ブラックアジア - 注目のランダム・トピックス
◆「首絞め」の快楽。苦痛と快楽はとても近いところにある ◆タイのアンダーグラウンドでは、少年が「売買」されている ◆五体不満足でも性的な存在でありセックスも問題なかった ◆手が届かない存在だった日本女性が世界の男の手に落ちた
◆「同性愛者は死ね」ブラジルの同性愛者を襲う暴力の光景 ◆売春地帯に生きる女性の、どこか不器用で不幸な姿に考える ◆ゼノフォビア! 南アフリカで吹き荒れる地獄の人種差別 ◆残虐な性犯罪者は、いったい誰がどうやって生み出すのか?

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2018-01-31

薬の効果が切れるまでセックスに浸り続ける女性を作る?

2013年2月に禁固11年の実刑判決を受けたロシア人コンスタンチン・ルードネフという45歳の男は、20年間に渡って自分のことを「シリウス星からやって来たエイリアン」だとか「神」と名乗っていた。

この男は「アシュラム・シャンバラ」というカルト教団を作っていたのだが、約3万人もの人々がこの男を神であると信じて全財産を捧げ、少女や女性たちは嬉々として身体を提供していた。

コンスタンチン・ルードネフは、ここでセックス・レイプ・乱交をやりたい放題していたのだが、やがてカルト教団摘発の警察当局によって逮捕された。

この男は信者を隔離し、食事や睡眠を与えず、徹底服従させた上に、ドラッグで正常な意識を保てないようにしていた。使っていたドラッグは「ヘロイン」である。

多くのカルト教団は教祖が信者の自由を奪って極限状態に持っていき、そこで自分が神であると強烈に言い続けて洗脳し、さらに理性を奪うためにヘロインやマリファナや睡眠剤などを与えて「心」を奪っている。

洗脳についての手法はすでに確立されている。

すべてのカルト教団はそれをやっている。極限状態の中で、人間性を奪い、そしてドラッグによって永遠に正気に戻らないようにするのだ。



 


2017-11-07

米大手企業がいよいよマリファナをビジネスとして認識する

かつての売春地帯には、セックスと、アルコールと、ドラッグの3つが退廃に欠かせないものとして認識されていた。

そのどれもが肉体的な快楽を深めるものであり、享楽を追い求めるハイエナが心から愛して止まないものである。そして、この3つに倦んだ真夜中の退廃した男女が一息つくのに吸うのがタバコだった。

私の好きな女性たちはセックスを仕事にして、アルコールとドラッグとタバコをたしなみ、のめり込み、依存し、心の友にしていた。

こうしたものは夜の女たちの寿命を縮める悪癖であったのは確かだったが、女たちは気にも止めなかった。彼女たちの人生はもう最初からどうにもならなかったからだ。

アルコールに酔って絡みついてくる女たちの熱い身体、髪に染みついたタバコの匂い、そして強烈なマリファナの空気。そのすべてが私の人生を狂わせてしまった。

2006年頃、私は長く続いた荒淫と退廃の生活で体調を崩し、執拗なめまいや頭痛で食事も喉を通らなくなり、体力も聴力も低下し、堕落に浸っている場合ではなくなってしまった。

以後、私は半年や1年もかけて売春地帯に沈没するような気力を失ったが、それでもあの享楽と堕落の世界を忘れたわけではなかった。



 


2017-02-21

新宿歌舞伎町の「嬰児生み捨て事件」から社会の底辺を窺う

ここ1年、「ブラックアジア・イン・ジャパン」のために、しばしば新宿歌舞伎町をうろついている。(日本の風俗嬢たちに会い、様々な話や人生をまとめた記事群

2017年2月15日、自動販売機脇に設置されたゴミ箱の中に捨てられたカバンの中から生後間もない男の子の嬰児の遺体が見つかるという事件が起きていた。

それが東京都新宿区歌舞伎町2丁目のホテル街にある駐車場・コインパーキングとあるのだが、具体的な場所を言うと「ホテルG7」と「ホテル・リバティ」向かいにある駐車場に置かれてあったゴミ箱の中である。

ここに手提げカバンと一緒にヘソの緒の付いたままの嬰児を生きたまま捨てていた。

この前日はたまたま私も真夜中に歌舞伎町をうろうろとさまよい歩いていたのだが、夜になると冷え込むこの季節に母親は嬰児に服も着せずにカバンと共に捨てていた。

歌舞伎町は水商売と風俗とラブホテルが林立する場所であり、この歌舞伎町2丁目も、そうしたラブホテルが立ち並ぶ場所の一角である。



 


2017-01-28

社会はある時から凄まじく変わってしまうという事象がある

かつてアメリカはキリスト教系の価値感の強い文化を持ち、「男は男らしく、女は女らしく」という保守的な文化しかなかった。しかし、やがて時代が変わり、「男らしさ、女らしさ」にこだわらない若者たちが現れるようになった。

アメリカの新しい価値感の転換を象徴した世代は「ヒッピー」である。

1960年代、アメリカはベトナム戦争を戦っていたが、このベトナム戦争の修羅場はテレビで生々しく報道されるようになり、それを見た若者たちがこのように疑問を持つようになった。

「どうして我々が見も知らぬアジア人を虐殺しているのか?」

やがて、アメリカ政府が東南アジアの片隅で行っている戦争という名の「虐殺」に反対する若者たちが大学を基点として反対デモや抗議デモを起こすようになり、やがて彼らが「反体制派=ヒッピー」となっていく。

彼らのモットーは、「徹底した反体制」だった。

そのため、体制側のすべての文化を破壊することに情熱を注いだ。「男は短髪で男らしくしなければならない」と言われれば、それに反抗して長髪にした。

「背広を着ろ」と強制されたら、それに反抗して女性のように中性的な服を着るようになった。



 


2016-02-17

ドラッグが絶対に根絶できないのは巨大な闇があるからだ

なぜ、覚醒剤やヘロインやコカインと言った人類に危険なドラッグが今も生き残っているのか。

これらのドラッグは、気が付くとそれなしには生きていけない精神状態、身体になり、最後には廃人になるまで依存する。

その過程でドラッグ依存者の生活は破綻し、金も信頼も人間関係も生活基盤も健康も正常な精神もすべてを失い、最後には廃人同様となって死んでいく。

このままでは破滅すると本人も勘づいているし、ふとした瞬間にドラッグ依存から抜け出そうと思う。ドラッグのために人生が破滅したのだから、そこから抜け出せさえすれば人生はやり直せる可能性がある。

しかし、ドラッグはそんな正常な判断を超越するような凄まじい渇望を依存者に与える。覚醒剤でもヘロインでもコカインでも焼け付くような渇望とドラッグへの飢餓感が精神苦痛を与えるのは同じだ。

ドラッグ依存がいったん形成されると、それは一生に渡って続くと言われている。身体が欲望を覚え、強くそれを求め、決して「治らない」のである。そんな危険なドラッグは今も根絶できていない。根絶どころか依然として強い供給もある。

なぜドラッグが消えないのかは、逆の立場になれば分かるかもしれない。



 


2015-10-29

森田裕貴。ドラッグで禁固19年の刑、獄中で首を吊って自殺

2010年11月14日夜、バリ島グラライ国際空港でひとりの日本人が逮捕された。

森田裕貴。当時は35歳だった。

この男はインド・ニューデリーで購入したハシシを約6キロをインドネシアのバリ島に持ち込もうとしているところを逮捕されていた。

この男のスーツケースにはハシシが13個の小さな小箱に分けられて隠されていた。

ニューデリーからはタイ航空431便でバンコクにトランジットしていたのだが、バンコクの空港では手荷物の中にドラッグが隠されているというのは気付かれなかったようだ。

しかし、バリ島グラライ国際空港でバレた。実はこの男には共犯者が2人いた。ひとりはイギリス人、もうひとりはインドネシア人だった。

全員、ドラッグを持って、それを最終的にはオーストラリアか日本に売りさばく予定だったという。

一緒に行動すると目立つので、まず39歳のイギリス人が先にインドネシアに入り、遅れて森田裕貴がインドネシアに到着して、現地で落ち合う予定になっていた。



 


2015-10-20

モーガン・ジョイス。突き抜けた女性のネット・ビジネス

私はモーガン・ジョイスのような突き抜けた女性はとても好きだ。彼女の趣味や美意識は私の理解の範疇を超えているが、彼女の「普通と違う感じ」は嫌いではない。

しかしモーガン・ジョイスを見ると、恐らく90%以上の人々はその異様な趣味に嫌悪や拒絶感を感じるはずだ。彼女は何しろ普通の人の持つ美意識を超越してしまっている。理解される前に、感情で拒絶されることになる。

彼女の両頬には肌に食い込むようにピアスが入っている。そして、彼女の小鼻にもリング状のピアスが入っている。

そして、彼女の耳たぶはアフリカのムルシ族のように大きな穴が開いて耳たぶの皮膚が拡張されている。彼女はその耳たぶを飾り立てたり、自分の耳介に巻いたりして楽しむ。

それだけではない。彼女の身体は両腕にも腹部にも足にもタトゥーで覆い尽くされている。

腹部のタトゥーは薔薇に囲まれたブタ、右足には日本のキティーや女性の横顔のカトゥーン、手の甲にも手の平にもタトゥー、指にもアルファベットの文字がタトゥーで刻まれている。

そして彼女は気分によって次々と髪の色を変え、化粧も変え、時にはメガネもかけて雰囲気を変える。



 


2015-09-19

ジャニス・ジョプリン。彼女を殺した高純度のヘロインのこと

2015年9月15日、ドラッグとアルコールに溺れて1970年10月4日に急逝したジャニス・ジョプリンの愛車だったポルシェが競売に出されることを報道していた。

ジャニス・ジョプリンはヒッピー文化の申し子だ。

彼女が死ぬまでずっと所有していたこのポルシェもまた、曲線を多用した様々な色使いが混じったサイケデリックなペイントをされた独特の美的感覚で彩られたもので、当時の時代の空気を強烈に残している。

彼女は「メルセデス・ベンツ」という題名の歌を歌っていて、神に「私にメルセデス・ベンツを買って下さい。友達はみんなポルシェです」と祈っていたが、手に入ったのはポルシェの方だったようだ。

彼女が死んだのは1970年なので、もう45年も昔の話になっており、今はもうヒッピーだとかジャニス・ジョプリンだとか言っても、知る人はほとんどいないのかもしれない。

タイのサムイ島やパンガン島では今も昔もヒッピー文化の申し子のような人間たちがその文化を継承している。

私が初めてタイのサムイ島に行ったときも、ヒッピーが愛する音楽が朝から晩まで流れていて、そこにはドラッグとセックスが充満していた。私はそこでヒッピー文化の洗礼を受けた。

そこに、ジャニス・ジョプリンの音楽があった。私は、彼女のシャウト(叫び声)に圧倒され、日本に戻ってからも彼女の音楽が忘れられなかった。



 



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