私はまだスリランカが内戦の泥沼の中にあった2004年に北部都市ジャフナを訪れている。

ジャフナは少数派タミル人の武装組織「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」の牙城で、スリランカ政府から激しい攻撃を受けて街は荒んでボロボロになっていた。

青く美しい海が広がる海岸都市ジャフナだったが、空港を降りてから、物々しい兵士と破壊された建物が続いて異様な雰囲気に包まれていた。

街に入ってもインド圏の土地にしては驚くほど活気がなく、不気味な感じだった。爆撃された痕、荒廃したホテル、松葉杖で歩く人たちの姿があちこちにあり、写真を撮ろうとしたら何人かの兵士が制止した。

タミル人の宗教はヒンドゥー教だ。インドでは圧倒的大多数がヒンドゥー教だが、スリランカではヒンドゥー教人口はたったの12%程度しかない。約70%は仏教が占めている。

これだけ街は破壊の痕が続いているのに、驚いたことにジャフナのヒンドゥー寺院はとても整備されていて、砲弾の痕も見えなかった。

多くの人が跪いて神に祈り、寺院にいるとここが30年以上も続く内戦の激戦地であることを忘れた。


相手を激しく恐れ、嫌い、深く憎しみあっていた


このタミル人とシンハラ人の泥沼の内戦は、2009年5月18日に終結を見た。武装組織タミル・タイガーを率いていたプラバカラン議長が政府軍に頭部を吹き飛ばされて死んだのだった。

タミル人は当初、これはスリランカ政府のフェイクニュースだとして信じなかったので、スリランカ政府は頭部が割れて死んだプラバカラン議長の遺体をわざわざ公開している。

この時の写真はこちらに掲載した。(戦争とレイプ(4)スリランカ軍がゲリラ女性兵に行ったこと

少数派タミル人は、内戦で敗北した。

この時、タミル・タイガーに徹底抗戦を主張して戦いの陣頭指揮に立っていたマヒンダ・ラージャパクサ大統領は圧倒的な支持を得て、以後2015年まで10年に渡ってスリランカの大統領の座にあった。

ラージャパクサ大統領は、内戦が終結した後、すぐにタミル人に民族和解を訴えたが、大統領自身がタミル人の攻撃と拠点の破壊を指揮した人物であり、和解はなかなか進まなかった。

1948年に独立してからすぐに激しい内部対立を抱え、1980年代から民族憎悪による激しい衝突・対立・内戦の歴史を積み上げてきたのだ。戦争が終わったからと言って、すぐに和解ができるはずもなかった。

シンハラ人もタミル人も、互いに家族や親族を相手に殺された経験がある。

シンハラ人は圧倒的な武力でタミル人に攻勢をかけていたが、タミル人は首都コロンボでしばしば一般民衆を対象にした自爆テロ、爆発テロを行って人々に恐怖を与えていた。

互いに、いつ相手から殺されるのか分からないような、疑心暗鬼があり、相手を激しく恐れ、嫌い、深く憎しみあっていたのである。

現在、シンハラ人とタミル人の和解を進める「国民統合・和解事務局」の代表は、チャンドリカ・クマラトゥンガ元大統領だが、彼女自身も大統領時代、自爆テロに巻き込まれて片目を失っている。



タミル・タイガーの女性兵士。シンハラ人は圧倒的な武力でタミル人に攻勢をかけていたが、タミル人は首都コロンボでしばしば一般民衆を対象にした自爆テロ、爆発テロを行って人々に恐怖を与えていた。

地雷撤去、インフラ整備、帰還支援が芽を結ぶ


ジャフナの郊外の一角にはタミル人の墓地があるのだが、それは見渡す限り広がる広大な墓地だった。タミル人は、この墓地を見るたびに「我が民族はシンハラ人に殺され続けたのだ」と確認し、恨みの涙を流す。

27年にも及ぶ内戦では約7万人が死んだと記録されている。問題は約28万人ものタミル人が、戦争終結の際に国内避難民となっていたことだ。

スリランカ政府は戦争終結後、すぐにこの28万人を帰還させる方針を示したが、この計画は遅々として進まなかった。

タミル人の居住区は政府軍によって徹底破壊されてしまっており、しかもタミル・タイガーは政府軍の侵入を防ぐために、広大に地雷を敷設していた。

ジャフナから抜ける際、私は乗り合いタクシーで首都コロンボに向かったのだが、その左右には広大な草原が広がっていて人が誰もいないことに気付いた。

「地雷原だよ」と隣に座っていた人が教えてくれた。この広大な大草原に人が誰もいなかったのは、地雷がどこに埋まっているのか分からないからだったのだ。

私はジャフナで好きなところをウロウロとほっつき歩いていたのだが、のんびりあぜ道などを歩いていたら地雷に触れて吹き飛ばされていたかもしれない。

「地雷」と聞くまで地雷の存在がまったく頭に浮かばなかった私は、急に背筋が寒くなるようなものを感じたものだった。

地雷は「こんなところに埋まっているはずがない」と思うところに埋まっている。地雷だらけになった故郷に帰るというのは、今度は地雷の恐怖と戦うということに他ならない。

帰ってもすべてが破壊されて、さらに畑を耕すことすらもできない。もちろん、それでも帰りたい人はいる。難民キャンプにいても未来はないからだ。

スリランカ政府も地雷を撤去する作業を急ピッチで行い、タミル人を故郷に戻して給付金や援助を与えながら生活を再建させるという政策がこの8年で延々と続けられてきた。

そうした努力がやっと芽を出すようになり、スリランカではかつては内戦の激戦区だった東部トリンコマリーでは自然が手ずかずの欧米人の穴場リゾートになりつつある。

地雷撤去、インフラ整備、帰還支援によって、いよいよ観光業が軌道に乗るようになったのだ。



「地雷」と聞くまで地雷の存在がまったく頭に浮かばなかった私は、急に背筋が寒くなるようなものを感じたものだった。地雷は「こんなところに埋まっているはずがない」と思うところに埋まっている。

シンハラ国民軍。仏教僧が率いる過激派組織が台頭


ただ、完全なる民族和解が8年間で為されたわけではない。またスリランカで民族対立が消えたわけでもない。シンハラ人とタミル人はいまだ相互不信があるので、いずれはまた衝突が起きるのは時間の問題だ。

さらに、最近では別の対立も生まれつつある。それが仏教徒とイスラム教徒の対立である。タミル人が信奉するヒンドゥー人口はスリランカでは12%と言われているが、実は約9.7%はイスラム人口である。

今度は、このイスラム教徒と仏教徒の対立も徐々に先鋭化しつつあるのだ。

スリランカでは長い内戦の中で仏教徒もまた過激化・武装化する傾向を強めていくようになっている。「ボドゥ・バラ・セナ」や「シンハラ国民軍」と呼ばれる仏教僧が率いる過激派組織が台頭している。

これは、ミャンマーで起きている仏教徒の国民とイスラム系のロヒンギャ族との対立で、ウィラトゥ師率いる過激化・武装化する仏教徒が出現したことに共鳴した動きであると言われている。(ミャンマーの民主化の前に立ちはだかる危険で熱い宗教対立

仏教は今まで非暴力で穏健な宗教や哲学であると言われてきたが、徐々に認識が変わりつつある。

イスラム過激派、ヒンドゥー過激派が生まれる中で、仏教の過激派もまたミャンマーやスリランカを中心に立ち上がってきているのだ。

ミャンマーで仏教徒と対立して、やはり泥沼の殺し合いの中でミャンマーから排除されつつあるロヒンギャ族の一部はスリランカにも難民としてやって来ているのだが、2017年9月26日にはロヒンギャ族の保護施設が「シンハラ国民軍」に襲撃されている。

こうした仏教徒とイスラム教徒の小競り合いが、やがて大きな対立になっていくと、スリランカは新たに仏教徒とイスラム教徒の戦いが始まる可能性もある。

過激化していく仏教徒の台頭に私は注目している。アジアは仏教徒が多い。仏教徒が過激化して暴力と衝突を膨らませ続けると、アジア全土が巻き込まれていくからだ。




仏教過激派「ボドゥ・バラ・セナ」のグナナサラ・セロ師。暴力、扇動、ヘイトスピーチ、何でもありの過激派の頭領である。



〓 関連記事