ブラックアジア - 注目のランダム・トピックス
◆夜歩いただけで喉を掻ききられて殺されるブラジルの治安 ◆レイプツリーは、耐えるしかないメキシコ女性の陵辱の痕跡 ◆ハイチ奴隷児童。見えないところで奴隷化されている子供たち ◆セックス産業で働く女性の「超えられない壁」は何歳か?
◆パタヤで、レディーボーイによる窃盗が連続で起きる背景 ◆ヌードも辞さない。何でもありになったタイ女性の自撮り ◆長期の旅をさせるなら「4つのGに近づくな」が鉄則だが ◆乳房を失った女性が売春ビジネスをしているのを何人か見た

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2017-05-23

廃墟ビルの荒廃と売春する女性に依存する心の荒廃(2)

廃墟ビル前の道路には、よく見ると他にも女性が立っていて、道路には私をじっと見つめている男の姿もあった。

この男たちは何者なのだろうと思ったが、道路際にバイクが停まると男が寄って女性を呼び寄せるのを見てポン引きであることを理解した。

女性と一緒にトゥクトゥクに乗って、プノンペンの暗くなった夜の街を走らせる。プノンペンは夜になっても車やモトバイクやトゥクトゥクで埋め尽くされていて、相変わらず交通規則はめちゃくちゃだった。

プノンペンは右側通行なのだが、バイクは我関せずで両側から迫ってくるし、追い越しも急な路線変更も歩行者の道路横断も蛇行する車も何でもありだ。

日本大使館の安全情報を見ると、カンボジアの自動車数当たりの死亡事故発生件数は日本と比較して100倍も死亡事故が発生している計算になるという。

100倍と言えば尋常ではないのだが、カンボジアのこの道路事情を見ると誰もが1日で実感する。バイクは今も二人乗り三人乗りは当たり前で、ヘルメットもかぶらない。危険過ぎる。事故でも起こした日には間違いなく死ねる。

混乱した道路を走るトゥクトゥクの中で、私がふと隣に座っている女性を見ると彼女は相変わらず静かにしている。目が合うと、彼女の方から話しかけて来た。



 


2017-05-18

プノンペンのかつての売春地帯はもう行っても仕方がない

そこには行きたい気持ちがあったが、行きたくない気持ちも同時にあった。

70ストリート……。

私にとってプノンペンの70ストリートはとても特別な場所であり、特別な想い出に満ちている。

かつてこの場所は舗装されていない道と、沼地とスラムとバラック小屋が林立する凄まじいまでの売春ストリートが続いていて、東南アジアのダークサイドとはどんなところなのかを具現化したような場所だったのだ。

しかし、2004年にはすでにこの場所はどんどん再開発が進んでいて、もはや紅土が舞い上がる道も舗装され、さらにバラック小屋の多くは取り壊されて新しい建物に取り変わって光景は移ろいでいた。

今日、意を決してモトバイクの運転手に「70ストリートに行きたい」と告げて連れて行ってもらったが、私の最悪の予感は的中していた。

「ここだ」と言われた場所で止められたとき、私はその何の変哲もないプノンペンの道路の端で途方に暮れた。そこは私がまったく知らない場所になっていた。



 


2017-05-17

「ボンボン、ニャムニャム」とすがりついてきた女の意図

タイのパッポンやナナやソイ・カウボーイは派手な女たちで彩られている。その裏側でヤワラーやルンピニー公園の暗闇でひっそりと立つ女たちの存在もある。売春ビジネスの世界の表と裏だ。

プノンペンもまた、売春ビジネスに表側と裏側を作り出しているように見える。

現代のプノンペンの売春ビジネスはリバーサイドのガールズ・バーが制したのだというのは、プノンペンに来て一日目ですぐに分かった。

もはや売春する女性を、荒んだ小屋に詰め込んだような売春宿は時代遅れとなっている。今やケバケバしいネオンと、原色の服を着た派手な女が闊歩するバーが時代を制したのだ。

ところが、このプノンペンにも「裏側」がいくつか残っていた。ワットプノン周辺やブディンと呼ばれる場所である。

ストリート売春は天候に弱い。雨が降りしきる時は誰もいなかったが、雨が降っていない夜に向かうと、ストリートに立つ女たちの姿を見ることができる。

ワットプノン周辺は昔からストリート売春をする女たちがいたことで知られているが、それは今も残っている。数メートル感覚で、孤独な女たちがひっそりと立つ。孤独は何を生み出すのか。今日、私は我が身でそれを再確認した。



 


2017-05-02

社会的に弱いこの3つの立場の女性がレイプと殺戮の標的

閲覧注意
ISIS(イスラム国)が多くの女性を性奴隷にし、小児性愛者(ペドフィリア)が少女を求めてうろつき回る。この両方に共通しているのは「圧倒的に弱い者をターゲットにしている」ということだ。

強い、弱いというのは、肉体的な部分だけを指しているわけではない。身分でも、地位でも、経済力でも、人種でも、年齢でも、いろんなところに強い立場と弱い立場ができる。そして、強い者が弱い者を食い散らかす。

社会的にも肉体的にも経済的にも弱い立場に押し込められているのは女性であることが多い。

基本的に男女平等や均等雇用法は「弱い立場の女性を守る」ためのものであり、それ自体が女性が弱い存在であることを社会が認めているということでもある。

ひとことで女性と言っても、その女性の中でさらに弱い存在がある。

いつの時代でも、どこの社会でも、虐げられ、レイプされたり殺戮されたりされやすい本当に弱い女性というのは、実はとてもありきたりな存在でもある。

どんな女性が恐ろしいことになるのか。



 


2017-04-16

何を見て「日本女性の貧困がどん底に達した」と知るか?

日本でも女性の貧困がどんどん広がっており、今や単身女性の3人に1人は貧困だとか、シングルマザーの2人に1人は貧困だという現実はよく知られるようになっている。

さらに貧困女性があまりにも増えたために「普通の女性」が風俗に流れるようになり、容姿や精神的な問題で普通に劣る女性が風俗でも食べていけなくなっている。

日本だけに限らないのだが、もともと女性の貧困は先進国でも途上国でも深刻になりやすい傾向がある。

女性は、今の社会ではもともと不利にできている。ビジネスの社会は依然として男性優位の社会であり、女性は給料や待遇の面で差別を受けている。

スタート地点から女性は、弱い立場にある。結婚したら、出産・子育てに入るが、その間、女性は給料がゼロになるか、激減する。育児休暇は給料満額ではないのだ。

子育てが終わったらブランクを吸収できずに、またもや給料が下がる。歳を取ったらパートくらいしか働き口がなく、そこでも必要最小限の給料しかもらえない。

日本の女性もまた「女性の貧困」を生み出す社会システムから逃れることができなくなっていった。しかし、勘違いしてはいけない。まだ日本女性は貧困のどん底に堕ちていない。



 


2017-04-08

美しい女性でもストリート売春の価格が安いのはなぜか?

世の中は生まれながらに底辺で生きている女性がいる。仕事もない。ツテもコネもない。頼りになる人も、助けてくれる人もいない。両親とも、友人ともうまくいかない。

自分を大事にして、庇ってくれる人もいない。庇ってくれるどころか、虐待の対象になっていることも多い。親に性的虐待されている女性すらもいる。

そのような最底辺の生活をしている女性が、手っ取り早く金を手に入れるのは、自分が唯一「売れるもの」である肉体を売るしかない。

方法は簡単だ。露出の高い格好をして、街に立つだけだ。コネもいらないし、仕事のスキルもいらないし、他人に雇われる必要もない。その手軽さは他に比類がない。

すぐに金を作りたいほど切羽詰まっていたら、これほど分かりやすくシンプルなビジネスは他にないと言える。

「ストリートに立つ」というのは、本当にまったく何も持たない女性でもできるビジネスなのである。

しかし、どんなに美しい女性でもストリート売春の価格は安いことが多い。実はここに社会の残酷さが潜んでいる。ストリート売春が安い理由が分かるだろうか。



 


2017-04-04

電子書籍『バンコク売春地帯』をアマゾンにて発売中

ブラックアジアの記事のうち、バンコクの売春を扱った内容のものを編集して『バンコク売春地帯(私の人生を奪っていたあの場所を静かに回想する)』と題し、アマゾン・キンドルで刊行しました。

アマゾンのページはこちらです。
http://amzn.to/2n6yG7E

この電子書籍は、ブラックアジアの読者であればベースになった記事をきっと懐かしく思い出すことができるはずです。

ただ、記事では断片で読んでいたものをこのように1つのテーマで括って、さらに縦書きとしてまとめて読むと、まったく印象が違ってくると思います。

私がバンコクの売春地帯に堕ちながら、いかに破滅の予感や恐れを抱きながらそこにいたのかクローズアップされているので、同じブラックアジアを読みながら、このサイトとはまた違った読後感になるかもしれません。

「私の人生を奪っていたあの場所を静かに回想する」という副題を入れたのは、バンコク売春地帯に沈み、あの場所を愛しながらも、売春地帯が私の人生を奪い続けてきたところでもあるということを含めています。

ご関心のある方は、どうぞお読み下さい。






2017-03-06

ワンマイ、美貌の21歳。今のラオス人はここまで美しくなった

2001年、シンガポールの売春地帯であるゲイランをさまよい歩いている時のことだが、今でも覚えていることがある。

ここでストリート売春をしていたひとりの女性がいたのだが、彼女はスラリとして背が高く、とても色白で美しかった。

私はしばらく彼女がタイ女性だと思ったのだが、「タイのどこから来たの?」と尋ねたとき「私、タイ人じゃないの。ラオ(ラオス)から来たのよ」と答えた。

私が知っているラオス人というのは、肌の色が褐色に近い女性たちばかりだったので、私は驚いて「こんなに白い肌のラオス人はいるの?」と思わず聞いたものだった。

「ラオス人と言っても、真っ黒の人もいれば真っ白の人もいるのよ。私はタイ人とラオス人のハーフなの」と彼女は答えながら柔和に私を見て笑っていた。

タイでもイサーン出身の女性は褐色の肌をした野性味溢れる女性が多いが、チェンマイ出身の女性は肌がとても白くて清楚な雰囲気を漂わせている女性が多い。

私はラオスのことはほとんど知らないのだが、ラオスにもそうした地域ごとの違いがあって、ひとことでラオス人と言ってもそれぞれ違っているのだと彼女を見てて思い知ったのだった。

肌の白いラオス人の女性のことは今も忘れていない。とても印象深い女性だった。







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