ひとり暮らしの女性は社会的に不利な立場にある。これは世界中どこでもそうだし日本もそうだ。

日本は、シングルマザーの貧困率がOECDで先進国最悪の状況にある。これは、日本では女性がひとりで生きるのはかなり不利な社会的構造になっていることを意味している。

様々な複合的な理由が重なっている。

日本の社会では依然として女性の賃金が低く設定されていることも多い。妊娠・出産・子育ての期間は経済活動の第一線から離れなければならないのだが、社会的に救済措置がない。

さらに日本では村制度も大家族制も否定されて核家族に突き進んだので、シングルマザーはまわりからも自分の両親からも支援が受けられなくなっている。

本来であれば夫に扶養してもらわなければならないのだが、日本は「恋愛至上主義」になったので、愛が冷めたら関係をつなぎ止めるものは何もなく、3組に1組は離婚する社会になった。つまり、妻子は捨てられやすくなった。

そして、妻子を捨てた男は本来払うべき養育費を払わないで逃げることが多く、女性は取り立てることもできない。その上、男自身が格差社会の中で貧困化しており、取り立てる金もなかったりする。


女性は自由を手に入れたと思ったが、錯覚だった?


村社会による共同体の支援、大家族制による両親の支援、強固な結婚の契による夫の支援……。

こうしたものは女性の自由を縛る「悪しきもの」だった。現代の日本女性はそこから解放された。しかし、日本女性は自由を得た代わりに支援を失った。

女性を守るべき殻(から)がなくなり、女性は社会の中で孤立を余儀なくされている。女性は何も持たないまま資本主義の荒野に放り出されている。

自由恋愛、自由な性行為、男女平等は、女性が心から望んだものであった。それは、男の支配からの脱却だったのだ。しかし、逆に言えば、女性が自由を手に入れたことで男もまた棚ぼた的に自由を得たことを意味する。

女性が自由に恋愛できるということは、男たちもまた自由に新しい女性を渡り歩きやすい社会になったということである。

女性が自由に性行為できるということは、男たちもまた自由なセックスが手に入るようになったということだ。

さらに男女平等になったということは、もはや男は女性を扶養する義務すらも必要なくなったということなのだ。

男女平等なので、女性が自由に恋愛し、自由にセックスする権利を男は疎外できない。しかし、その代わりにセックスの後の責任も昔ほど問われなくなった。女性は自由を得て、男は責任から回避できるようになった。

これは両方にとって素晴らしいことのはずだった。

しかし、ここに女性の誤算があった。いくら社会が平等になっても「妊娠・出産・子育て」は平等にならず、すべての責任は女性が負わなければならなくなったということだ。

女性は自由を手に入れたと思ったのだが、それはもしかしたら錯覚だったのかもしれない。

女性は生物学的に「妊娠・出産・子育て」という責務から逃れられないので、男の責任が消えると女性だけが貧乏くじを引いたような不均衡な社会が出現する。

女性が責任のすべてを抱え込んで苦境に落ちる


どんなに仕事第一の女性であっても、妊娠・出産・子育て中は仕事に全力で取り組むことができない。代理出産でもない限り、その部分をアウトソーシングすることもできない。

子供は常に母親を必要としており、母親がそれに応えないと子供は死ぬ。子供に時間を取られるのは女性の必然である。

一方で、男は「子供ができた」と言っても、自分が妊娠するわけでもないし、出産するわけでもない。つまり「働き続ける」という観点から見ると男は女性よりも有利な立場にある。

自由を求めて女性は「自由恋愛、自由な性行為、男女平等」を手に入れたが、それは結果的に男に責任を取ってもらえず、自分が責任を抱え込む不利な立場を呼び寄せていたのだった。

生物学的に「妊娠・出産・子育て」を男に負わせるというのは事実上、不可能である。

だから、自由恋愛と自由な性行為を女性が追求して、その結果「妊娠・出産・子育て」の段階になった時、男が責任を取らなかった時は女性がひとりで抱えるしかない。

シングルマザーというのは、まさに「ひとりで責任のすべてを抱え込んだ女性」の姿なのである。

シングルマザーは何を失ったのか。それは「扶養の保証」である。本来は共同体や両親や夫に守られて、安心して子育てができていたのだが、扶養の保証が吹き飛んだために、女性を守るものは消え去った。

NGOや役所が支援してくれると言っても、毎月、自分たちを愛情と共に扶養してくれるわけではない。困った時だけ、ギリギリの支援をしてくれるだけだ。

女性が自由を得れば得るほど扶養の保証は消えていく。だから、ひとり暮らしの女性が妊娠するというのは、生活が瓦解する要因となるわけで、大きな恐怖でもある。

孤立した中、誰にも助けてもらうことなく「妊娠・出産・子育て」を強いられるのだから、どんな女性であっても恐怖しないわけがない。

女性が重きを置いているのは何だったのか?


「扶養の保証」は、実は女性が長い人間の歴史の中で切に求めてきたものである。それこそ、石器時代から、女性は「扶養の保証」を男に求めてきた。

妊娠・出産・子育ての期間、女性は素早く身動きできないし、猛獣から我が身を守ることもできない。子供ができたらなおさらそうだ。

だから、常に自分を守ってくれる存在が必要だった。生き延びるために「扶養の保証」を必要としているのだ。女性は常に責任感のある誠実な男を好むのはそのためだ。

そして、男に従うとか、尽くすとか、貞操を守るとか、様々な「縛り」をあえて受け入れてきたのも、扶養の保障のためだった。

また扶養の保障のために、自分が貞操を守る代わりに、夫にも自分以外の女性と精神的に深い関係にならないように縛り上げてきた。

女性が、たとえ肉体関係がなくても夫が他の女性を優しくするのを嫌うのは、「扶養の保証」が揺らぐからである。

女性が浮気性の男を極度に嫌うのも、「扶養の保証」が確約されないからである。

そして、プロの風俗嬢より素人の浮気相手の方が既婚女性に嫌われる理由もここにある。

プロの風俗嬢は不特定多数の男を相手にする。夫が彼女と肉体関係を持ったところで、夫が彼女を扶養する義務も機会もほとんど発生しない。

それは単なる「遊び」であり、一過性のものであり、後に引かないものである。だからプロの風俗嬢では、意外に自分に対する夫の「扶養の保証」は揺らがない。

もちろん妻にとって夫がプロの風俗嬢と関わるのは不快なことであるが、「扶養の保証」が守られるのなら脅威の度合いは若干低い。

しかし、素人の浮気相手の方は危険だ。夫の気持ちが彼女に移ると、夫は自分を捨てて素人の浮気相手の方に行ってしまうかもしれない。つまり、「扶養の保証」が消え去る。

自分と子供をずっと養ってもらえる保証が不安定になるのは、既婚女性にとっては絶対に、何があっても許されない。だから、プロの風俗嬢より、たとえ素人の浮気相手の方が危険な存在に見える。

こうした現象を見ても分かる通り、女性が重きを置いているのは、実は「自由恋愛、自由な性行為、男女平等」の方ではなく、「扶養の保証」の方だったというのは、もっと知られて良い事実だ。

そして現代社会の女性の苦境は、女性に必要だった「扶養の保証」がきれいに抉り取られて消失したことから始まっているのも、もっと女性自身が知った方がいい。



現代社会の女性の苦境は、女性に必要だった「扶養の保証」がきれいに抉り取られて消失したことから始まっているのを、もっと女性自身が知った方がいい。



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