カンボジアは今でも貧困国だが1990年代はもっと貧困の度合いがひどかった。

原始共産主義を標榜したポルポト政権のめちゃくちゃな政治と大量虐殺で国は崩壊し、その後も内戦が続いて国情は落ち着かなかった。それがカンボジアの貧困を深いものにした。

私がこの国を訪れたのは1990年代の終わりだが、その頃は首都プノンペンですらも信号がなく、どこのホテルもしばしば停電した。舗装された道路は一部で空港から都内に入る道も砂塵が舞っていた。そんな国だった。

この貧困の中で、カンボジアの人々は生きるのに必死だった。

一方でカンボジアの隣国であるタイは1980年代以後は工業化の波に乗り、国はどんどん経済発展していた。タイとカンボジアは陸続きだ。

そうであれば、さっさと隣国タイに移動すれば、その方がうまく生きられるのではないか。私は簡単にそう思ったこともあった。しかし、現実は厳しかった。

自国が崩壊しているからと言って、さっさと治安も良く経済も発展したタイに移れるような人はほとんどいない。

移動する金もなく、パスポートもなく、言葉も違い、仕事もなく、ツテもなく、土地勘もなく、家を借りる金もない。何もない。さらにタイとカンボジアも隣国特有の対立を憎悪を抱えており、民族感情は良くない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

そこで娘は貞操を失うが、何とか生き延びられる?


今いる場所が自分にとって良くない場所であっても、そう簡単には捨てられない。国家が破綻しても、戦争が起きても、貧困が国を覆い尽くしても、ほとんどの人はそこにいる。

貧困に落ちれば落ちるほど、逆に移動することができない。さしあたって今日の食事をどうするのかという切実な問題があるのに、何も持たないで着の身着のまま国を捨てることはできないのである。

みんな、そうだった。原始共産主義ポルポト政権が破壊した国の中で人々は貧困にあえぎ、内戦で国土も経済も崩壊したが、その中でもがくしかなかった。

そして、人々は生きるために何でもした。

長引く内戦を収束させるため、国連は1990年代になってカンボジアに国際連合平和維持活動のための軍を送り込んだ。そしてどうなったのか。

治安維持のためにやってきた世界各国の軍人たちを相手に、カンボジア人は自分の娘を売春地帯に「売り飛ばした」のだ。

親が娘を売り飛ばすという状況に、私たちは「何と言う親だ」と憤りを覚えるかもしれない。

しかし、金も食べ物もなく、下手したら一家全滅の危機にある最中では、娘を売るというのは自分たちにとっても娘にとっても「救い」となる。

売春地帯で娘は貞操を失うが、その仕事で食べていける。生き延びることができる。うまくいけば娘が稼ぐ金で自分たちも助かる。そうでなくても一人分の食い扶持が減るので助かる。

当時のカンボジアには人身売買業者が跋扈して若い娘たちをあちこちの村から集めていたが、それが可能だったのは極度の貧困の中で売春ビジネスだけが生き残るための「できること」だったからである。

カンボジア国内では、ベトナムのメコンデルタからやってきたベトナム人たちもまた凄まじい極貧の中で暮らしていたのだが、彼らもまた娘を人身売買業者に売り飛ばした。

かくして、カンボジア首都プノンペンでは、ブディン、トゥールコック、63ストリート、スワイパー等が売春地帯と化し、他の地域にも小さな売春地帯が林立する事態となった。

その頃のカンボジアの売春地帯を書いたのが私の書籍『ブラックアジア第一部』であり、電子書籍『スワイパー1999』である。カンボジアの闇の中に女たちがじっと潜んでいた。

経済格差を利用した「肉体(フレッシュ)トレード」


カンボジアの売春ビジネスは、国連が送り込んだ平和維持軍が作り上げたと言っても過言ではない。

その売春地帯は、彼らが去った後もそのまま残った。そして、去った軍人たちの代わりにやってきたのが、真夜中の世界を這い回る「ハイエナ」たちである。

表社会ではあまり知られていないが、植民地を世界各国に持っていた欧米の男たちは自国で稼いで旧植民地で安く過ごし、現地の女性を片っ端から抱くというスタイルで生きる闇の男たちが存在する。

今に始まったことではない。「経済格差を利用したフレッシュ・トレード(flesh trade=肉体取引)」をしている男たちは200年以上も前から存在していたのだ。

合理的に、効率的に、そして貪欲に、女たちの肉体を食い尽くす。まるでハイエナのように食い漁る。

1990年代後半、すでに世界中からハイエナたちがプノンペンに乗り込んで売春地帯に沈没していた。当時のプノンペンは売春のホットゾーンだったのである。

そこでハイエナたちは何を見たのか。

貧困の中で生き延びるために売春宿に住み込み、孤独の中で生きる女たちだった。「今いる地獄から逃げられなくなった女たち」だと言ってもいい。

それで思い出す女性がいる。

私が知り合ったある売春地帯の女性は、「遊園地にいきたい」と私にせがんだことがあった。

一緒に彼女が言う遊園地にいくと、彼女は乗り物に乗って遊ぶのではなく、ただ家族連れの客の姿を見て物思いに沈んでいるのだった。

彼女は幸せな家族を見ながら、自分が家族に引き離された境遇と比べ、そしてホームシックにかかって苦しんでいた。彼女が見たかったのは、「幸せな家族」だった。家族が恋しいあまりに「幸せな家族」を見たがったのである。

そこが地獄であったとしても簡単に逃れられない


プノンペンの売春地帯に放り込まれる女性の多くは拉致されて連れてこられたわけではない。極貧の親に売られて売春地帯に連れてこられた。

だから、彼女たちは売春地帯を出ても帰るところがない。親に会いたいと思って故郷の村に逃げ帰っても、親がそこで彼女を養えない以上、連れ戻されるしかない。

貧困国は全員が生き延びるのに必死だ。福祉などない。誰も助けてくれない。彼女たちは社会から孤立しており、助けてくれる人も見つからず、帰る場所もなく、蓄えも持っていない。

確かに彼女の肉体を縛っている鎖はなかった。しかし、やはり彼女たちはそこにいるしか生きていけないという意味で、「いてはいけない場所」につながれていたのだった。

そして、彼女たちは自分の人生を押しつぶす場所から逃れることができそうになかった。そこから逃れるには、あまりにも彼女たちは無力だった。

以後、私はカンボジアからインドネシアに拠点を移していくことになるのだが、そのインドネシアでも売春地帯にいる女たちの事情はまったく変わらなかった。

極貧の中で暮らす家族が、娘を「生き延びさせるため」に売春地帯に送り込む。

そこでも私は悲しい女性に会った。目の悪い女性だったのだが、自分の視力に合う眼鏡を作ることもできず、暗い部屋の中で折り紙をしながら客を待っていた。

彼女はボロボロの下着を着けていたのだが、ふと部屋を見るときれいで高価そうな服が一着壁際に掛けていた。聞くと、彼女を送り出す時、両親が彼女のために用意したものだった。

事情を察して、私は涙が止まらなくなった。娘を地獄に送り出す両親が「せめて着るものだけは誰よりも綺麗なものを」と無理して用意したのだ。(ブラックアジア:ひとりぼっちのアニス。彼女は、今も暗い部屋の中にいる

現実を直視すると、ほとんどの人は自らの境遇に流され、「いてはいけない場所」に閉じ込められ、何も自己実現できないまま日々を流されて生きていく。

「そこが地獄であったとしても、人は簡単に逃れられないのだ」と私は現実の重さに押し潰された。

これは貧困国の女性たちだけの話ではない。

私たちはきっと誰もがそうなのだ。自分のいる場所が地獄であっても、私たちはきっと逃れられない。少なくとも、社会の裏側はそうなっていた。(written by 鈴木傾城)



彼女たちは売春地帯を出ても帰るところがない。親に会いたいと思って故郷の村に逃げ帰っても、親がそこで彼女を養えない以上、連れ戻されるしかない。

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売春地帯に生き、売春地帯に死んでいく。悲しい女たちの群像がここに大量に記されています。多くの人たちに、そして日本人の女性に、こんな世界があることを知って欲しいと思っています。


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