この世には、ひとつのことに継続して取り組める人もいるのだが、逆に思い通りにならないと急に自暴自棄になってすべてを投げ出してしまう人もいる。

多くの人は自分の人生の中で、まわりに「思い通りにならないと投げ出して逃げる人」を見てきているはずだ。私自身も、旅人として東南アジアの底辺にずっといたこともあって、そうした人たちを数多く見てきた。

だいたい、東南アジアの貧困街の旅社(格安ホテル)に泊まっている旅人は、みんな人生をドロップアウトして日がな一日何もしないで怠惰を貪って生きているわけで、すべてを投げ出して逃げてきた人たちの巣窟であったとも言える。

私自身も二十歳以後は東南アジアの貧困地区に沈む生活に心地良さを感じて、そこにどっぷり浸ったのだから、人のことをとやかく言える立場でもない。

こうした場所に巣食っていると、互いにやることがないので、どうでもいいような話を誰かの部屋に集まって夜通し聞いたりして過ごすこともある。

彼らの生き方を聞いていると、日本で就職しても長く続かず、仕事を転々として生きてきた話を聞かされることになる。彼らは自分を「自由人だから」と称していた。しかし、実態はどうなのだろうか。


「豊かな青春、惨めな老後」と安宿の壁に落書き


東南アジアの貧民街に巣食う旅人の生きてきたバックグラウンドは様々だ。

金が尽きたら日本で住み込みのアルバイトをして、金が貯まったらまた東南アジアに戻ってくるという生活を何年も繰り返している人もいた。

あるいは、何の計画も目的も意味もなく、なんとなく東南アジアにやってきて貧民街に巣食って、この先どうする計画もなく、「人生は死ぬまでの暇つぶし」みたいなことを言いながら、怠惰に生きている人もいた。

公務員や一流企業の仕事を突如として辞めて、まるで逃亡者のように東南アジアにやってきた人もいるし、世界中を旅する中で東南アジアに寄って時間を潰している人もいる。

東南アジアに沈没するすべての旅人が、行き当たりばったりに生きているわけではないのだが、遭遇率で言えば後先考えないで生きている旅人は多かった。

彼らも今はいいかもしれないが、やがてはどうにもならなくなってしまうことを悟っている。だから、バンコクの貧困バックパッカーは「豊かな青春、惨めな老後」と安宿の壁に落書きしたりするのだ。

やはり貧困街で困窮化していくのは、自分の思い通りにならないと、すぐに嫌になって投げ出して転々としてきた人であるというのは間違いない。

時間はたっぷりあるのだから、自分の所持金が尽きる日はいつでも計算できるはずだが、「日本に戻るのも面倒くさい」と何もしないのである。そして他人にタカリ出す。

日本でも、いろんなものを「面倒くさい」と投げ出してきたわけで、大事なことから逃げ回りながらどんどん追い詰められていくのだった。

そういうわけで、私の身のまわりは「思い通りにならないと投げ出して逃げる人」だらけだったのであり、彼らの生態はとてもよく知っている。

立ち向かうのではなく「いかに逃げるか」がテーマ


先日、貧困に落ちた女性の話を動画で見たのだが、そこには新宿歌舞伎町のネットカフェで何ヶ月も、場合によっては1年近くも寝泊まりしている女性の人生が取り上げられていた。(新宿・歌舞伎町。ネットカフェに住む女たち

その中の一人は、19歳の時に家族と喧嘩して家出し、歌舞伎町で違法スカウトの仕事をしながら生きている女性だった。

親との生活がうまくいかずに自暴自棄になって家出。さらに、生活保護を受けながらも、ケースワーカーと折り合いが悪くて自暴自棄になって投げ出し、家賃が払えなくなってネットカフェに流れ着いている。

いろんなものを投げ出して生きていることが見て取れる。彼女の知り合いという女性もまた、他人と折り合いが悪くていろんなものを投げ出して生きている女性だった。

最近、私は日本の風俗嬢と関わり、いろんな話を見聞きしたりしているのだが、風俗嬢もまた切羽詰まった生活をしている女性も多い。

一箇所の店でじっくりと計画的に働く女性もいる一方で、何か嫌になるとすぐに投げ出してあちこちの店を「放浪」するような女性もいる。

こうした女性は「転々虫」と呼ばれているのだが、実際に転々虫をしている女性の話を聞くと、少しでも気に障ることがあるとすぐに投げ出して仕事を辞めてしまう傾向にあることが分かる。

嫌なことがあると、その解決方法は「逃げること、辞めること、投げ出すこと」なのである。

すべてに関して「投げ出す」ことが身に付いており、だから彼女たちは人生のどの局面でも安定を手に入れることができず、社会の底辺を這い回ることになる。

社会のそれぞれの業界で一流の人の生き様は、「次々とやってくる人生の艱難辛苦にいかに真っ正面から立ち向かうか」がテーマになる。

社会の底辺を這い回る人たちもまた艱難辛苦が次々と襲いかかるのだが、彼らの対処は立ち向かうのではなく「いかに逃げるか」がテーマになる。



社会の底辺を這い回る人たちもまた艱難辛苦が次々と襲いかかるのだが、彼らの対処は立ち向かうのではなく「いかに逃げるか」がテーマになる。

「投げ出さないで食らいつくこと」を覚える


誰の人生にも節目節目で大きな壁が立ちふさがる。それを乗り越えてもまた次の壁が立ち塞がっている。人生とは、次々と迫り来る問題や困難を、いかにして乗り越えるのかが問われるゲームである。

人によって様々な乗り越え方があるのだが、社会をつぶさに観察すると、最も損するのは「思い通りにならないと、すべてを投げ出して逃げる人」であると言える。

人生は短いので、自分の目的でない枝葉末節は投げ出しても構わない。取り組む必要すらない。あれこれすべて真摯に取り組んでいると、時間がいくらあっても足りないからだ。

しかし、自分の人生を左右する重大な部分や、生活に関わる部分、あるいは人生の目標や理想を追うべき局面でも投げ出してばかりだと大きな問題が生じる。

大事なことを投げ出すことによって、自分の人生は向上できなくなる。仕事を投げ出すと生活できなくなる。仕事が切れると技能もまた切れる。

人生に立ち塞がる大きな壁から逃げ回っていると、仕事も生活もすべてが転々とせざるを得なくなり、それによって生活の積み重ねも消え、一貫性もなくなってしまう。

継続すれば得られていたはずの利益が得られなくなり、経済的に困窮する。投げ出すことによって、生活基盤さえ作れなくなる。家族や共同体を投げ出すと縁が切れるし、救済もまた切れる。

すべてを投げ出して逃げていると、信頼を失う。それが職歴になると、あらゆるものを投げ出して生きているのを知られて今度は相手にされなくなる。

信頼されないので、手に入れられる仕事は限りなく不利で不安定なものになり、安心も安全も保証されなくなる。そうした不安定な生活がストレスになると、今度は健康をも害する。

「思い通りにならないと、すべてを投げ出して逃げる人」は、いろんな意味で大きな損失を抱えることになる。それは、うまい生き方ではないということだ。

逆に言えば、いろんなものを投げ出して貧困に転がり落ちた人は、そこから這い上がるには「投げ出さないで食らいつくこと」を覚える必要があるということになる。



誰の人生にも節目節目で大きな壁が立ちふさがる。それを乗り越えてもまた次の壁が立ち塞がっている。人生とは、次々と迫り来る問題や困難を、いかにして乗り越えるのかが問われるゲームである。



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