ブラックアジア - 注目のランダム・トピックス
◆ウクライナが窮地に追いやられると、また女性が闇に売られる ◆膨大な層をなす「90%の女性」は、驚くべき多様性の宝庫だ ◆裸になってトイレの床に座り込み便器で洗濯する娘もいた ◆カンヌ映画祭で、人々の度肝を抜いたインド女性の鼻ピアス
◆衝動的に反社会的な事件を起こす人間が見せる15の特徴とは? ◆斬首、めった刺し。病的なまでの嫉妬を持つ男の10の特徴 ◆砒素で危険だと言われても飲むしかないバングラデシュの人々 ◆アフリカで行われている膣を収縮させる危険な性行為とは

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2017-05-26

安い薬品でタトゥーを消したタイ女性の皮膚はこうなった

閲覧注意
カンボジアの女性もタトゥーを入れている女性をちらほら見るようになったが、まだタトゥーだらけというほどでもない。

しかし、リバーサイドの歓楽街にはすでにタトゥーショップがある。そこに派手な格好をしたバーの女性が出入りしている姿もあるので、タトゥーだらけになるのは時間の問題だ。

タトゥーをいれた欧米人(ファラン)がカンボジアの歓楽街を徘徊し、バーの女性たちもそれに触発されてどんどんタトゥーを入れるようになる。現に今、そうなっている。

だから、カンボジアの歓楽街でも10年もしないうちにタイのように、歓楽街の女性の半分以上がタトゥーを入れているような光景を目にするようになるのではないだろうか。

私は自分の愛してきた女性のほとんどがタトゥーを入れていたこともあって、タトゥーそのものにはまったく抵抗はない。好きな女性を思い出す時、彼女の入れていたタトゥーも一緒に思い出して懐かしい気持ちになることもある。

女性の持つ雰囲気にぴったりと合ったタトゥーは美しい。ある時、そんな女性のタトゥーを指でなぞってじっと見ていると、このように言われたこともある。

「あなたもタトゥーを入れてみない? 私、良い人を知っているから……」



 


2017-05-25

東南アジアでレンタルバイク、保険もなく事故を起こした女性

閲覧注意
ジェニー・エヴァンスという22歳のイギリス人の女性は東南アジアを回る冒険旅行に出た。数年かけて、可能な限りたくさんの旅をするスケジュールだった。

彼女はベトナムを訪れ、次にタイに入った。タイで彼女が辿り着いたのは、セックスとビーチとマリファナの楽園、パンガン島である。

かつてはサムイ島がこの手の欧米人(ファラン)を呼び寄せていたが、サムイ島に空港ができて普通の観光客が増えるようになると、ドラッグが好きなファランたちはサムイ島を避けてパンガン島に移るようになっていった。

そして今、パンガン島は「少しいけない冒険」を求めるファランたちの楽園となったのだった。

ジェニー・エヴァンスもまたパンガン島にやってきて、アドベンチャーを満喫していた。パンガン島にはたくさんの自然が残り、美しいビーチがあり山がある。彼女は島でレンタルバイクを借りてパンガンを巡った。

しかし、大変なことが起きた。

彼女はバイクで転倒し、右足にひどい傷を負った。膝から下が30センチ以上に渡って肉がえぐれ、筋肉がちぎれ、骨が剥き出しになるような凄まじいものだった。






2017-05-23

もう帰らなければならないが、また次に訪れることを考える

東南アジアに乗り込む時は気分も高揚していて幸せに満ち溢れているのだが、帰る頃になると後ろ髪を引かれる思いで寂しい気持ちが抜けなくなる。

13年ぶりのカンボジアはもちろん以前とはまったく違う光景もあったが、逆に以前と変わらない雰囲気や光景もまた残されており、懐かしさが止まらなかった。

来て良かったと思う。逆に、どうして13年もカンボジアを無視し続けて来たのかと悔やんでしまう。

2001年はカンボジアを捨てなければならない理由もあったし、自分の決断は正しかったと思っている。(13年ぶりに悪徳の地プノンペンの空気を吸いたいと思った

しかし今回のカンボジア再訪で、もうカンボジアを避ける理由が消えていることも気付いた。もうカンボジアは私のようなノーマルなハイエナにも安全な環境となった。

さらにANAの直行便でプノンペンにそのまま行けるし、昔と違って料理は何を食べてもうまい。停電もないし、インターネットも通じる。

この国の風土が好きだ。もう帰らなければならないが、また次に訪れることも考えている。



 


2017-05-23

廃墟ビルの荒廃と売春する女性に依存する心の荒廃(2)

廃墟ビル前の道路には、よく見ると他にも女性が立っていて、道路には私をじっと見つめている男の姿もあった。

この男たちは何者なのだろうと思ったが、道路際にバイクが停まると男が寄って女性を呼び寄せるのを見てポン引きであることを理解した。

女性と一緒にトゥクトゥクに乗って、プノンペンの暗くなった夜の街を走らせる。プノンペンは夜になっても車やモトバイクやトゥクトゥクで埋め尽くされていて、相変わらず交通規則はめちゃくちゃだった。

プノンペンは右側通行なのだが、バイクは我関せずで両側から迫ってくるし、追い越しも急な路線変更も歩行者の道路横断も蛇行する車も何でもありだ。

日本大使館の安全情報を見ると、カンボジアの自動車数当たりの死亡事故発生件数は日本と比較して100倍も死亡事故が発生している計算になるという。

100倍と言えば尋常ではないのだが、カンボジアのこの道路事情を見ると誰もが1日で実感する。バイクは今も二人乗り三人乗りは当たり前で、ヘルメットもかぶらない。危険過ぎる。事故でも起こした日には間違いなく死ねる。

混乱した道路を走るトゥクトゥクの中で、私がふと隣に座っている女性を見ると彼女は相変わらず静かにしている。目が合うと、彼女の方から話しかけて来た。



 


2017-05-22

廃墟ビルの荒廃と売春する女性に依存する心の荒廃(1)

1999年前後、プノンペン南部にある「ブディン」を初めて見たとき、「こんな廃墟のビルに人が住めるのか」と驚いたものだった。

ブディンは今でこそ廃墟のビルだけを指している。しかし1999年当時のブディンは、この廃墟ビルの前と後ろは広大なバラック小屋のスラムがびっしりと密集していて、そのすべてを指してブディンと言っていた。

ブディンはプノンペンでひどく治安が悪い場所だった。それは今も変わっていないのかもしれないが、当時の状況を知っている人間から見れば今のブディンは治安が悪いと言っても大したことはない。

1999年頃のブディンは、銃を持ったチンピラ、ナイフを持った酔っ払い、軍用ライフルを持った兵士、腐敗した警官……と、危険な人間たちの見本市のようになっていて、よく怒声や銃声が響き渡る場所だった。

銃声が響くと言うのは言葉のアヤでも何でもなく事実だ。夜中のプノンペンは危険な街だった。

モニウォン通りのディスコでは喧嘩した現地の男たちが銃を撃ち合っていたし、ドイツ人は夜中に強盗に遭って抵抗したら銃に撃たれて病院に担ぎ込まれた。

当時は『ホリデー』というディスコにドラッグを売買する男が集まって日本人もたむろしていたのだが、ここでも日本人が現地の男に割ったビンで腹を刺されるという事件が起きていた。犯人は分かっていたが逮捕されなかった。理由がある。



 


2017-05-20

現代プノンペンの姿を大量の写真で一挙に見る(昼間編)

カンボジアが成長期に入っているというのは、ストリートをうろつき回れば本当によく実感できる。

古い建物がどんどん取り壊され、新しい建物がどんどん建つ。そればかりか、今まで沼地や畑だったところが埋め立てられ、新しい土地、新しい道が生み出されて、高速道路も建設途中にある。プノンペンが「拡大」しているのが見て取れる。

街がぐんぐんと成長し、活気に溢れ、躍動している。これは1980年代後半に私がタイで見たのとまったく同じ光景だ。

まずは首都プノンペンが新しく作り替えられ、たくさんの仕事を生み出し、地方の人たちが仕事を求めて都市に流入し、新しいアパートがどんどん建設され、地方との格差を拡大させていきながら、プノンペンは可能な限り膨張していく。

現在はその過程にある。

だから、現在のプノンペンは古いものの隣に新しいものがあり、新興区画と共に旧区画がある。旧区画は誰かが住み、誰かが土地を売ったり立て替えたりするのを拒絶するので変わりにくいが、もともと何もないところは変わりやすい。

そんな変わりゆくプノンペンの現在の姿を写真に収めた。現代のプノンペンがどうなっているのか、街を駆けずり回りながらたくさんの写真に収めてみた。



 


2017-05-19

「あなたの名前は岡本よ」と2015年に言われたかった理由

カンボジア・プノンペンの136ストリートには、今や数多くのガールズ・バーがひしめいており、それがプノンペンの歓楽街の中心となっている。

それぞれの店が女性を常時10人から20人ほど用意して中には24時間営業で女性をシフトさせながら営業している店もあって、それぞれに欧米人の客が入っている。

どこの店も店頭に数人の女性が客寄せしており、その声に釣られて店の中に入ると、大勢の女性が顔見せにやってくる。

そして男は気に入った女性をひとり選んで談笑したり軽いスキンシップをしながら会話し、気に入ったらペイバーするし、合わないと思ったらひとりでバーを出る。

この日、私は適当なバーに入って席に着いたのだが、この時5人ほどの女性がやってきて、ひとりの20代半ばの化粧の濃い女性が「どこから来たの?」と尋ねた。

「日本から」と答えると、彼女は「オー、ジャポンね。私、あなたの名前を知ってるわ。岡本でしょ。あなたの名前は岡本よ」と言って明るく笑うのだった。

いきなり「岡本」と言われて驚き「どうして岡本なの?」と私は彼女に尋ねてみる。



 


2017-05-18

プノンペンのかつての売春地帯はもう行っても仕方がない

そこには行きたい気持ちがあったが、行きたくない気持ちも同時にあった。

70ストリート……。

私にとってプノンペンの70ストリートはとても特別な場所であり、特別な想い出に満ちている。

かつてこの場所は舗装されていない道と、沼地とスラムとバラック小屋が林立する凄まじいまでの売春ストリートが続いていて、東南アジアのダークサイドとはどんなところなのかを具現化したような場所だったのだ。

しかし、2004年にはすでにこの場所はどんどん再開発が進んでいて、もはや紅土が舞い上がる道も舗装され、さらにバラック小屋の多くは取り壊されて新しい建物に取り変わって光景は移ろいでいた。

今日、意を決してモトバイクの運転手に「70ストリートに行きたい」と告げて連れて行ってもらったが、私の最悪の予感は的中していた。

「ここだ」と言われた場所で止められたとき、私はその何の変哲もないプノンペンの道路の端で途方に暮れた。そこは私がまったく知らない場所になっていた。



 



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