2015年からイエメンでは大統領戦を巡って、暫定大統領と前大統領が凄まじい殺し合いを繰り広げている。

互いに外国勢力を味方に付けて相手を支持する国民を殺し合っているのだが、このために国内の建物、道路、家屋、インフラのすべてが破壊されてしまい、文字通り瓦礫の山がイエメンに広がっている。

この中で12万4000人以上もの人々がコレラに感染し、ここ数ヶ月で1000人以上が死んでいく悲惨な有様となっている。死んでいく人たちの多くは子供たちである。

ところで、なぜこれほどまでコレラが蔓延することになったのか。それは「清潔な水が手に入らなくなった」からである。

コレラ菌は激しい下痢や嘔吐によって外部に排出されるのだが、このコレラ菌が汚水に混じって再び別の人に感染し、それが繰り返されて爆発的な蔓延となる。

汚水が飲料水に混じるというのは、要するにイエメンで危機的な水不足になった人たちが汚水をも飲んでいるということになる。

水道をひねったら清潔な水が出てくるわけではない。水が手に入らなければ汚水を飲んででも生き延びるしかない。しかし、それによってコレラの蔓延が止まらなくなっている。


92%の国は「水道の水は飲めない」という現実


イエメンの首都はサナアだ。サナアでは水道が使えたのだが、この水道を整備したのは実は日本である。ODAによってイエメンの都市部では水道が使えるようになった。

しかし、戦争でインフラが破壊され、日本のODAで作られた水道も使えなくなっているはずだ。

国連加盟国は193ヶ国だが、国土交通省が「国土全体において水道水を安全に飲める国」として指定しているのは、わずかに15ヶ国でしかないという。これを率で言うと7.77%、ざっくり言えば8%に満たない。

逆に言えば、92%の国は「水道の水は飲めない」ということになる。

だから、どこか知らない国に行ったとき、「この国では水道の水は飲めるのだろうか?」と悩まなくてもいい。日本を一歩出れば「水道の水は飲めないのだ」と割り切るべきだ。

水道の水が飲めるというのは、清潔な水が得やすい環境にあるという僥倖が必要だ。砂漠地帯や内陸部などは環境的に清潔な水を得るということそのものが難しい。

しかし、そのような恵まれた環境があったとしても、それだけでは水道水が飲めるようになるわけではない。

国民が自然環境を守るとか、インフラが整備されているとか、インフラの定期的なメンテナンスが為されているとか、そうした細かい積み重ねも必要だ。

そしてさらに言えば、こうした部分に金をかけたり整備したりするためには国民の意識が必要で、その意識とは「環境を清潔に保つためには金を出すべき」という概念を持ち合わせているかどうかにまで行き着く。

環境を清潔に保つ必要性を感じなかったり、そんなインフラのために税金を払いたくないと思ったり、清潔でない状態であっても見て見ぬフリをする社会であれば水道水は決して飲めるようにはならない。

だから、水道の水が飲めるというのは奇跡に近いことでもある。




イエメン。国家が破壊されて人々は清潔な水にアクセスできなくなりつつある。このため、12万4000人以上もの人々がコレラに感染し、数ヶ月で1000人が死亡している。

スラムの住民には灰色に濁った川の水が命の綱


インドの国内初の高速鉄道は日本の新幹線方式を採用することが決定し、2017年9月14日は安倍首相がインドに向かって起工式を行ったのだが、そこで大歓迎されている。

インドは徐々に発展しているのだが、高速鉄道はひとつの転機となる。

しかし、まだまだインドは6億人が絶対貧困のまま放置されている国であり、当然のことながら「清潔な水」が手に入るようになっていない。

高速鉄道で沸くインドで、清潔な水も手に入らない人たちは話題にもならない。

水と言えば、インドでいくつも想い出がある。

インドをさまよっていた時、朝になるといつも共同井戸からバケツに水を汲んだ女の子がおぼつかない足取りで歩いているのを見た。

どこかの辺鄙な村の話をしているのではない。コルカタというインド有数の大都会の話である。売春地帯ムンシガンジも、ソナガシも、みんな井戸を使っていた。

朝になると、あちこちで少女や母親が井戸の周りに集まって顔を洗い、歯を磨き、そして壺やバケツに水を汲んで消えていく。

ムンシガンジの2階建ての建物には部屋にトイレもないし、シャワールームもない。貧困層のインド人が暮らす建物には、そんなものは何もなかった。

しかし、旅人が泊まるホテルには、部屋に水道がきちんと完備されていて、蛇口をひねれば水が出る。

その水も実は、朝になったら誰かが井戸から運んだ水を、ホテルの屋上の貯水槽に入れているのである。それは大抵が子供たちか、女性の仕事になっている。

「カーリー寺院」の周辺、カリグハットのスラムでは近くに川が流れているのだが、このドロドロの川は日本人が見ればドブ川としか表現ができないものだった。水の色は灰色だ。

ところが、ここで女性たちは洗濯しているし、男たちは沐浴し、子供たちが岸から飛び込んだりして遊んでいた。スラムの人々はこの灰色の水が生活用水だったのである。

さすがに彼らはこの水を飲んでいないのだが、朝はここで歯磨きする大人たちもたくさんいた。清潔な水が手に入らなければ、灰色に濁った川の水が命の綱となる。



イエメンでも、水がなくなったら灰色に濁った川の水が命の綱となるようだ。これしか水がない。

全世界では約11億人が、きれいな水を飲めない状況


人は清潔な飲み水がなければ生きていけない。

もし仮に土地の気候が変わって砂漠化したり、清潔な水が手に入らなくなってしまうと、どんなに高度な文明がそこにあったとしても一瞬にして崩壊する。

文明は水があるところに成り立っている。それは非常に重要な事実である。

ラスベガスやドバイは砂漠なのに都市化しているが、それはもちろん水を確保できる手段が発達したから成り立ったのであって、水の確保ができなければ不毛の大地に戻るだけだ。

砂漠地帯には文明は発達しない。古代文明があったところは、栄えていたときには水が確保できていたが、やがて周辺が砂漠化していくに従って打ち捨てられたとも言われている。

人は水を飲むだけでなく、食事に使ったり、身体を清潔に保つために使ったり、衛生環境を保つために使ったりする。

こういった大切な水を、日本はいつでも確保できるが、世界を見回すとすべての国がそうなっているわけではない。

イエメンだけでなく、アフリカでは北部以外はほとんどすべての国が清潔な水に不足しており、子供たちが不衛生な水を飲んで死んでいる。

ユニセフの調査では、今でも年間150万人の子供たちが、そのような水を飲んで死んでいると報告している。

清潔な水が手に入らないのは、アフリカだけではない。アラブ諸国でも、アフガニスタンでも、南アジアでも、多くの国が清潔な水の確保に苦しんでおり、全世界では約11億人が清潔な水を飲めない状況にある。

汚染された水しかないところでの生活を強いられると、一気にコレラや赤痢のような病気が発生して集団感染する。体力のない子供たちが真っ先に死んでいき、次に老人が死んでいく。

日本は水に恵まれた国である。雨が降り、山から川が流れ、無数の湖、沼、池、貯水池、溜め池、用水池がある。水田もまた一時期は人口の池となる。だから人々は普段は水を意識していない。それは幸せなことでもある。

思い立ったらいつでも清潔な水が手に入る環境は、そうでないところで暮らしている人から見ると天国さながらだ。水道水が無尽蔵に使える。飲める。

当たり前すぎると、誰も気付かない幸せがここにある。



汚染された水しかないところでの生活を強いられると、一気にコレラや赤痢のような病気が発生して集団感染する。体力のない子供たちが真っ先に死んでいき、次に老人が死んでいく。


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