世の中が安定しているとき、あるいは景気がどんどん良くなって人々が幸せな状態にいるとき、最も強いのは資産を持つ人である。

なぜなら、世の中が安定すると資産は配当を生み出し、あるいは投資が利益を生み出すからだ。資産があれば贅沢もできるし、良い環境で暮らすこともできるし、良い教育も医療も受けることができる。

安定した国で資産を持つ人間は最強だ。

しかし、自国の経済情勢が悪化し、自分を取り巻く社会が混乱し、愛する祖国が衰退や破綻に向かうようになると、持っている資産は見る見る減少していく。

資産は何も生み出さなくなり、今の生活水準も維持できなくなる。混乱が続くと、失意の中でダウングレードを強いられ、自信も喪失していく。

戦争や、突発的な金融危機や、国家の債務不履行や、強度の不景気(大恐慌)が起きて社会が崩壊したとき、ビルから飛び降りたり首を括ったりする人は「資産を失った人」である。

多くの人にとって地道にコツコツと築き上げた資産は命の次に大切なものなのだが、それを失うというのは強烈なショックであり、深い絶望である。だから、すべてを失った人は生きる希望も失い、自ら死を選ぶようなことになる。


世界の不安定化で、資産を持つ人がすべてを失う


国の崩壊で「すべてを失う」というのは、1945年の日本人はみんな経験している。

日本は第二次世界大戦にのめり込んでいったが、やがて戦況は悪化し、国土が空襲で焼かれ、最後には二発の原爆で人類史上類を見ない被害を受けた。

広島の惨劇は今も世界中で語り継がれている。(原爆が投下された広島の惨劇は、いよいよ重みを増していく

人類の歴史は戦争の歴史であり、「すべてを失う」という経験はあり得ないことでも珍しいことでもない。

現在、イラクやシリアの人々は国土の破壊で何もかも失ってしまっており、数百万人にものぼる人たちが着の身着のままで自国を捨てて国外に脱出している。

この人たちの中には国内で資産を持ち、安定的な生活をしていた人たちもたくさんいた。しかし、国の崩壊と共にすべてを失ってしまった。

社会を崩壊させるのは戦争だけではない。

経済崩壊もあちこちで起きている。2014年以後、中南米は動乱に見舞われているのだが、その中でも最も動揺しているのがベネズエラである。

ベネズエラはウゴ・チャベスの死後、ニコラス・マドゥロ大統領が後を継いだ。

しかし、2014年以後、石油価格の暴落と共にベネズエラは国家崩壊の危機に見舞われ、すさまじいインフレと治安悪化で通貨も大暴落してしまった。ベネズエラの自国資産を持っている人は、資産価値のほぼすべてを失った。

メキシコも再びドラッグ・カルテルが活動を活発化させて死者を莫大に増やしているのだが、この国はドナルド・トランプ大統領が登場してから「アメリカの富を奪っている」と激しく攻撃されて、経済が不安定化している。

いつの時代でも、何らかの要因で経済状況が悪化して止められなくなる局面が発生する。うまく立ち回れない国がまわりを巻き込みながら破綻していき、その国にいる「自国資産を持った人」がすべてを失う羽目に陥る。



暴動、略奪が横行するベネズエラ。いつの時代でも、何らかの要因で経済状況が悪化して止められなくなる局面が発生する。うまく立ち回れない国がまわりを巻き込みながら破綻していき、その国にいる「自国資産を持った人」がすべてを失う羽目に陥る。

それは、何も持たなかった人間たちの下克上の動き


では、世の中が不安定になったり、景気が破滅的などん底に転がり落ちていく局面で最も強いのは誰か。

皮肉なことに、何も持たない人である。

最初から「何も持たない人」は、世の中の動きに関係なく常にどん底で生きている。そのため、世の中が不安定な局面になったとしてもそれが日常なので動揺することはない。

世の中が不安定化しても、最初から不安定な中で生きている人は、何をどうすればいいのか知っている分だけ強い。

資産も持たないので金融動向がどうなろうと知ったことでもない。たとえば、自分の国がめちゃくちゃになって通貨価値がゼロになったとしても何の問題もない。もちろん、不動産価値がゼロになっても困らない。

持っていないからだ。

持っていない物の価値など、最初からどうでもいい。「何も持たない人間が一番強い」というのは、社会が動乱すればするほど真実と化す。

世の中が地獄のようになろうとも、何も持たない人間は最初から何も持っていないので一番影響が少ないのである。

社会の大激変の影響が少ないというのは、その時代で最もエネルギーを持つということでもある。

だから、国家が崩壊するような局面になると、何も持たない層が台頭し、彼らが弱り切った金持ちや資産家を血祭りに上げて下克上を果たしたりする。

世の中の激変や革命が、常に「何も持たない人間」が中心になるのは、既存の社会やシステムから何も得ることができなかったからだ。何も持たないがゆえに革命を好む。

国家崩壊したシリアにはEU(欧州連合)で貧困に堕ちて何も持たなかった人間がどんどん流れていったが、それは何も持たない人間たちにとって国家崩壊した場所というのはチャンスを得られるかもしれない場所だったからでもある。

ISIS(イスラム国)という超過激暴力集団の登場は、何も持たなかった人間たちの下克上の動きでもあった。彼らはそこで下克上のユートピアを作り出そうとしていた。



ISIS(イスラム国)という超過激暴力集団の登場は、何も持たなかった人間たちの下克上の動きでもあった。彼らはそこで下克上のユートピアを作り出そうとしていた。

不安定化する社会の中でも普通に生き残る方法?


不安定化する社会が本格的にやって来ると、「何も持たない人間」が強くなる。失うものがないというのは、すべてが破綻する社会では最強の立場となる。

最近、日本では必要最小限の物しか持たないようにして生きるミニマリストが増えているのだが、これは日本の将来に大きな社会的動乱が来ることを薄々と感じる人が増えていることの予兆であるのかもしれない。

社会が崩壊するような動乱がくると、必要最小限の物以外は何も持たない訓練をしていた人たちが「本当に何も持たない人」と同様に生き残る。

ミニマリストは「生き残るためのライフスタイル」である。それを取り入れるというのは生き残るための訓練にもなる。彼らの手法が国家崩壊が起きても平穏に生き残れるライフスタイルである。

凄まじい経済崩壊がきたら私たちの全員が生活のダウングレードを強いられるのだが、洗練されたダウングレードの手法としてミニマリストの生き方は注目に値する。

フランス女性のドミニック・ローホー氏は、そういった「物は最小限に、精神性を最大限に」という生き方を指南する第一人者でもある。

「物を持たないことが物に振り回されないこと」と彼女は述べる。ちなみに、彼女の言うシンプル主義の実践には、以下のようなものがある。

「少ないものが多くをもたらすことを実感する」
「欲求と必要の違いを区別できるようにする」
「物の処分に罪悪感を持たない」
「買わなくても済むものリストアップする」
「自分の欲求や経験から迷いが出るものは捨てる」
「1年間、1度も使わなかったものは捨てる」
「大事なもの以外なにもいらない、をおまじないにする」
「可能な限り物質的なものを排除する」
「嫌なことは引き受けない」

彼女はそのいくつかの著書で、女性らしく、きめ細かい実践方法をたくさん書いている。

上記は彼女の言っていることのごく一部だが、こうしたライフスタイルを知っておくのは重要だ。

知っておくだけでなく、余裕のあるうちから可能な限り実践していくのは、不安定化する社会の中でも普通に生き残れるライフスタイルであると私は認識している。



凄まじい経済崩壊がきたら私たちの全員が生活のダウングレードを強いられるのだが、洗練されたダウングレードの手法としてミニマリストの生き方は注目に値する。


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