ブラックアジア - 注目のランダム・トピックス
◆超人になるための方法論は、すでにインド人が見つけていた ◆一番美しさに敏感だった人が、一番取り返しのつかない顔へ ◆人を殺しても何も感じないようにする簡単な方法があった ◆今後、何も知らない日本女性が、麻薬の運び屋にされていく
◆人肉を食べたいという衝動が抑えられなかった29歳の女性 ◆日本女性に「セックス産業の知識」が必須になる理由とは ◆売春で逮捕された女性たちの逮捕写真220枚を見て思うこと ◆「世界最高のメスティーソ」と、フィリピン人の民族意識

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2017-12-05

カンボジアで今後もフン・セン首相の独裁が続く理由とは?

2018年に総選挙を迎えるカンボジアでは、フン・セン首相の独裁政治がだんだん不穏なものになりつつある。

カンボジアに君臨するフン・セン首相は、野党の躍進で自分の独裁が崩壊するのではないかと考えて、野党の破壊とメディアの弾圧に走っているのだ。

シアヌーク殿下が2012年10月15日に89歳で崩御した後、カンボジアの権力はフン・セン首相に集中し、今のカンボジアはすでに「フン・セン帝国」と化している。

フン・セン首相の弱点は王族ではないので、首相を降りたら「ただの人」になってしまうことである。だから、フン・セン首相は絶対に首相の座を他人に譲ろうとしない。

1985年に首相になってから現在まで、紆余曲折を経てフン・セン首相はずっと首相の座にしがみついてきた。

フン・セン首相の最大の危機だったのは1993年で、国連管理下の総選挙の結果、ノロドム・ラナリットと共に「ふたり首相」となった時だった。

ラナリットは第一首相、フン・センは第二首相だった。しかし、当初からフン・センはラナリットを嫌悪して激しい政治闘争を仕掛け、1997年にはついに軍事クーデターを起こしてラナリットとその一派を放逐してしまった。






2017-07-19

「発展の取りこぼし」が路地裏にたくさんあることの幸せ

海外に向かうと、その国の代表する都市や観光地よりも、名も知らない郊外や、何気ない普通の住宅地や、発展から取り残された一角に関心を持つ人もいる。

華やかな場所は世界中どこでも似通ってくる。高層建築物もショッピングモールもテナントも、今や世界中どこでも同じようなものになっている。

しかし、そこから一歩でも路地裏に潜り込んでいくと、急にその国独特の姿が顔を現すことになる。

路地は観光客のために存在しているわけではない。それは、そこに住む人たちの生活空間であり、憩いの場であり、子供の遊び場である。

外国人のための利便性など考えられていないし、最初からそんなつもりもない。

そこにいる人たちは普段着で過ごしている。店は本当に現地の人たちのためだけの物しか売っていない。食堂も英語のメニューもなければ外国人向けの味付けもない。愛想もなかったりする。

つまり、路地裏にはその国の人たちの本当の姿が残っていて、だからそれを愛する人たちがたくさんいる。私もまた、そんな人間のひとりである。






2017-06-01

「毎日、違う男とベッドに行くのは慣れたので問題ない」

プノンペンはかつての置屋タイプの売春地帯を消し去ったが、それで売春ビジネスが消えたわけではない。依然として夜総会(ナイト・クラブ)のような店もあれば、売春マッサージ屋も残っている。

しかし、主流はもちろんバンコクのようなバー・スタイルの店である。こうした店はリバーサイドに集中しているのだが、その中心となるのは136ストリートだ。

すでにバンコクのゴーゴーバーやオープンバーはかなりのインフレ・モードになっているので、かつてのハイエナの多くはパタヤに逃げ、そしてカンボジアやフィリピンに逃げている。

ハイエナは観光客とインフレが嫌いだ。だから、環境が悪くなると徐々に居場所を移して退廃と堕落だけに没頭できる場所に移る。堕落からは逃げられない。

堕落した女たちと長い時間を過ごし、表社会の道徳を一緒に破壊して生きる。夜の女たちはそれに付き合い、男と一緒に堕落する。彼女たちも最初は表社会の常識を持った女性であったに違いないが、堕ちたら考え方が変わる。

毎日のように違う男と付き合い、刹那的に身体を開いて金を得る。プノンペンでも、そうした女たちがリバーサイドのガールズ・バーに集まり、そして売春ビジネスに明け暮れる。

こんな女たちの牙城に私はしばらく浸って自分を取り戻した。これが私のホームグラウンドだった。

会員の方は、プノンペンの売春地帯136ストリートを撮った高解像度の画像にアクセスできます。




 


2017-05-31

自分の前腕が火傷のように日焼けして、白い肌のことを思う

久しぶりのカンボジアは着いたその瞬間から雨まじりの天気だったので、熱帯の日差しについての防御をすっかり忘れてしまい、翌日は半袖のまま一日屋外にいた。

そのため、前腕が猛烈に日焼けして火傷を負ったように真っ赤に変色して発熱した。慌てて水で冷やしたり、濡れたタオルを前腕に巻いたりしたのだが、もう遅かった。

顔は無事だった。現地で買ったカンボジアの国旗マーク付きの帽子をかぶり、目も守らなければいけないというので、ずっとサングラスを付けていたからだ。

私は今までどんな強烈な真夏日でもサングラスを付ける習慣はまったくなかった。

しかし、今年からは直射日光を浴びて網膜を傷つけるのを避けようと考えるようになり、サングラスを初めて買った。

サングラスがあるのとないのとでは「こんなに違うのか」と思うほど目が楽だった。早くサングラスを使えばよかった。もう手放せない。(視力喪失時代。今の社会は人々の視力を奪い取っていく社会

下半身も長ズボンで防御していた。私はどんなに熱くても半ズボンは履かない。熱帯の貧困地区は夕方になると蚊の大群に遭遇する。マラリアは避けたい。






2017-05-25

東南アジアでレンタルバイク、保険もなく事故を起こした女性

閲覧注意
ジェニー・エヴァンスという22歳のイギリス人の女性は東南アジアを回る冒険旅行に出た。数年かけて、可能な限りたくさんの旅をするスケジュールだった。

彼女はベトナムを訪れ、次にタイに入った。タイで彼女が辿り着いたのは、セックスとビーチとマリファナの楽園、パンガン島である。

かつてはサムイ島がこの手の欧米人(ファラン)を呼び寄せていたが、サムイ島に空港ができて普通の観光客が増えるようになると、ドラッグが好きなファランたちはサムイ島を避けてパンガン島に移るようになっていった。

そして今、パンガン島は「少しいけない冒険」を求めるファランたちの楽園となったのだった。

ジェニー・エヴァンスもまたパンガン島にやってきて、アドベンチャーを満喫していた。パンガン島にはたくさんの自然が残り、美しいビーチがあり山がある。彼女は島でレンタルバイクを借りてパンガンを巡った。

しかし、大変なことが起きた。

彼女はバイクで転倒し、右足にひどい傷を負った。膝から下が30センチ以上に渡って肉がえぐれ、筋肉がちぎれ、骨が剥き出しになるような凄まじいものだった。






2017-05-23

さようならプノンペン。私は再びカンボジアを取り戻した

東南アジアに乗り込む時は気分も高揚していて幸せに満ち溢れているのだが、帰る頃になると後ろ髪を引かれる思いで寂しい気持ちが抜けなくなる。

13年ぶりのカンボジアはもちろん以前とはまったく違う光景もあったが、逆に以前と変わらない雰囲気や光景もまた残されており、懐かしさが止まらなかった。

来て良かったと思う。逆に、どうして13年もカンボジアを無視し続けて来たのかと悔やんでしまう。

2001年はカンボジアを捨てなければならない理由もあったし、自分の決断は正しかったと思っている。(13年ぶりに悪徳の地プノンペンの空気を吸いたいと思った

しかし今回のカンボジア再訪で、もうカンボジアを避ける理由が消えていることも気付いた。もうカンボジアは私のようなノーマルなハイエナにも安全な環境となった。

さらにANAの直行便でプノンペンにそのまま行けるし、昔と違って料理は何を食べてもうまい。停電もないし、インターネットも通じる。

この国の風土が好きだ。もう帰らなければならないが、また次に訪れることも考えている。



 


2017-05-23

廃墟ビルの荒廃と売春する女性に依存する心の荒廃(2)

廃墟ビル前の道路には、よく見ると他にも女性が立っていて、道路には私をじっと見つめている男の姿もあった。

この男たちは何者なのだろうと思ったが、道路際にバイクが停まると男が寄って女性を呼び寄せるのを見てポン引きであることを理解した。

女性と一緒にトゥクトゥクに乗って、プノンペンの暗くなった夜の街を走らせる。プノンペンは夜になっても車やモトバイクやトゥクトゥクで埋め尽くされていて、相変わらず交通規則はめちゃくちゃだった。

プノンペンは右側通行なのだが、バイクは我関せずで両側から迫ってくるし、追い越しも急な路線変更も歩行者の道路横断も蛇行する車も何でもありだ。

日本大使館の安全情報を見ると、カンボジアの自動車数当たりの死亡事故発生件数は日本と比較して100倍も死亡事故が発生している計算になるという。

100倍と言えば尋常ではないのだが、カンボジアのこの道路事情を見ると誰もが1日で実感する。バイクは今も二人乗り三人乗りは当たり前で、ヘルメットもかぶらない。危険過ぎる。事故でも起こした日には間違いなく死ねる。

混乱した道路を走るトゥクトゥクの中で、私がふと隣に座っている女性を見ると彼女は相変わらず静かにしている。目が合うと、彼女の方から話しかけて来た。



 


2017-05-22

廃墟ビルの荒廃と売春する女性に依存する心の荒廃(1)

1999年前後、プノンペン南部にある「ブディン」を初めて見たとき、「こんな廃墟のビルに人が住めるのか」と驚いたものだった。

ブディンは今でこそ廃墟のビルだけを指している。しかし1999年当時のブディンは、この廃墟ビルの前と後ろは広大なバラック小屋のスラムがびっしりと密集していて、そのすべてを指してブディンと言っていた。

ブディンはプノンペンでひどく治安が悪い場所だった。それは今も変わっていないのかもしれないが、当時の状況を知っている人間から見れば今のブディンは治安が悪いと言っても大したことはない。

1999年頃のブディンは、銃を持ったチンピラ、ナイフを持った酔っ払い、軍用ライフルを持った兵士、腐敗した警官……と、危険な人間たちの見本市のようになっていて、よく怒声や銃声が響き渡る場所だった。

銃声が響くと言うのは言葉のアヤでも何でもなく事実だ。夜中のプノンペンは危険な街だった。

モニウォン通りのディスコでは喧嘩した現地の男たちが銃を撃ち合っていたし、ドイツ人は夜中に強盗に遭って抵抗したら銃に撃たれて病院に担ぎ込まれた。

当時は『ホリデー』というディスコにドラッグを売買する男が集まって日本人もたむろしていたのだが、ここでも日本人が現地の男に割ったビンで腹を刺されるという事件が起きていた。犯人は分かっていたが逮捕されなかった。理由がある。



 



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