海外に向かうと、その国の代表する都市や観光地よりも、名も知らない郊外や、何気ない普通の住宅地や、発展から取り残された一角に関心を持つ人もいる。

華やかな場所は世界中どこでも似通ってくる。高層建築物もショッピングモールもテナントも、今や世界中どこでも同じようなものになっている。

しかし、そこから一歩でも路地裏に潜り込んでいくと、急にその国独特の姿が顔を現すことになる。

路地は観光客のために存在しているわけではない。それは、そこに住む人たちの生活空間であり、憩いの場であり、子供の遊び場である。

外国人のための利便性など考えられていないし、最初からそんなつもりもない。

そこにいる人たちは普段着で過ごしている。店は本当に現地の人たちのためだけの物しか売っていない。食堂も英語のメニューもなければ外国人向けの味付けもない。愛想もなかったりする。

つまり、路地裏にはその国の人たちの本当の姿が残っていて、だからそれを愛する人たちがたくさんいる。私もまた、そんな人間のひとりである。


グローバル化に飲まれて変わるプノンペン


最近、カンボジアのプノンペンを再訪したが、この街はまさにこれから大きく変わろうとしている途上にあった。まだまだバイクも多いが、街が整備されて車も多くなった。

中国工商銀行、アユタヤ銀行、サイアム・コマーシャル銀行、ANZロイヤル銀行、パブリック銀行、メイ・バンクと外資の銀行も街で見かけるようになっている。

これは中国人やタイ人やオーストラリア人やマレーシア人がカンボジアを経済的に攻略するためにやってきているということであり、外部からグローバル化による投資資金が流れ込んでいるということでもある。

空港も昔と比べて大きくなった。街の至る所で工事が同時開発しており、再開発が進み、ゆっくりと確実に都市化に向けて姿を変えている。

プノンペンはどんどん変わる。時間はかかっても、やがてはバンコクのように大きな都市に育っていくのだろうと充分に予測できる展開だ。

街の賑わいや豊富でカラフルな商品、郊外の素朴な風景、安くておいしい食事、道行く人々の物腰の柔らかさ、女性たちの美しさ、独特の活気……。

プノンペンは私が知っている2000年前後の姿と違っている。懐かしさはあるが、昔と同じではない。この国は経済成長の波に乗って、お決まりのように農業大国から工業大国へと脱皮しつつある。

私の目の前で展開されていたのは、まさにグローバル化に飲まれて変わっていこうとしている国の姿でもあった。「ホワイト・ビルディング」と呼ばれている廃墟スラムのビルのようなものも残っているが、風前の灯火だろう。

どっちを向いても、個性のない高層ビルの建設ばかりになろうとしている。林立するビル群は、人々の姿もやがて先進国の人たちと変わらないものに変えていく。

これから何が起きるのかだいたい予測はつく。

今はまだ賑わっている市場のいくつかは取り壊され、欧米の無機質なショッピングモールに取って変わるはずだ。

そこでマクドナルドやケンタッキーフライドチキンやスターバックスのようなテナントが入ってグローバル化に飲まれた光景が現れる。

やがてカンボジアの子供たちも、それを食べて育ち、欧米の多国籍企業の味覚から離れられなくなる。

1980年代以後のタイがそうだった。




今はまだ賑わっている市場のいくつかは取り壊され、欧米の無機質なショッピングモールに取って変わるはずだ。そこでマクドナルドやケンタッキーフライドチキンやスターバックスのようなテナントが入ってグローバル化に飲まれた光景が現れる。

路地の一歩裏に入ると、昔ながらの光景が残っている


高度成長というのは何か、それは何をもたらすのかを、私はタイを通して、自分の目で見て、実地で学んだ。タイは劇的に豊かになり、バンコクの外見が明らかに変わった。

自分が一目惚れして恋した古い光景が、次々と破壊されて違う姿へと変えられて行くのも見なければならなかった。

バンコクという都市が、どこにでもある無機質な都市へと変わってしまった。そして、人々も変わった。それは今でも感じるものだ。資本主義がタイの人たちを1990年代の10年間だけで、劇的に変質させた。

しかし、嬉しいこともあった。

国が発展しても、変質するのは都市の中心部がメインで、路地の一歩裏に入ると、昔ながらの光景がしぶとく、健気に残ったことだ。

途上国独特の、あの怠惰でどこか空気が弛緩しているかのような古い光景が、路地裏にそのまま保存された。

日本でもそうだが、下町にいけばまるで昭和初期に建てられたような建物が朽ち果てそうになりながらも、まだ残っているのを見て、深い感慨を覚えることもある。

バンコクも、そういった「タイムマシンで過去に戻ったような場所」が路地裏にたくさんあって、それが私を安堵させる。そして、なぜ私はバンコクが好きだったのかを、その光景を見て思い出す。

私は新しい街の斬新な光景よりも、昔ながらの古い光景の方が好きだ。きらびやかな都会のど真ん中よりも、過去を圧縮したような下町の光景の方が好きだ。

瀟洒なレストランよりも、威勢のいい中年女性が作ってくれる屋台の料理の方が好きだ。

下町の狭い路地のごちゃごちゃした光景や、小さな粗末な家が建ち並んでいてそれぞれの家庭から夕食の匂いが漂ってくるような、そういったものを心から愛している。

バンコクは確かに変わった。しかし、開発の遅れた地区や路地裏はまだ昔ながらの光景が残ってくれている。だから、路地裏は好きだ。





私は新しい街の斬新な光景よりも、昔ながらの古い光景の方が好きだ。下町の狭い路地のごちゃごちゃした光景や、小さな粗末な家が建ち並んでいてそれぞれの家庭から夕食の匂いが漂ってくるような、そういったものを心から愛している。

古いものは案外しぶといというのを知って安堵した


今、プノンペンも変わりつつある。しかし、路地裏には昔の古い光景が残されて、昔の光景をそっくり継承していくはずだ。

それは客観的に見ると「取り残された」という言い方になるのかもしれないが、それが極まると逆に魔界が残ったような魅力となって存在が浮き上がるのが興味深い。

アジアのダウンタウンは、もちろん日本の昔の下町とはまったく光景が違う。建物も違うし、人々も違う。文化も違えば、そこの匂いもまったく違っている。

それなのに、なぜか現地の普通の人たちが適当に住んでいる街の路地裏というのは、どこの途上国でもあまり雰囲気が変わらないのが面白い。

子供が追いかけっこをして遊んでいたり、痩せた猫がだらしなく寝そべっていたり、太った主婦が井戸端会議でもしながら笑い声を上げていたりしている。

どこの国でも同じ光景があって、雰囲気がそっくりだ。

日本の各都市の下町も、タイのフアランポーン裏の下町も、インドネシア・ジャカルタの下町も、みんな雰囲気が同じで、びっくりするほどだ。

昔は、国が発展していくと、古いものは完膚なまでに叩き壊されて、いずれ何もかも淘汰されて完全に消え去って行くものだと思っていた。

しかし、この頃はやっとそうでないことを知った。古いものは案外しぶといし、景観を変えたくないと思う人も、変えたくても金がない人も山ほどいる。

国が経済成長すると言っても、成長はまだらだ。ある人々は豊かになるが、多くの人たちはそんなに変わらない。表側はどんどん都会化するが、裏側は相変わらず昔のまま残る。

つまり、古い光景が生き残る。おまけに古いものが新しくなる前に、新しいものまでどんどん古くなって意外に馴染んでいったりする。

郊外都市も中途半端なまま取り残されることが多いので、その国の趣(おもむき)が濃厚に残ったりする。途上国の郷愁を感じさせる雰囲気はなかなか消えない。

そんなわけでプノンペンもこれからはどんどん変わってしまうだろうが、それでも変わらない部分も大量に残されるはずだと思って楽観している。

「古いものは案外しぶとい」というのを私は学んだ。




プノンペンもこれからはどんどん変わってしまうだろうが、それでも変わらない部分も大量に残されるはずだと思って楽観している。「古いものは案外しぶとい」というのを私は学んだ。



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