日本はホームレスが少ない国であると言われている。国が把握しているホームレスは約5000人から6000人程度しかない。

昔はホームレスすれすれの労働者が大量に集まっていたドヤ街である東京の山谷も、大阪あいりん地区も、同時に寂れてしまっている。

どちらの街も、もはや暴動が起きるほど労働者とホームレスでむせ返っていた時代を想像することすらできない。歩いているのは年金と生活保護費を搾取されている老いた高齢者ばかりなのだ。(山谷。かつてのドヤ街の光景から少子高齢化の未来が見える

もちろん、日雇い労働者が消えたわけでもないし、ホームレスがいなくなったわけではない。要塞のようになっている「あいりん労働公共職業安定所」は、早朝になると大量の労働者が集まってくる。

それが過ぎると、職業安定所の二階では仕事にあぶれた人たちが、それぞれシートを敷いて寝ている姿を見ることができる。

それでも、そこは中高年が多く、無職ホームレスの若者が溢れかえっているわけではない。日雇いで生きる若年層は、こうした環境を嫌って寄りつかない。

統計としてホームレスは減っている。しかし、本当に「路頭に迷っている人」は減ったのか?


身分証明書がなくてはネットカフェにもいられない


極貧の若年層は、よほどのことでもない限り、もう山谷やあいりん地区に寄りつかない。

若年層は基本的に高齢層の多い街に居ついたりしない。世代が違えばギャップも多く、ほとんどの若者はカビの生えたような古臭い街の空気感に馴染めない。

昔ながらの食堂で焼き魚を食べて立ち飲み屋でカップ酒をあおり、酔っ払って演歌を歌い、銭湯で身体を洗うドヤ街の世界観は昭和の文化であり、そんな「異質」な世界を若年層が好むわけがない。だから、かつてのドヤ街を彼らは敬遠する。

彼らが住みたがるのは、ドヤ街ではなくシェアハウスだ。

どんな劣悪なシェアハウスでも、安ければ人が入る。違法なシェアハウスでは、若年層を集めて詰め込むだけ詰め込んでいることもある。

ただ、シェアハウスでの人間関係を好まない若者も多い。こうした人々はネットカフェなどを渡り歩きながら「スポット派遣」という名の日雇い労働をしている。(悪条件の雇用を言い換えで最先端に見せかける仕組みとは?

2010年代はネットカフェの一極集中だったが、今ではネットカフェだけではなく、あちこちの場所に分散するようになっている。

2010年に東京都はネットカフェに泊まるには身分証明書を提示させなければならないという条例を作ったからだ。もちろん、シェアハウスも身分証明書がいる。

しかし、宿もなく、日雇いの仕事を転々としている若者の中には免許証やパスポートどころか、住民票も保険証も持っていない人も珍しくない。

保険証を手に入れるためには住民票が必要だが、その住民票を手に入れるためには住所が必要だ。つまり、住所がなければ保険証は手に入れることができない。

そのため、身分証明書がないことを黙認してくれないネットカフェでは弾かれるようになり、彼らは24時間営業のファミレス、ファストフード、サウナ、個室ビデオ、レンタルルームなどに泊まり込むようになった。つまり、彼らは分散した。



大阪あいりん地区。極貧の若年層は、よほどのことでもない限り、もう山谷やあいりん地区に寄りつかない。若年層は基本的に高齢層の多い街に居ついたりしない。

家庭の中でホームレス化している54万人の若年層


このように、社会の底辺のスキマを縫ってまだ路上には堕ちていないが「堕ちる寸前」のギリギリの状態にいる若年層が、そこで踏みとどまっている。

こうした若者はホームレスとしてカウントされないし、そもそも住所そのものが不定なので役所に統計で捕捉されることもない。つまり、彼らは社会の表側からは見えない。

さらに日本ではホームレスではないのだが、恵まれた環境で社会から隔絶された人たちもいる。それが、引きこもりやニートと呼ばれる若年無業者たちだ。

15~34歳の若年無業者は56万人と言われているのだが、彼らは親がいるからホームレスになるのを免れているだけだ。本来であれば、仕事をしないのだから、親がいなければ完全に路頭に迷っていた身分でもある。

こうした人たちは家庭の中でホームレス化しているのだが、やはり外側からはカウントされない。

こうした若年無業者は減っているのだが、それは彼らが更生して社会に旅立ったからではなく、35歳を超えて高年齢化して「若年」という範囲から消えてしまったからである。

若年無業者の定義を「34歳まで」にしている関係上、35歳になったら同じことをしても統計から消えるのである。しかし、統計から消えた若年無業者は相変わらず無業のままだ。

実際には、彼らを養う親も高齢化するので、統計から消えた若年無業者の方が捕捉されている若年無業者よりも状況は悪い。

このように見ると、社会の底辺の貧困層を統計としてしっかりと捕捉するというのは、意外に難しいことが分かるはずだ。彼らは往々にして「統計から漏れる」のである。

従って、統計としてホームレスを見るには注意が必要だ。ホームレスは減っているものの、それは「社会がより良くなっている」ことを意味しているわけではない。

社会の構造が変わっているので、あからさまなホームレスの姿が消えているだけなのだ。

ホームレスとは言えないものの、その境界線で長く踏みとどまっている人たちが増えていて、彼らの存在が見えないと日本の貧困が見えない。



あいりん地区のドヤ内部。ただ寝るだけの部屋でも、路上で寝るよりはずっといい。ただ、この部屋でも1泊1000円近くする。

高学歴であっても人生の安泰が約束されない時代に


学歴がないと社会に出た瞬間に荒波に揉まれるというのは本当のことだ。大卒よりも高卒の方が賃金が安く、仕事も見つかりにくい。

しかし、その高卒よりも中卒の方がさらに賃金が安く、もっと仕事が見つかりにくい。

仕事を探そうにも、学歴がないために向こうから断ってくるのである。そのために、学歴が低ければ低いほど条件が悪くなり、底辺の仕事しかできない。

それは信じられないほどの低賃金であったり、重労働であったり、危険であったり、環境が不潔であったり、時間が不規則であったり、長時間であったり、短期間であったりする仕事だ。

底辺の仕事のほとんどは非正規雇用の使い捨てなので、いったんその「使い捨て」の輪の中に堕ちてしまうと、延々とそこでもがくしかなくなる。

ネットカフェ、ファミレス、ファストフード、サウナ、個室ビデオ、レンタルルーム、シェアハウスを転々としている貧困の若年層の多くは低学歴であるのは、そうした社会環境があるからだ。

まともな仕事が最初から「ない」のである。

だから、多くの若者は奨学金という名の莫大な借金を抱えて大学にいく。

低学歴だと社会に出た瞬間に踏みにじられるのは分かっているのだから、そこに恐怖を感じても当然だ。借金をしてでも、有利な立場にいたいと誰でも思う。

しかし、時代はすでに変わっている。

今や大学卒も増えすぎて陳腐化してしまった。そのために、やはり有利な仕事が見付からなくて、ブラック企業に絡み取られていく不運な若者も増えた。

そして、やはり使い捨てにされて放り出されるのである。

終身雇用も消えつつあり、転職することも当たり前になっている今、高学歴であっても人生の安泰が約束される時代ではなくなっている。

しかし、ホームレスに堕ちるまでもなく、その境界線で日本人はもがき続けることになる。



昔ながらの食堂で焼き魚を食べて立ち飲み屋でカップ酒をあおり、酔っ払って演歌を歌い、銭湯で身体を洗うドヤ街の世界観は昭和の文化であり、そんな「異質」な世界を若年層が好むわけがない。だから、かつてのドヤ街を彼らは敬遠する。



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