ドナルド・トランプ大統領は、激しい言動に対する反撥に見舞われており、2017年7月には支持率が過去最低の36.9%を記録していた。しかし、最新のデータでは40%に上昇している。

トランプ大統領自身は特に何が変わったというわけではないのだが、賛同や批判は交互に揺れ動いてさまよっていく。相変わらずマスコミは総攻撃だが、トランプ大統領はまったく心が折れていない。まさに「我が道を往く」タイプである。

ところで、エイブラハム・リンカーンは、アメリカで最も偉大な大統領であると現在は言われている。

しかし、南北戦争での妥協を拒む姿勢や、強引な奴隷解放運動まで、存命中はありとあらゆる批判と中傷に巻き込まれて多くの人々から「憎悪されていた存在」であった。しかし、リンカーン大統領も我が道を往った。

ウィンストン・チャーチルも、イギリスをヒトラーから救った大政治家として名を残しているが、当時は毀誉褒貶の激しい人物で、任期中は凄まじいまでの批判が渦巻いていた。それでも自分の信じる道を突き進んだ。

マザー・テレサは、ヒンドゥー教の国であるインドでキリスト教の修道女として活動を初めた。ところが、最初は誤解されて「貧しい人たちを助けてキリスト教に洗脳している」として大批判されて警戒されていた。しかし、やはり自分を貫き、死去した時はインドで国葬になった。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

100%好意的な評価を受けることは絶対にない


人は誰でも意見を持ったり、何らかの意思表示をした瞬間に、期せずして批判の渦に巻き込まれる。

人は生きている限り、他人の批判から逃れることができない。自分が持った意見は、必ず正反対の意見を持つ人たちから激しく責められる。

自分自身が考えたことは、必ず妨害され、野次られ、敵視され、けなされる。何かすれば、敵対者からは必ず責任を追及され、いかに馬鹿げたことをしたのかと責められ、どうしようもないと軽蔑される。

私たちは、何かしたらそれで責められ、何もしなければ何もできないと責められる。真面目でいると面白味がないと嘲笑され、不良がかると社会不適合者だと吐き捨てられる。

多くの人々が、それぞれの世界で多くの表現物を世に出して来て、私たちは様々な芸術作品に触れることができる。

音楽、絵画、映画、演劇、文学、ダンス……。

あらゆる芸術作品や表現物があって、多くの人が多くの創作をするが、100%好意的な評価を受けることは絶対にない。必ず、一定の批判者が生まれる。

ピカソの、近代芸術の先駆けとなったキュビスムの絵画もそうだ。未だに好き嫌いの評価が激しく分かれ、「あんなものは絵ではない」と批判する人も多い。

映画も斬新な手法で表現されるたびに、こんなものは映画ではないと批判されることが多い。

音楽も、新しいジャンルは必ず大批判と無理解の中から始まっている。ジャズも、ブルースも、ロックンロールも、パンクも、ラップも、最初は「こんなものは音楽ではない」と言われて批判されていたものだった。

エルビス・プレスリーは今でこそ「アメリカが生み出したキング・オブ・ポップ」と評されている。

しかしデビュー当時は、「田舎者のトラック運転手が黒人の真似事をしているだけ」と嘲笑を受け、「あんなのは音楽と言わない。雑音だ」と方々から酷評されていた。

エルビス・プレスリーがステージで行うパフォーマンスも猥褻だと言われ、それを放映するテレビ局に「放映するな」と大批判が向かった。

熱狂的なファンもいたが、激しく嫌悪する層も一定数いた。それで、プレスリー自身はどうしたのか。別に何も変わらなかった。我が道を往った。




しかしデビュー当時は、「田舎者のトラック運転手が黒人の真似事をしているだけ」と嘲笑を受け、「あんなのは音楽と言わない。雑音だ」と方々から酷評されていた。

日本人が日本人であるという理由で嫌われる?


アップルの創始者スティーブ・ジョブズは日本文化や日本料理を好んでいた。ジョブズは刺身を愛していた。

この日本料理の刺身も、かつては世界中からゲテモノ料理、残酷な料理だと批判されていた料理だった。しかし、年月が経つと共に、それが日本文化に根ざした非常に繊細な料理であることが理解されるようになっていった。

かつて、アメリカ文化の中に根付いたハンバーガーのようなものは、食べるに値しない安物料理だと嘲笑された料理だった。しかし、年月が経つと共に、それは世界中に広がって愛される料理となっていった。

では、すべての人が刺身やハンバーガーを理解し、愛しているのかというと、人の好みは様々なので、決して全員に理解され、愛されているわけではない。

相変わらず刺身は「残酷で理解できない料理」と考える人々もいるし、「ハンバーガーなど、貧困層しか食べない安物料理」と嫌悪する人たちもいる。

絶対に100%理解されるということはあり得ない。ありとあらゆる存在物は、100%好かれることはない。

必ず、反対者や批判者を生み出し、好きどころか「心から嫌う」人すらも生まれてくるのである。ありとあらゆる存在物は、両極端な評価を得ることになる。

誰が何を生み出しても、それが一部では名作と評されていたとしても、絶対に100%好かれたり、100%同意されたりすることはない。

文化にしてもそうだ。日本文化は素晴らしい文化であり、日本は素晴らしい国だ。しかし、そうだとはしても100%そうだと同意されるわけではない。

日本を激しく憎み、日本文化をけなし、日本人に悪感情を抱く人たちもたくさんいる。日本人が日本人であるという理由で嫌われることもある。

「日本など沈没して消えてしまえ、日本人は全滅しろ」と願う人間どももいるのである。



日本文化は素晴らしい文化であり、日本は素晴らしい国だ。しかし、そうだとはしても100%そうだと同意されるわけではない。日本を激しく憎み、日本文化をけなし、日本人に悪感情を抱く人たちもたくさんいる。

反対者を説得するより、賛同者を増やす方が効率的


客観的に現実を見たとき、私たちは自分が批判から逃れられない存在であることを認めざるを得なくなる。これは、他人事ではない。すべての人間に当てはまることだ。

自分自身を振り返っても分かるはずだ。私たちは生きているだけで、誰かに嫌われ、憎まれ、批判され、白い目で見られることになる。

パレートの法則(80:20の法則)という経験則があるが、一般的に言えば普通の人でも10人中2人に嫌われる。

もし、先鋭的な意見や、表現や、発言をしているのであれば、嫌われる確率はもっと増える。目立てば目立つほど賛同者と共に反対者や批判者が増えていく。

これは、私たちの人格や性格とはいっさい関係のないところで起こる現象だ。自分がそこにいるだけで、許せないと感じる人が世の中にはいるのである。

生きているだけで疎んじられるというのは、多くの人に思い当たるフシがあるはずだ。そんな時、自分を理解してくれない人がいることに思い悩み、どうすればいいのかと答えを探し求めようとする人もいる。

結論から言うと、最も合理的かつ効率的なのは、反対者や批判者は、あっさりと「切り捨てる」ことなのである。

私たちは世の中を支配できない。そうであれば、私たちがしなければならない唯一のことは、「常に批判する人間はいる」と認め、その人たちを切り捨ててしまうことである。

相手を変えようとしたり、反論したり、話し合おうとしたりするのは無駄だ。切り捨てて関わらない。自分の人生に関与させない。説得しない。教えない。

なぜ、それがいいのか。理由は簡単だ。反対者や批判者の意見を変えさせるよりも、賛同者を増やした方が「効率が良く合理的」だからだ。

反対者の意見を変えさせるのは苦労する。結果的に無駄な努力になるかもしれない。無駄ではないかもしれないが、かなり面倒な仕事になる。

この忙しい現代社会で、なぜいちいち反対者や批判者のために、効率の悪いことに取り組まなければならないのか。ひとりの反対者を転向させるより、賛同してくれる人を見つける方が効率的なのだから、それを選択すべきだ。

「どうでもいい人間は切り捨てる」
「批判者を転向させるより賛同者を見つける」

日本人は今まで自分に反対する人たちの意見や、自分たちに対する批判には過剰に反応し過ぎてしまっている。無意味な配慮も横行している。

基本的に、優しすぎるのだ。

だから「どうでもいい人間は切り捨てる」という効率的な生き方ができない。しかし、そろそろこのあたりを変える必要が出てきている。

日本人はもっと我が道を往って幸せをつかんでもいいはずだ。(written by 鈴木傾城)


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結論から言うと、最も合理的かつ効率的なのは、反対者や批判者は、あっさりと「切り捨てる」ことなのである。なぜ、それがいいのか。理由は簡単だ。反対者や批判者の意見を変えさせるよりも、賛同者を増やした方が「効率が良く合理的」だからだ。


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