ブラックアジア - 注目のランダム・トピックス
◆ジュディー・ガーランド。ドラッグとセックスに溺れた女優 ◆貧困を這い回っても自殺しないフィリピン女性の生き方 ◆年間2万2000件ものレイプ事件が起きているインドの惨状 ◆世界中で起きている赤ん坊の産み捨てとナイジェリアの事件
◆新100ドル発行で、旧100米ドル札のニセモノが大量流出との噂 ◆カンボジア。嫉妬に狂って元恋人をめった刺しの英語教師 ◆「レイプされ、襲われ、殺される」という異常事態が日常 ◆男の性欲より情欲に火が付いた女性の方がもっと恐ろしい

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2018-01-23

性の匂いを発散させる女たちの匂いを無意識で感じている

二十歳の頃から東南アジアの売春地帯をさまよって生きてきたので、私は今でも日本の女性よりも東南アジアの女性に「女」を感じてしまうことの方が多い。

多くの遍歴の果てに私に刻まれたのは、彼女たちの匂いだった。彼女たちを抱き締めた時に、うなじから匂う甘いとろけそうな匂い……。

タイではどこでも売っている安いベビーパウダーと、熱帯に生きる女性特有の体臭が合わさった匂いが、私を引き寄せて離さない匂いとなった。

熱帯の女たちの匂い。熱い身体を持った女たちの匂い。荒廃した売春地帯の荒んだ部屋で私を見つめる女たちの匂い。忘れられない匂い……。私にはそれが必要だ。

女たちは自分の肌の匂いを知らない。そこに隠された情熱と性の匂いに自分では気付かない。しかし、私は女たちの肌に、彼女が自分に気付かない匂いを脳で感じる。

思春期に入った若い少女の甘酸っぱい香りに、はっとする男は多い。溌剌とした健康な女性が通り過ぎた後の香りに振り返る男も多い。

フェロモンとは何か知らなくても、男は無意識に嗅覚でフェロモンを受け取り、女性の強い性的な魅力を知らずして受け取っている。



 


2017-09-26

1970年代のベトナムと、当時の売春地帯と女性たちの光景

現在のタイの歓楽街、パッポン、ナナ、テルメ、ソイ・カウボーイ、そしてパタヤの原型は1970年代のベトナム戦争によって作られた。(パッポン。ベトナム戦争が作り上げたアジア最大の歓楽地

ベトナムとカンボジアは共産主義の猛威に席巻されていたが、タイは明確にアメリカ陣営であり、当時のタイ軍事政権はタイ全土にアメリカ軍に後方基地を提供し、空港を使うことを許可した。

だから、アメリカ軍はサイゴンに拠点があったのと同時に、タイにも数多くの拠点を持っていた。この拠点の周囲に売春地帯ができあがったのだ。

これらの売春地帯は元々、前線から降りてきたアメリカ兵のための娯楽施設(レクリエーションセンター)として作られたものだった。

いつ終わるとも分からない戦争で、数万人もの若いアメリカ兵が東南アジアに釘付けになっており、彼らのフラストレーションを何とか収める必要があった。アルコールとセックスは、娯楽施設には欠かせないものだったのだ。

アメリカは戦争に負けたのでサイゴンの娯楽施設(レクリエーションセンター)はすべて駆逐されてしまったのだが、タイでは残った。それが、今の歓楽街の元になっている。

ところで、消えてしまった幻のサイゴン売春地帯はどんなもので、どのような雰囲気だったのか。こんなものだった。



 


2017-02-12

バンコク・スクンビット通りの黒人女性が警察の摘発対象

2014年頃、夜にバンコクのスクンビット通りをうろうろと歩いていると、黒人のセックスワーカーが何人も立っていることに気づいた。

スクンビット通りは、アラブ人街からソイ・ナナ駅にかけての間に、昔から旧ソビエト圏の女性や黒人女性がピンポイントでストリート売春をしている場所でもある。

ソイ・ナナ駅を過ぎてアソーク駅側を歩く頃になると、やたらと黒人が増えていて、町の雰囲気が変わってきていることに気付いたが、いつ頃かスクンビット通りの北側に黒人が出入りするクラブやディスコが林立するようになっていたようだ。

私が知り合った女性はシャキーラと名乗り、ブルンジから来たと言ったのだが、このあたりの黒人はケニア・ウガンダ・ブルンジ・タンザニア・ルワンダ等の出身が多いようだ。

これは、すなわちアフリカ〜タイの出稼ぎルートが確定したということを意味している。アフリカの黒人が出稼ぎをして稼ぐと言っても、そのビジネスはたかが知れている。

建設作業員やら皿洗い等の誰もやりたがらない3K(キツい、汚い、危険)の仕事だ。そこに女性が混じると、売春ビジネスが含まれる。彼らが東南アジアに出稼ぎに来ている。しかし、タイ当局は歓迎しているわけではない。なぜか。



 


2016-06-30

娘を持つ母親が自分の身体以外に娘も売れることに気付く

タイ・バンコクの売春カフェ「テルメ」では、月末になると売春する女性が増えるという特質があった。1ヶ月のうち、月末になると姿を現す女性の存在も知られていた。

その理由は「家賃の支払いがあるから」だった。毎月、いろんな支払いの期日となる月末に経済的にピンチに陥る女性がたくさんいて、彼女たちが夜の街に降りて来る。

こうした社会の裏側の光景を見ていると、「月末の支払い」という地獄を乗り越えるのに、いかに多くの女性が苦労しているのかが見て取れる。

これはタイだけの話ではない。日本でも同様の光景が見られるようになっている。風俗で働く女性も、風俗を決断した理由が「支払日がストレスだった」と私に言った。

生活に追われるというのは、支払いに追われるということである。手持ちの金が少ないのに、支払いは待ってくれない。待ってくれない支払いに追われるから「生活に追われる」と表現するのである。

生活に追われ、窮地に追い詰められると人間は何でもする。

女性であれば、自分の身体を売ることすら決断して風俗の世界に足を踏み入れる。しかし娘を持つ一部の母親は、売れるのは自分の身体だけでないことに気付いている。



 


2016-03-08

売春の金額交渉の中で女性の性格がはっきりと表れてくる

売春ビジネスには必ず金の交渉がある。彼女たちにとってはそのために身体を売るわけだから、この部分はとても重要なところだ。だから、売春のための金額交渉に女性の性格が出る。

特にストリート売春はバックがいないので、女性がすべてを仕切らなければならない。

まず、売春価格の基準になるのは、その国やその場所における「相場」がいくらなのか、という部分である。男は相場価格を知っているのかもしれない。知らないかもしれない。

ストリートに立つ売春女性は瞬時にそれを判断して、自分の価格をいくらにするのかを決める。若くスタイルの良い女性は相場よりも自分が高く売れるのを知っているので、2倍でも3倍でも吹っかける。

逆に若さを失っていたり、容姿が劣っている女性は「せめて相場並み」を求めるが、客を逃したら元も子もないので少し安めでも妥協する。

しかし、男が相場を知らないようであると、やはり試しに一度吹っかけの価格を言ってみて男の反応を試す。

面白いことに、この売春交渉はお国柄がある。ほとんど金額で揉めない国もあれば、交渉するたびに揉める国もある。私が経験してきた中で、最もタフでハードだった国はどこか?



 


2015-09-07

風俗にいる一部の日本女性の、無意識の行動が私には怖い

以前、バンコクの売春バー「テルメ」で女性と話をしていたとき、ある女性が「私は週末だけしかここに来ない」と言ったことがあった。歳は20代の半ば頃、テルメではまだ若い感じがする女性だった。

彼女は月曜日から金曜日までどこかの店でウエイトレスをしているのだが、土曜日の夜「だけ」、特別な挑発的な衣服を着て、厚化粧をしてテルメにやって来る。

下着が見えそうなショートデニムにハイヒール。スラリとした足にはタトゥーが入っていてワイルドな雰囲気だったが、「普段はこんな恰好はしない。テルメに来るときだけ」と言った。

彼女は土曜日だけ「夜の女」に変身して、日曜日は休み、月曜日からまた普通の昼間の女に戻る。

タイでは土日や月末になると売春する女性が増えるという現象は昔から知られている。週末だけ(オンリー・ウィークエンド)」の売春ビジネスをする女性は珍しくなかったのだ。

最近、日本の風俗の女性にインタビューする機会が増えているが、何人かの女性が「特定の日、時間だけ風俗で働く女の子がいっぱいいる」というのを何回か聞いた。

それを聞いて、私はテルメの女性を思い出し「なるほど、これはウィークエンド売春の一種だな」と思ったのだが、よくよく聞いていると、日本の女性はそれとも何か違っているような気がした。

いったい何が違うのだろうかと、私はしばし考えた。何が違ったのか……。



 


2015-04-06

タクシン、9.11。2001年のタイ売春地帯で何が起きていたか

タイは今でも「快楽の地」であるのは間違いない。ブラジル、コロンビア、スペインと並んで、タイの歓楽街にはアルコールとセックスが満ち溢れている。

このタイの売春地帯が最大の危機に陥ったのが2001年だった。

この頃、タイは覚醒剤(ヤーバー)の蔓延と、東南アジア最大のセックス観光地という汚名は広がるばかりだった。

タイの売春地帯は、パッポンからスクンビットのナナ地区、そしてパタヤにまで広大に点在していた。

さらに北部チェンマイ・チェンライでは児童売春までが行われていた。この歓楽街を通してドラッグも、白昼堂々と売買されていた。

そこで、この2つを同時に払拭するため、時のタクシン・シナワット首相は、「ドラッグとセックスをタイから追放する」と宣言したのだった。

これが、数年に渡ってタイ歓楽街を震撼させる事態となっていった。幸いにしてこの試みは挫折したが、2001年のタクシン政権の試みが成功していたら、今はもうタイの歓楽街はきれいに消えてしまっていたかもしれない。

そんな事態が、2001年に起きていた。



 


2014-05-23

再び混迷するタイ。戒厳令から、事実上のクーデター宣言へ

2013年11月より始まった反タクシン派の抗議デモは瞬く間にインラック政権を追い詰めていき、2014年5月7日インラック首相は失職した。

その後、タクシン支持派が大規模な抗議デモを再開させると宣言したが、反タクシン派と激突すればまたもや2010年のときのようにバンコクが市街戦のようになってしまう。

この事態を憂慮した軍は、2014年5月20日、タイ全国に同日午前3時をもって戒厳令(マーシャル・ロー)を発出することになった。

平和な日本人にとっては、「マーシャル・ロー」と言ってもそれが何を意味するのか、もう知らない人もいるかもしれない。

戒厳令とは、非常時に際して、通常の行政・司法権を停止して軍が一時的に統治権を掌握することを言う。つまり、5月20日よりタイのすべての政治機関は軍の支配下に入り、軍の命令によって動くことになる。

当然、テレビ、新聞、ラジオはこの日以降、軍の命令によって、政治的論評がいっさい禁止された。衛星テレビも遮断されている。



 



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