私たちが漠然と信じているものは、何も根拠がないことの方が多い。

たとえば、多くの人は自分があと何十年も生きると根拠もなく思い込んでいる。だから、「明日死ぬ」というのはあり得ないと考える。

しかし、人間は毎日どこかで誰かが突発的に死んでいる。

人間はいつか死ぬのだから、自分が明日死んでも何ら不思議ではない。いや、あと数時間後に、何かが起きて死ぬ可能性さえある。それは突然やって来る。

たとえば、日本は安全な国であると言われているが、それでも年間で60万件から80万件の交通事故が起きており、その死者も少なくとも3000人以上になる。

10年前は8000人を超えていたことを考えると、事故死はかなり減ったが、それでも数千人が「突然」命を落としているのだから決して少ない数ではない。

交通事故に巻き込まれて死んでしまった人は、「今日、自分が死ぬ」とは想像すらしていなかったはずだ。その家族も同じだ。それは、いきなり巻き込まれる性質のものであり、予期することはできないのである。


物事は、たった一つの出来事で完全に覆される


事故だけではない。突発的に襲いかかって命を奪う病気も珍しくない。

急性心筋梗塞、狭心症、心不全など心臓病は、突然死を引き起こしやすい。クモ膜下出血、脳出血、脳梗塞、大動脈解離等で突然死を起こす人も少なくない。

自分の身に何が起きるのかは、自分自身にも分からない。明日の自分のことさえも分からないのに、他人のことが分かるはずもない。

将来は常に不確実であり、不安定であり、流動的である。だから、環境や、社会や、市場環境で、常に予期せぬ出来事が起きて人々を動揺させる。

多くの専門家がいろんな分野で、いろんな未来を、したり顔でいろいろなことを予測する。しかし、それらの予測は「絶対」ではない。

世の中は右でも左でも、上でも下でも大きくブレる。予測もしない事件が突如とやってきて今までの状況を何もかも変えることもある。

あり得ないと思っていても、100%でなければどこかで起きる。これだけ科学が発達した今でも地震予測はまったくできないし、昨今は「地震など来ない」と言われているところでも地震が起きるようになっている。

起きる前は「あり得ない」と思っていても、何かが起きてあり得ないことが覆される。

今ではこういった現象を「ブラックスワン」という言葉に集約して説明できるようになっている。

研究者が100羽、200羽、いや1万羽、2万羽と白鳥を見続けて、「観察の結果、白鳥は白い」と結論を出したとする。

しかし、どこかでたった1羽でも黒い白鳥が見つかったら、その瞬間に「白鳥は白い」という概念が崩壊する。

「何千年にもわたって何百万羽も白い白鳥を観察してきた当たり前の話が、たった一つの観察結果で完全に覆されてしまった。そんなことを起こすのに必要なのは、黒い(それに、聞いたところだとかなり醜い)鳥がたった一羽、それだけだ」

このように書いたのは、ナシム・ニコラス・タレブだった。



ナシム・ニコラス・タレブ。研究者が100羽、200羽、いや1万羽、2万羽と白鳥を見続けて、「観察の結果、白鳥は白い」と結論を出したとする。しかし、どこかでたった1羽でも黒い白鳥が見つかったら、その瞬間に「白鳥は白い」という概念が崩壊する。

あり得ないと思っても、起きるときは起きる


ナシム・ニコラス・タレブは、『まぐれ』という書籍の中で、このようにも書いている。

「先ごろ私はブッシュ大統領の寿命について綿密な統計的検証を行った。58年間、2万1000件近いサンプルにわたって、彼は一度たりとも死んだことはなかった。それゆえ私は、彼が高い確率で不死身であると断じるものである」

人間は誰でも死ぬ、という現象を知っているから上記の「結論」は非常に滑稽なものであることは誰でも分かる。だから、それを私たちは笑うことができる。

しかし、改めて現実を見ると、誰もがほとんど似たような思考を辿って似たような「結論」を出している。私たちが「自分はまだ死なない」と思い込むのは、まさにそれだ。

私たちは今までずっと生きていた。だから「明日も生きている可能性が高い」と無意識に考える。日本人の平均寿命は80歳なので、だいたいそのあたりまで生きられるのではないかと考えているはずだ。

しかし、平均寿命というのはあくまでも平均である。

実際に自分がそこまで生きられる確証があるわけではない。もしかしたら、明日にもあり得ないことが起きる可能性がある。つまり、ブラックスワンを見つける日がくる可能性がある。

日本は北米プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、太平洋プレートが重なり合った危険な陸地であり、世界中で類を見ないほどの地震が起きる国である。

いつ巨大地震に襲われるのか分からない。南海トラフが大きく動いたら、東京・大阪・名古屋の大都市も壊滅的な打撃を受けて、約32万人が犠牲になってもおかしくない。

あり得ないと思っても、起きるときは起きる。すなわち「ブラックスワン」が現れる。今まで起きなかったからこれからも起きないというのは希望であって事実ではない。

別に「いつ来るか分からないもの」に怯えて毎日を暮らす必要はないが、自分が常に不死身であるというのは幻想であるということは現実的に把握しておかなければならない。

重要なのは、「自分という存在は、意外に不確かな中で生きているのだ」と自覚することであると言える。明日はブラックスワンの日なのかもしれないのだ。

将来を正確に予測することは、決してできない


しかし、予測できない何かが起きる可能性があるからと言って、もっともらしく何かを預言している人には気をつけなければならない。

世の中には、常に何か未来を予知できているような発言をしている人はいる。

そんな人の言葉に耳を傾けていると、本当に預言者がいるかのような気持ちになるが、実はそうではない。いろんな人がいろんなことを毎日のように「預言」しているのだが、その99%は外れて忘れられていくのだ。

毎日毎日「何かが起きる、絶対に起きる」と言っていたら、そのうちに「たまたま」何かが起きて当たる。

だから、預言や予測が「正確に当たった」ように見えるのだが、実は当たっていない予言や予測の99%は忘れられているだけなので、本当は数を打っているだけなのだ。

いろんな人がいろんなことを言って、たまたま当たった人がクローズアップされて、あたかも預言者が本当に存在するかのように見える。

歴史を見れば将来が分かるという人もいる。しかし、歴史と同じ通りになる未来などひとつもない。同じようになることもあるが、同じにならないことも多い。

そもそも、これから何が起きるのか決まっているわけではないので、結論が決まっていないものに対して「正確に分かる」という方がどうかしている。

世の中を完全に見極めたり、制御できる人間はこの世のどこにもいない。仮に、世の中が読めたと感じても、突発的な予期せぬ事件が不意にやって来る。

そんな簡単に世の中が読めたら、フォーブスの金持ちリストは事業家ではなく預言者が名前を連ねているはずだが、実際にはそうなっていない。

次に何が起きるのかは誰にも分からないのだ。

ブラックスワンがどこで舞い降りるのか誰も知らない。しかし、凶鳥ブラックスワンが急に目の前に舞い降りる日は必ずくる。それが世の中というものだ。



次に何が起きるのかは誰にも分からないのだ。ブラックスワンがどこで舞い降りるのか誰も知らない。しかし、凶鳥ブラックスワンが急に目の前に舞い降りる日は必ずくる。それが世の中というものだ。



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