横浜の寿町は、東京の山谷、大阪のあいりん地区とならぶ三大ドヤ街の1つとして知られているところだ。寒風が吹きすさぶ2017年12月の真っ只中、私は東京から横浜に向かい、この寿町を歩いてみた。

寿町は横浜からJR京浜東北・根岸線に乗って3つめの石川町が最寄り駅となる。

ここで降りる人々は、そのほとんどが日本最大のチャイナタウン「横浜中華街」に向かう。日本人と外国人の観光客でごった返す横浜中華街だが、線路を挟んだ向こう側の寿町に足を向ける人はほとんどいない。

寿町に向かうと人の雑踏がすっと消え、エリアに一歩入ると古びた雑居ビルが静かに並び、老いて疲れ果てた人たちの姿がちらほら見えるだけの区域となる。

ここが日本三大ドヤ街のひとつである。

横浜は神戸と共に日本を代表する港町だ。港町は常に荷物を船に出し入れする「荷役労働者」を大量に必要とする。だから、仕事を求めて日本全国から労働者が集まってきたのだが、彼らが寝泊まりする場所が近くに必要だった。

1950年代は桜木町の南側にドヤが密集していたのだが、1957年に職業安定所が寿町に移転するようになると、日雇い労働の斡旋が必要な労働者がみんな寿町に集まるようになってきた。これがドヤ街としての寿町の始まりだった。


かつてホームレスで溢れていた寿町は変わった


寿町には過去に何度か歩いたことがある。一番最後に歩いたのは2001年だったが、その頃のドヤ街は労働者やホームレスで街が覆い尽くされていた。

この当時のドヤは荒み切っていた。

彼らの拠り所になっていた寿町総合労働福祉会館(職業安定所)、通称「センター」も、入口の階段の上から下まで誰かが座っており、二階に上がると今度は翁湯の入口付近でもホームレスがびっしりと雑魚寝しているような場所だった。

寿町を覆い尽くしていたのがドヤだが、そのまわりには居酒屋、大衆酒場、スナック、ゲームスナック、雀荘、違法賭博屋が林立しており、どこも労働者でびっしり埋まっていた。フィリピン女性の姿も見かけた。

石川町駅と寿町をつなぐ狭い路地にはラブホテルも建っていたが、真夜中になるとここに立ちんぼがいて売春ビジネスをしていた。少し遠出すると、「ちょんの間」地帯である黄金町もあった。

つまり、この当時の寿町は労働者の娯楽である「飲む・打つ・買う」のすべてが揃っていたということだ。

2017年12月。私はこのラブホテル街を抜けて寿町に入ったが、約16年ぶりに入って気付いたのは、かつては溢れるほどいたホームレスがほとんど消えていたことだった。

なぜホームレスが消えたのか。

NGO団体や貧困ビジネスをする団体が、彼らに生活保護を受給させるのを手伝って所定のドヤに押し込み、生活保護費をドヤ代として徴収するビジネスを始めたからだ。

これは、東京の山谷でも、大阪の釜ヶ崎(あいりん地区)でも起きている現象だ。

労働者の生活保護費を搾取する貧困ビジネスは老いた労働者を家畜のように「飼い殺し」しているのだが、一方で危険で厳しい路上生活を消してしまったのも事実である。

この現状を知ると、それが良かったのか悪かったのか、私はとても複雑な気持ちになる。




ここで降りる人々は、そのほとんどが日本最大のチャイナタウン「横浜中華街」に向かう。日本人と外国人の観光客でごった返す横浜中華街だが、線路を挟んだ向こう側の寿町に足を向ける人はほとんどいない。


寿町。昼間なのに車はほとんど走っておらず、街を歩いているのは高齢者ばかりである。


NGO団体や貧困ビジネスをする団体が、彼らに生活保護を受給させるのを手伝って所定のドヤに押し込み、生活保護費をドヤ代として徴収するビジネスを始めた。

再び日本にホームレスが溢れるのではないか?


寿町を歩いていると、やはりそこは活気を失って老いて見捨てられた街になっていることを感じざるを得ない。

高齢化した労働者は生活保護費でドヤに収容されたのと同時に、高齢化した多くの労働者は街から消えた。彼らの大半は地方から流れて来た人々である。仕事ができなくなればもう寿町にいる理由もなくなる。

荷役労働も機械化と自動化が進み、かつてのように人海戦術を採らなくてもよくなり、仕事も減り、さらに日本が高齢化したことにより労働者の数も減った。

残った労働者もいるが、彼らは生活保護でドヤに収容されたので街からホームレスが消えてクリーンになった。そのかつての労働者がたまにドヤから出て街を歩いているが、彼らの多くは身体のどこかを壊していた。

肉体労働は長持ちしない。早い人は30代で力尽き、ほとんどの人は40代で体力の限界を迎える。

それもそうだ。肉体労働は夏のうだるような熱気の中で働き、酷寒の凍えるような中で働き、重い荷物を扱って怪我や病気をしやすい傾向にある。

どんなに注意深く生きてきた労働者であっても、身体はどんどん老いて体力を失う。

肉体労働は早めに上がらなければならないのだが、上がることができない人が資産を貯めることができないまま仕事ができなくなると、ホームレスと化すのである。

『平成24年ホームレスの実態に関する全国調査検討会報告書』では日本のホームレスは「55歳以上が全体の7割以上を占める」として半分以上がホームレスの前は肉体労働者であったということが分かっている。

その現状については、こちらに書いた。(55歳までに資産を保有していないと地獄でもがくことになる

これからの日本は、老いて身体を壊して働けなくなった高齢者で埋まり、彼らのほとんどが生活保護受給者となる。2024年には国民の3人に1人が65歳以上になる国で、社会保障費の増大は全日本人にのしかかってくる。

山谷、あいりん地区、寿町と、三大ドヤ街のすべてを歩いてそこで高齢化をつぶさに見つめると、どのみち国家財政は限界に達して破綻しても不思議ではないことは肌で感じるはずだ。

政府が膨れ上がる財政赤字に悲鳴を上げ、社会保障が破綻すれば、今の貧困ビジネスも破綻して、高齢者はみんな路上に放り出されることになる。

今、日本でホームレスが消えたのだが、社会保障費の極度の削減や破綻の時期を迎えると、再び日本にホームレスが溢れるのではないかと私は身を切るような寒さの中で震えながら思ったのだった。

寿町の光景を写真で見る



寿町から少し外れたところで、ひとりの老婆が寒い中でじっと座り込んでいた。


ドヤには酒を飲ませる店が多い。これは山谷でもあいりん地区でも同じだ。かつては人でいっぱいだったのだろうが、今はシャッターが降りた店もあり、開いている店もそれほど流行っているようには見えない。


普通の住宅を改善したような小さな居酒屋が特徴だ。寿町は昔からこのタイプの店が多かった。


居酒屋の上はドヤの部屋が見える。窓の幅が部屋の幅である。2畳ほどの狭い部屋がびっしりと詰め込まれている。


寿町で有名な「さなぎの食堂」。食べたかったが、閉まっていた。


あるドヤの入口。奧に見えるのは日本共産党のポスターだ。社会からこぼれ落ち、「今の社会をぶっ潰したい」と考える人には日本共産党は魅力的な政党だ。革命で日本を変えてくれるかもしれない。


典型的な労働者スタイルの男。やはり身体が悪いのか、足を引きずりながら歩いていた。


コインシャワーとコインランドリー。ドヤにはこの手の店が山ほどある。


ドヤが林立するこの路地にいるのも、ほとんどが高齢者である。


ドアが開放されているので中をのぞくと、廊下の両側にびっしりと部屋がある作りになっているのが分かる。ほとんどのドヤはこのスタイルだ。


古くなったドヤは安い値段で泊まることができる。だいたい1泊1200くらいだ。1ヶ月泊まろうと思えば約3万6000円になる。


車イスの高齢者も多い。介護施設も寿町であちこちにある。


ドヤ街で最も必要とされているのが身体を壊した高齢者をケアするデイサービスだ。ドヤに敷設されている。


寿町は食堂がほとんどない。多くの食堂が労働者の減少と共に消えていっているのが分かる。


足を悪くして杖をついている人も多い。ゆっくりと、千鳥足で道路を横切っていく。


自動販売機の横にひとりの男が座り込んでいるのだが、凍えるほど寒い中に彼は裸足だった。


酒場の入口にふたりの男が座り込んで酒盛りをしていた。昔の寿町は、街全体がこうだった。


公衆トイレの前には多くの高齢者が集まっていた。ここが談笑の場だった。


こちらを見ている高齢者は女性だ。ドヤには高齢になった女性の存在もあった。


やはり足を悪くした人が街に佇んでいた。ドヤの狭い部屋の中にいてもやることがないので、寒くても路上にいたいのだろう。


こうした高齢者がたくさんいる。


昼間から酒の臭いをプンプンさせながら酔った男がふらふらと歩いていた。


ドヤの名物である自転車。街は自転車でびっしりだ。


「空室あります」「エアコン完備1500円」とある。少ししゃれたドヤは2200円、古なったドヤは1500円以下が多い。


寒い公園でひとり新聞を読んでいる高齢者。その脇を毛並みの良い猫が横切る。


自転車でふらふらと道を横切る人がいた。自転車のカゴには前も後ろも荷物でいっぱいだった。ドヤを出てどこかに行くのだろうか。


ゴミを見ると、ビールの缶と共に栄養ドリンクが山のように捨てられていた。疲れた身体に栄養ドリンクを流し込んで無理しているのが見て取れる。


肉体労働は夏のうだるような熱気の中で働き、酷寒の凍えるような中で働き、重い荷物を扱って怪我や病気をしやすい傾向にある。どんなに注意深く生きてきた労働者であっても、身体はどんどん老いて体力を失う。



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