私は今も昼夜逆転の生活をしている。これはもう治せない。では、真夜中に起きて何をしているのか。何かを書いたり、真夜中に街をうろうろさまよい歩いている。

誰もいないゴーストタウンになった真夜中のストリートをふらふらと歩くのも好きだし、歓楽街をあてどなくさまようのも好きだ。

私は昔からずっと旅人の気質があって、アウトサイダーで、孤独だった。今でも私は女性と関わっていなければ、誰ともひとことも何も話さないで何日も過ごす。

私は人が嫌いではないのだが、表側の社会はドロップアウトした人間にはとても冷たい。東南アジアの売春する女性と縁が切れない男であればなおさら誰も関わってくれない。

まともな経歴を持った人は、私との関わりを避けて当然だ。誰がアンダーグラウンドの人間と付き合うというのか。売春する女性が心から好きだという男に誰が好意を持つというのか。

若い頃に売春地帯に溺れて表側の人たちと感覚が合わなくなったのに気付いた後、私は自ら知り合いを断ち切った。

以来、私はひとりも友人がいないまま数十年を過ごすことになって今に至っている。私の本質は何も変わっていない。私は相変わらず社会と乖離して孤独だ。


ここは、何も持たない人間を踏みにじる世界だった


私は孤独なのだが、そのわりに信じられないほど寂しがり屋という側面もある。

だからひとりであることに気付いたとき、誰でもいいから、そして嘘でもいいから、しっかりと私を抱き締めて「何を心配してるの。大丈夫よ」と言ってくれる女性を求めた。

どこにそんな女性がいるのだろう。表社会にはいなかった。私にとっての聖母はアンダーグラウンドにいた。

皮肉なことに、私を社会からドロップアウトさせたのは売春する女性たちだったが、私を慰めてくれるのも売春する女性たちだった。

そのため、私は二十歳以後の人生の大半を、彼女たちに依存して生きることになった。

売春する女性たちが、私のすべてとなった。

このあたりを掘り下げて書いているのが電子書籍『バンコク売春地帯』である。




当初、私はただ単純に売春する女性と付き合うのは、スリルとセックスが手に入って楽しいという理由だけだった。シンプルだった。何も考えていなかった。

しかし、やがて彼女たちと長い夜を過ごすうちに、「家が貧しかったからこの仕事をしてる」とか「お金がない」とか「この仕事しか私にはない」という話を繰り返し繰り返し聞くことになり、少しずつそれが私の心の中に沈澱していった。

貧しいからそこにいる……。

それが彼女たちの人生だったのだ。私はただの旅人であり、一匹狼である。社会活動家でもなければ、NGO団体の職員でもなければ、人道団体でもない。むしろ、私は彼らに糾弾される立場の人間でもある。

しかし、彼女たちと一緒にいるうちに、私は彼女たちを貧困に追いやっている社会の矛盾や資本主義の残酷さや国や政府の限界に気付かずにはおられなかった。

社会の仕組みが彼女たちを通して見えてきた。この世は、何も持たない人間を踏みにじる世界だったのである。

初めて東南アジアを訪れたのはタイだったが、当時のタイはドンムアン空港からフアランポーン駅までの鉄道区間にびっしりと掘っ立て小屋が張り付いており、初めてそれを見たとき、私は貧困を目の当たりにして驚いた。

その後、フアランポーン裏やヤワラー地区に沈むようになったのだが、そこでも都市貧困は剥き出しのまま残されていた。

その後、私は不衛生な旅社(ゲストハウス)に寝泊まりし、屋台の安い食事を取り、300円や400円で身体を売る女性たちと付き合うようになっていった。

これでいいのだろうか、こんな人生で私はどうなってしまうのかと何度も何度も自問しながら、抜けられなかった。抜けるどころかどっぷりとはまり込んでいった。

タイはあまりにも包容力が深すぎて、私を離してくれなかった。離れたいが離れられない。日本に戻ってもまたタイを想う。このあたりを掘り下げて書いているのが電子書籍『タイでは郷愁が壁を這う』である。




売春する女たちは確かに私を慰めてくれたし、私にとってはもはや依存対象でもあった。しかし、彼女たちは別に私を愛してくれているわけではないし、私という人間を好きで一緒にいてくれるわけでもなかった。

彼女たちにとってはすべては「金」だった。

売春ビジネスは「No Money, No Honey(金の切れ目が縁の切れ目)」であり、私に金がなければ彼女たちは手を握ることすらも拒絶しただろう。

それが現実だったので、私はドロップアウトしたにも関わらず自分が資本主義の論理で生きるしかないことを悟った。

「金こそすべて」の資本主義を私は好んでいない。

資本主義ではなく、最も優しい人が世界に君臨する愛情主義の世界になって欲しいと思うのだが、資本主義である以上はそんなことを言ってられなかった。

だから、私自身も注意深く資本を切らさないように立ち回りながら生きるようになったのだが、そもそも私が資本を切らさないための理由は、売春する女たちに依存するには金がかかるからである。

私自身は物欲もそれほどない。贅沢な暮らしも必要としていない。高級な料理もまったく食べたくない。何も持たなくても別に構わない。

スラムでさえも生きていけるほどの耐性を持ったので、それこそ年収100万円だったとしても私はまったく何の問題もなく生きられるだろう。

しかし、売春する女たちと付き合う一点で私は蕩尽するための資産が必要であり、そのために私は資本主義でうまく立ち回る必要があった。

そこまでして売春する女性たちと付き合うことにこだわったが、彼女たちが天使ではないということは充分に分かっていた。

こうした「裏のある女性たち」を題材にして書いたのが電子書籍『ストレッチマーク』だ。真夜中の女たちは、いろんなものを隠している。




私はいったん東南アジアの売春地帯を離れようと努力したこともあったのだが、数年に及ぶ努力の末に自分を見失ってノイローゼ状態になった。

忘れようと努力すればするほど、夜中に売春地帯のリアルな夢を見るようになり、昼間でも白昼夢に落ちた。

結局、自分は売春する女性を忘れることができないのだと悟って、再び東南アジアの売春地帯に戻っていった。

タイ・バンコクの売春地帯はまったく変わらず私を迎えてくれたのだが、バンコクは街がどんどん発展していき、私はかつて感じた東南アジアの郷愁をタイに感じることができなくなってしまっていた。

時代は変わり、私は取り残されつつあった。しかし、ちょうどその頃、隣国カンボジアでは長い内戦が終結して、荒廃した国家が立ち直ろうとしているところだった。

東南アジアの郷愁を求めていた私は、1990年代後半のあるとき、ふと何気なくカンボジアの首都プノンペンを訪れたのだが、そこで私が見たのは、まさに東南アジアの郷愁を具現化する光景だった。

砂塵が舞い上がる道、粗末な掘っ立て小屋が林立する国道沿い、そして荒んだ売春宿、貧しさを隠すこともできない売春する女たち……。

タイが消し去った過去の光景がすべてカンボジアに残っていた。それは私が欲しかったもの、私が求めていたもの、私が夢にも見たものだったのだ。

だから私は狂喜乱舞して、以後カンボジアにどっぷりとなった。カンボジアの中で、私は貧困と売春の世界に溺れ続けて抜けられなくなった。

その2000年前後のカンボジアを描写したのが書籍『ブラックアジア第一部』である。ブラックアジアの読者のすべてに読んで欲しい一冊だ。




ところで、この当時カンボジアの売春地帯で最も有名だったのは、スワイパーと呼ばれるプノンペンから約11キロ離れた場所である。

上記『ブラックアジア第一部』でもスワイパーについてはいくつか触れているのだが、このスワイパーは人身売買された未成年の女性が多く収容されていた売春地帯であり、国際的にも悪名高い場所でもあった。

本当のことを言えば、スワイパーはまだマシな方で、もっと極悪な場所も他にあった。

しかし、売春地帯としてのスケールや売春する女性たちの多さや、売春地帯としての完成度においてスワイパーに適う場所は他になかった。

このスワイパーに関して多くを語っている書籍はまったくないし、この当時のスワイパーがどんなところだったのかを描写したものもない。

私以外にスワイパーがどんな場所だったのか知っている男は多い。闇に沈没していた男は大勢いた。にも関わらず、誰もそれを話さない。

話せば、その人はソドムの住民であることが知られて批判されるからである。

しかし、私自身はすでに売春地帯に堕ちた男であることは公言しているので、何の制約もない。

だから、私は自分が知っているスワイパーの女性たちや、スワイパーで起きた実際の事件をいくつも取り混ぜながら、当時のスワイパーがどんなところだったのかを記したいと思った。

そういった思いで書いたのが、電子書籍『スワイパー1999』である。当時のスワイパーで何が起きていたのか。小説なのだが、すべてにモデルがいて、すべてに現実の事件が絡んでいる。




ところで、私はカンボジアを愛していたのだが、2000年の後半頃からカンボジアを捨てる決断をしていた。

カンボジアはあまりにも少女売春が多すぎて、私のように未成年の少女に関心がない人間も、カンボジアにいると十把一絡げにされて逮捕される恐れがあった。

人権団体が売春地帯を監視するようになり、政府の監視もどんどん強まっていた。カンボジアはいるべき場所ではなくなっていたし、売春地帯も摘発されるのも時間の問題だった。

しかし、バンコクにはすっかり倦いてしまっていた私は新天地が必要だった。新天地はどこにあったのか。それは、インドネシアにあった。

インドネシアは島国だが、それぞれの島に売春地帯があって、首都ジャカルタの売春地帯よりも、島の奥深くに隠されている売春地帯を見つけるのに私はすっかり夢中になっていた。

カンボジアのスワイパーは全世界に知られた売春地帯だったが、驚いたことにインドネシアはスワイパー級の売春地帯が山ほど存在していた。

中でも私が虜(とりこ)になったのが、シンガポール南部に位置するインドネシアの島々だった。「リアウ諸島」と呼ばれるこれらの島々には、ジャワ島やスマトラ島の女性も大量に流れて来ていたのだ。

インドネシアは売春地帯が数多く隠されている。なぜ隠されているのかというと、インドネシアはイスラム教の国であり、性的な堕落を肯定しないからである。

だから売春地帯は山奥の向こうに隠されているのだが、逆にそれが売春地帯にどっぷりと浸るハイエナのような男たちには心地良い世界となっていたのだった。

インドネシアの売春地帯については書籍『堕ちた女の棲む孤島』で描写した。




インドネシアのさらにディープなのは、カリマンタン島の売春である。

カリマンタン島と言えば、日本ではボルネオ島という言い方の方が通りが良いが、この広大な島も闇の中にひっそりと売春ビジネスが闇の中で存在していた。

この当時、体力が充実していた私は7時間以上も飛行機に乗って、何時間も船に揺られ、そこからさらにバイクで1時間以上もかかる売春地帯に向かうのに何の問題もなかった。

カリマンタン島もまた訪れるのに大変な島ではあったが、私は見知らぬ売春地帯にたどり着く喜びに溢れていて、苦痛などまったく何もなかった。

カリマンタン島はアジアで最も広大なジャングルが残っている場所ではあるのだが、そのジャングルは国土の開発のためにどんどん燃やされて消されている。

そのため、夕刻にもなると街に凄まじいヘイズ(煙害)が流れ込み、ストリートで売春する女たちの姿はまるで煙の向こうから現れるゾンビのようにも見えた。

売春宿もいくつかあったが、売春宿のまわりにはチンピラもうようよして危険な場所でもあった。しかし、当時の私にはこれほど気に入った環境はなかった。

誰も知らない世界、誰も知らない虐殺の歴史、誰も知らない女たち。そんなカリマンタン島の夜の闇を小説の形で描写したのが電子書籍『真夜中のカリマンタン島』だ。小説だが、私にとって忘れられない女性がモデルになっている。




インドネシアの島々をさまよい歩きながら、私は日本にいるときも東南アジアの女性たちと付き合っていた。当時、新宿歌舞伎町、池袋北口、新大久保、町田は、外国人女性によるストリート売春のメッカとなっていた。

日本は1980年代から東南アジアの女性たちが歓楽街に沈んでおり、彼らは「ジャパゆきさん」と呼ばれていた。

日本がまだ貧しかった明治・大正・昭和初期には東南アジアに売られる日本女性がたくさんいた。

彼女たちは「からゆきさん」と後に言われるようになったのだが、日本が豊かになると「からゆきさん」が消えて「ジャパゆきさん」が登場したのだ。

「ジャパゆきさん」はフィリピン人、タイ人、台湾人、中国人、韓国人、コロンビア人等々で占められており、中でもタイ人の女性が目立った。

その中で私は町田のホテル街のうらぶれた雰囲気と荒んだ「ちょんの間」の雰囲気にとても惹かれて、何度も何度も通うようになり、そこでひとりのタイ人女性に心を奪われた。

しかし、この女性もちょんの間の一斉摘発によって逮捕されて強制送還された。そして、その後は「ちょんの間」も火災で焼けて2004年には歴史の闇と共に消え去っていった。

このタイ女性のことを想いながら書いた小説が電子書籍『グッドナイト・アイリーン』だ。

その後、私はあてどなく何度も昔の面影を想いながら町田を訪れては去っている。しかし、町田はもう私を呼び寄せる東南アジアの女性はどこにもいない。




一方、私はインドネシアのリアウ諸島に入る過程でシンガポールにも訪れていたのだが、そこでインド圏の女性たちが売春する姿を目撃していた。

真夜中の暗闇の中でタバコを吸い、ギラギラとした目で男たちを見つめる彼女たちの中に、ひとりのスリランカ女性がいたのだが、私はこの女性に心から惚れた。

彼女を離したくないと思ったり、彼女と時間の許す限り一緒にいたいとも思った。まさか、自分がインド系の容姿をした女性に惚れるとは思わなかったのだが、彼女とは本当に気が合って離れがたかった。とても優しかった。

日本人の感覚から言うと、顔付きはとても凶暴でひどく冷たい雰囲気なのだが、そんな女性が気持ちが通じ合えば可愛らしい仔猫のように甘えて束の間の愛を与えてくれた。

しかし、そんな彼女もまたシンガポール当局の売春摘発によって姿を消した。私はひとり取り残された。

彼女を通じて私は急激に東南アジアから南アジアに関心を持つようになり、一通りインドネシアを見て回った後に、インドに向かうようになった。

インドには何があったのか。初めて私がインドに降り立ったのはコルカタ(旧カルカッタ)だった。空港を降りてすぐに、路上に行き倒れになったような人たちの群れに遭遇した。

コルカタの中心部に入っても路上に暮らすホームレスの姿があちこちにあって、この国はかつての東南アジア以上に荒んだ場所であることを私は思い知った。

売春地帯もストリート売春も剥き出しだった。

何度もコルカタを訪れるうちに、私は物乞いをする女性とも知り合うようになったのだが、彼女たちとは10年後に再び会った。10年前に物乞いだった女性はその後どうだったのか。まだ物乞いをしていた。

貧困層は這い上がれない現実に私は打ちのめされたが、こうした光景を記したのが書籍『絶対貧困の光景』だ。




インドの売春地帯は荒んでいる。その荒み具合は東南アジアの貧困売春を知っている人間にとっても衝撃的だ。あまりにも不衛生な現場、不衛生な女性、暴力的な男たち、互いに憎み合う姿……。

インドの売春地帯ではいろんな女性たちと会ったが、どの女性も強烈なインパクトを与えてくれた。良い意味でも悪い意味でもインドの女性たちは忘れられない。

インドはデリーやムンバイの売春地帯も回ったが、私がとりわけ好んでいたのはコルカタだった。

コルカタは「ソナガチ」と呼ばれるインド最大の売春地帯の他に、当時はいくつもの売春地帯が点在していた。

その中で私が最も好きだったのがムンシガンジの売春地帯だった。インドには郊外のあちこちにスラムがあるのだが、そのスラムの入口に、そこのスラムに住む女性たちが売春をしていたりする。

いわゆる「スラム売春」だが、ムンシガンジの売春地帯も典型的なスラム売春だった。インドの女性はとても饒舌なのだが、中には寡黙と言ってもいいほど無口な女性もいる。

ムンシガンジで私が気に入った女性は本当に寡黙な女性だったが、彼女がそうなった原因を聞いて、私は改めてインドの貧困の根深さに戦慄した。

コルカタの売春地帯で知り合った女性たちをモデルにして書いたのが電子書籍『コルカタ売春地帯』だ。インド最底辺の女性たちの地獄は、日本人の想像を絶するものがある。




インドはあまりにもハードすぎる国であり、私はこの国の売春地帯をさまよい歩きながら精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまった。

結局、私は東南アジアに戻り、売春地帯に堕ちるにしてもフィリピンやタイの安全で安心な売春地帯にのんびりとするようになった。

以後、私は交通事故に遭ったり、激しい頭痛や突発性難聴に苦しめられるようになっていくのだが、健康を失っていく中でも私は売春する女たちと一緒にいたいと思った。

そんな私が居心地が良いと思ったのがタイのリゾート地区であるパタヤの売春地帯だった。

もはや私は完全に売春地帯依存症にかかっていた。どうしても身体を売る女たちから離れられないのである。売春地帯はどこでもハードな場所なのだがパタヤだけは違った。

それなりに治安は確保されており、街はこじんまりとしていて、食事は何を食べてもうまく、それなりに物価も安い。

こうしたこともあって欧米のリタイアした高齢層も多くいるのだが、それでも売春地帯は売春地帯であり、堕落と享楽は多くの男を破滅に追いやっていた。

売春地帯が心地良いというのは、そこに深入りして金を蕩尽するということだ。金を失うと、途端に売春地帯は牙を剥く。

「No Money, No Honey(金の切れ目が縁の切れ目)」という現実が現れるのだ。

この売春地帯は心地良さで男たちを地獄に陥れる場所だったのだ。これを描いたのが書籍『ブラックアジア第二部パタヤ編』である。




私の人生はずっと売春する女性を追いかける人生だった。売春は貧困と共にある。だから、私はずっと社会の最底辺に生きている貧困の女性と一緒にいたということになる。

私は日本女性にはまったく関心がなかった。

日本は豊かな国であり、アジアのみならず世界でも有数の先進国である。そこに住む日本女性は豊かさを享受して、貧困とは縁がないはずだった。

ところが、私が夢中になって東南アジアやインドの女性を追いかけてきたその最中、日本女性はゆっくりと、しかし確実に貧困に追い込まれるようになっていた。

バブル崩壊以後、日本は雇用がどんどん悪化するようになり、消費税の導入や総量規制のような誤った経済政策によって立ち直れなくなっていた。

さらに2000年代に入ってからは非正規雇用が爆発的に増えるようになって、雇用の不安定化は極大化した。

その結果、正社員で採用された者とそうでない者の間で格差が生じるようになっていき、その格差が社会を疲弊させるようになっていた。

女性の貧困もしばしば報道されるようになり、3人に1人の単身女性が貧困に堕ち、「普通の女性」が風俗に流れて働くようになっていると聞くことが多くなった。

2014年あたりから、私はやっと「貧困」を通して、日本女性に関心を持つようになっていった。

私は日本のアンダーグラウンドのことはまったく何も知らなかったが、日本の女性がどうなっているのかを知るのであれば、堕ちた日本女性に直接聞いてみるのが一番いい。

そこで2015年から2016年にかけて多くのデリヘル嬢と会って話を聞き続けたのだが、それをまとめたのが電子書籍『デリヘル嬢と会う』である。




社会が悪い方向に向かうと女性は突き堕とされる。堕ちた女性は身体を開く。そんな女性たちとずっと私は付き合ってきた。今も私は昼夜逆転の生活を続けており、真夜中になったら飢えたハイエナのように街をさまよい歩く。

社会には底辺がある。底辺には堕ちた女性がいる。私はこれからもずっと堕ちた女性しか関心を持たないだろう。堕ちた女性の人生を私は自分の中に取り込む。


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鈴木 傾城



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