人は何も考えていないのだが、場合によっては「日本人だから」という理由で強制収容所に入れられてアウシュビッツのような地獄を見るかもしれないのだ。

日本人を憎悪する国もあるのだから、暴力も、テロも、戦争も、やがては日本を覆い尽くす日が来るかもしれない。そうなれば、自分自身の人生も大きく暗転する。時代は個人の人生を破壊する凶暴なエネルギーを持っている。





ホロコーストの記憶。日本人は何も考えていないのだが、時代が来れば、「日本人だから」という理由で強制収容所に入れられてアウシュビッツのような地獄を見るかもしれない。日本人も憎悪されているのだから。



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