ブラックアジア - 注目のランダム・トピックス
◆リンチ、リンチ。インドでレイプ犯が集団制裁されて死亡 ◆レイプされ、肛門に棒を突き刺されて死んでいた全裸女性 ◆男が女性に対して持つ恐怖心は、どこから生み出されたか? ◆高島雄平。1万2000人と関係し、14万枚の画像を残した男
◆外陰部が極限まで膨張しても放置せざるを得ない貧困女性 ◆ストリートに蔓延したドラッグが生み出す廃人たちの姿 ◆格差社会のインドでは貧困スラム売春とは違う世界もある ◆12歳の我が娘とセックスをしてくれと親たちに頼まれる男

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2017-05-11

鳥葬。遺体を鳥に食べさせて、死んだ人は鳥と共に天に昇る

閲覧注意
アメリカの作家エドガー・アラン・ポーの小説に『早すぎた埋葬』というものがある。

「全身硬直症」という持病を持った人が、ある時目が覚めると真っ暗で狭い場所に入れられていて自分が埋葬されたと恐怖する……という内容の小説だ。

この人は生前に、このまま昏睡した状態が長く続くと生きたまま土葬されると思い、「自分がそのような症状になっても絶対に早まって土葬しないでくれ」とまわりに頼んでいた。ところが、恐怖が現実になってしまった。

その『早すぎた埋葬』の恐怖を延々と描いたこの小説は1844年に書かれたものだが、今でも長らく読み継がれている。

当時の時代は土葬が当たり前で、ごく普通に誤診があって仮死状態の人が棺桶に入れられて埋められ、後で何らかの事情で掘り返すと、棺桶の内側で暴れて死んでいった遺体が多く見つかったのが報告されている。

今の先進国では医学が発達して「早すぎた埋葬」は遠い昔のフィクションとなったが、この当時は身近で切実で恐怖のシチュエーションだったのだ。

子供の頃、私はこの小説を読んで「自分が死んだら土葬だけはして欲しくない」と心から望んだものだった。






2017-04-18

不衛生極まりない売春宿と、女性の性器が放つ強烈な臭い

日本人の女性はとても清潔で、衛生的だ。

身体を清潔に保つ、衛生的に保つというのは、日本人にとっては当たり前だと思っている人も多いが、世界を見回すと、その当たり前が通用しない国も多い。

日本人ほど自分の身体を丁寧に洗って、毎日のように湯船に浸かる民族はあまりいない。日本人の潔癖さは、本当に世界でもトップレベルにある。

当然だが、どこの民族も清潔で衛生的であることの重要性は認識しており、多くの人はその国のレベルの中できちんと清潔さを保っている。

だから「日本人は清潔で、他民族は清潔ではない」という認識は間違っている。どこの国の人たちも清潔であるのは間違いないのだが、日本人の潔癖さはそれを上回るものがあるというのが一般的な認識だ。

そのため売春ビジネスの現場でも、途上国になればなるほど、日本人の潔癖さでは想像ができない現場に直面することになる。売春宿の状況も、女性の身体も、時には普通の日本人には耐えられないような不衛生さが存在する。

私が経験した中で忘れられないことも夥しくある。それぞれの国で驚かされることが多かった。



 


2016-12-04

平等は存在しない。しかし、全人類は「四苦」で平等となる

凄まじい資産を持つ超富裕層と私たちには経済格差がある。埋めがたい格差だ。彼らは最上位であり、99%の層は格差の下にある。彼らと私たちは資本主義社会の中では平等ではない。

資本主義の中では、いかに税制を変えようと、いかに社会福祉を充実させようと、この経済格差は絶対に埋めることができない。平等な社会は絶対に生み出せない。

それでは社会主義や共産主義が平等な社会を生み出せたのかと言えば、まったくそうではない。それはソビエト連邦時代の各国々や、毛沢東時代の中国を見ても分かる。

人間が制度を運営する限り、既得権益に授かれる一部の人間が私腹を肥やすことができるようになり、彼らがいかなる主義の中でも裕福になっていく。

そこから平等を生み出すというのは不可能に近い。

すでに現代社会は「平等」を生み出すことはできない。明確な身分制度は消えたかも知れないが、経済格差は新たな階級を生み出しており、金持ちが優遇されて貧困層が不遇に堕ちる社会は相変わらず続いていく。

平等というのは、絵空事であり、理想である。しかし、それでも実は「私たちはすでに平等である」と悟った人間がいる。超富裕層と極貧層が「平等である」と言えば、私たちは驚くしかないが、いったいどういうことなのだろうか。






2016-12-02

愛する人との結婚を反対された時、あなたはどうするか?

閲覧注意
日本では一度も結婚したことがないという筋金入りの独身が男女共に増えている。

50歳の時点で一度も結婚していない人の割合を「生涯未婚率」というのだが、2010年は男性の20%、女性の11%が未婚であったことが知られている。

しかし、だからと言って「一度も結婚を考えたことなどない」という人はほとんどいない。

結婚は自分に合わないと思って拒絶しているうちに婚期を逃したとか、自分には相手が見つかるはずがないと考えて婚期を逃した人もいる。

あるいはタイミングが合わなかったとか、仕事が忙し過ぎて相手が見つからなかったという人もいる。経済的にどうしても難しいと自らあきらめる人もいる。

中には、結婚したかったが、親に反対されて結婚できなかったという人もいる。

せっかく愛する人ができて一緒になりたいと思っても、自分の親や相手の親が強く反対する。そういうケースは数限りなく存在する。愛する人との結婚を親に反対された時、あなたはどうするだろうか?



 


2016-11-15

社会は、差別という感情を消す処方箋を持っていないのか?

アメリカは多様な民族を抱え込み、多文化主義で成功した国家であると思われている。しかし、それは表向きであり、かつ一面的な話である。

実際には、アメリカでも人種間差別は歴然として残っている。

ドナルド・トランプが大統領選挙を勝ち抜く過程で、一部のメキシコ人を公然と「犯罪者、強姦者」と罵り、イスラム教徒を「アメリカから追い出せ」と煽ったせいで、彼らに対する風当たりは一気に悪化した。

メキシコ人が街を歩いていると、見知らぬ白人から「お前らはさっさと国へ帰れ」と言われ、スカーフで髪を覆っているイスラム女性は「なぜテロリストがアメリカにいるんだ?」と言われるようになっているという。

学校では「このトイレは白人専用だ」と落書きされ、同性愛者たちは「トランプが大統領になったのだから、お前たちの結婚なんか無効だ」と嘲笑されたという話が次々と上がっている。

アメリカは「ポリティカル・コレクトネス」と言って、「政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語」を使うことが社会的に強要される風潮があったのだが、一気にその反動が来て、逆に向き出しの差別が強調されるようになってしまった。

人種差別は、黒人大統領を生んだアメリカでさえも消えないのを思い知らされた動きでもあった。






2016-10-22

インドでは、床に食事をよそわれて食べる貧困女性もいる

インドのアーンドラ・プラデーシュ州はインド大陸の南東部にあってテルグ語を話す人々が住んでいる。

この州はインド屈指のIT産業の地ハイデラバードのある州として知られているのだが、2014年にこのハイデラバードを含むテランガナ地区が独立して新しい州になった。

なぜこの地区は独立したかったのか。それはアーンドラ・プラデーシュ州のほとんどは農業が主体の貧乏州であり、ハイデラバードは完全に異質だったからだ。

逆に言えば、世界を代表するハイデラバードは「古いインド」を捨てたかった。この話は5年近く紛糾して揉めに揉めたが、2014年に州としての独立が実現した。

そして、アーンドラ・プラデーシュ州は見捨てられた。

干魃に苦しみ、収入を得る手段を失った農村に住む女性たちは、夫に売られ、仕事斡旋業者に騙されて、「ムンバイに仕事がある。コルカタに仕事がある」と甘言で釣られて次々と州を出て都会に消えていった。

彼女たちはどこに消えたのか。それが、ムンバイのカマティプラであり、コルカタのソナガチであった。人身売買は今でもインド最大の「闇」となってそこに存在している。この闇は凄まじい貧困が生み出したものだ。



 


2016-09-22

2人の女性を誘拐してレイプして道ばたに捨て轢き殺す者

閲覧注意
ブラジルで、2人の女性が近づいて来た男たちに誘拐されるという事件があった。

ひとりは30代、ひとりは40代の女性だったのだが、そのうち30代の女性の方は9ヶ月の赤ん坊を抱いていた。赤ん坊ごと誘拐された。

翌日、誘拐された女性と子供がサトウキビ畑で泥まみれの状態で見つかった。

赤ん坊は森の中に捨てられていて、ふたりの女性は共に全裸にされて激しい暴力を受けレイプされていた。

彼女たちはレイプ後、道ばたに捨てられて、車に轢かれて置き去りにされた。これによって40代の女性は死亡し、30代の女性は意識不明の重体となった。赤ん坊は捨てられただけなので何とか助かった。

彼女たちを誘拐したのは、単独犯ではなく集団だった。犯罪者集団が目に付いた女性を衝動的に誘拐して、一晩中レイプして捨てたのである。この血も涙もない犯罪者集団とは何者だったのか。

それは、「山賊」だった。



 


2016-07-24

「穢れ」という概念を信じていた人が生き残った理由とは

閲覧注意
この世には「穢れ」という概念がある。これは古代から現代まで世界中で続く概念だ。

「穢(けが)れ」と「汚(よご)れ」は似ているように見えて違う。「汚れ」というのは「人が嫌がるものにまみれ、清らかさを失う」という意味で使う。

「穢れ」というのは「清らかさを失う」という意味も含まれているのだが、概念的には「最も深い部分で完全に汚れてしまい、二度と清らかになれない」というような哀しい意味が込められている。

自分が他人から「汚れている」と指を指されたのであれば、シャワーでも浴びて清潔な服を着れば回復できる。

しかし、「穢れている」と指を指されたら、シャワーを浴びようが相手よりも清潔な服を着ようがそれは回復できない。

「穢れている」とされたら、もはや清潔な存在になることは事実上、不可能になってしまうのである。自分の努力や気持ちや行動では何ともできないものが「穢れ」だ。

この「穢れ」の概念は、物や地域や動物を指して使うことも多いが、人間を指し示して言うこともある。「あの人は穢れた人だ」という言い方で使われる。

穢れたとされる人には、凄まじい災厄が待っている。



 



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