ブラックアジア - 注目のランダム・トピックス
◆あなたを不幸にする「知ってはいけない知識」が存在する ◆切断したペニスを処分しても、再生してしまう時代になった ◆望まない妊娠をするタイ女性と、社会に沈澱する静かな怒り ◆売春地帯にいながら、不満気で、不機嫌で、無表情な男たち
◆いよいよ始まった。ウクライナ女性を標的とした人身売買 ◆女子高生とのセックスを巡る規制と需要で社会が揺れている ◆アダルトビデオ業界が急激に政府と警察に絞められている ◆ドラッグが絶対に根絶できないのは巨大な闇があるからだ

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2017-06-11

安全なはずの売春地帯で死んだ男たちの死体を見て考える

閲覧注意
2017年5月30日、日本人がフィリピンでバラバラにされて殺された事件は、例の如く保険金殺人の様相を呈している。(長浜博之が完全否定するパラワン日本人バラバラ殺人の裏側

フィリピンにおびき寄せられた日本人は、もう数十年も前から延々と保険金殺人で殺されている。フィリピン妻に殺される日本人も多い。

そんなことは分かっている。しかし、フィリピンにのめり込んだ日本人はこれからもフィリピンに行くし、フィリピン女性を妻にするし、フィリピンで仕事を見つけようとする。

危険だと分かっても抜けられないのが人生だ。自分の人生に「抜けられない」ものを持つ人がいる。彼らは、それが危険でもそこから逃れない。

兵士は死ぬ確率の高い職業だが、それでも職業として兵士を続ける。レーサーは事故で死ぬ確率が高いが、それでもレーサーに憧れる人は多い。

格闘技も脳や肉体には苛酷で危険なスポーツだが、それでも多くの野心ある男が格闘家になろうとする。

売春地帯をさまよう男たちも、そこには犯罪者も性悪な女性も性病もうじゃうじゃとうごめている世界であることを知っているし、湯水の如く金が消えていく場所であることを知っているのだが、決して抜け出すことはない。



 


2017-06-02

2017年6月。ブラックアジア有料メンバーの募集のお知らせ

早いもので、もう6月になっております。2017年の折り返し地点となりました。

5月は13年ぶりにプノンペンの売春地帯を尋ねて、その状況をレポートしました。古い売春地帯が滅び、新しい売春地帯が生まれ、プノンペンに新しい波が来ていることを確認したところです。

売春地帯の光景はかつてとはまったく違ったものになっていましたが、ひとつ確認できたのは「何をどうやっても売春ビジネスは消えない」ということです。

カンボジアのフン・セン首相は2000年代、国内の売春ビジネスを一掃しようとしましたが、結局は一時的なものであり再び売春ビジネスの台頭を許しています。

売春ビジネスはどの国家・どの国よりも長生きするアンダーグラウンドです。それが確認できました。

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2017-06-01

「毎日、違う男とベッドに行くのは慣れたので問題ない」

プノンペンはかつての置屋タイプの売春地帯を消し去ったが、それで売春ビジネスが消えたわけではない。依然として夜総会(ナイト・クラブ)のような店もあれば、売春マッサージ屋も残っている。

しかし、主流はもちろんバンコクのようなバー・スタイルの店である。こうした店はリバーサイドに集中しているのだが、その中心となるのは136ストリートだ。

すでにバンコクのゴーゴーバーやオープンバーはかなりのインフレ・モードになっているので、かつてのハイエナの多くはパタヤに逃げ、そしてカンボジアやフィリピンに逃げている。

ハイエナは観光客とインフレが嫌いだ。だから、環境が悪くなると徐々に居場所を移して退廃と堕落だけに没頭できる場所に移る。堕落からは逃げられない。

堕落した女たちと長い時間を過ごし、表社会の道徳を一緒に破壊して生きる。夜の女たちはそれに付き合い、男と一緒に堕落する。彼女たちも最初は表社会の常識を持った女性であったに違いないが、堕ちたら考え方が変わる。

毎日のように違う男と付き合い、刹那的に身体を開いて金を得る。プノンペンでも、そうした女たちがリバーサイドのガールズ・バーに集まり、そして売春ビジネスに明け暮れる。

こんな女たちの牙城に私はしばらく浸って自分を取り戻した。これが私のホームグラウンドだった。

会員の方は、プノンペンの売春地帯136ストリートを撮った高解像度の画像にアクセスできます。




 


2017-05-25

東南アジアでレンタルバイク、保険もなく事故を起こした女性

閲覧注意
ジェニー・エヴァンスという22歳のイギリス人の女性は東南アジアを回る冒険旅行に出た。数年かけて、可能な限りたくさんの旅をするスケジュールだった。

彼女はベトナムを訪れ、次にタイに入った。タイで彼女が辿り着いたのは、セックスとビーチとマリファナの楽園、パンガン島である。

かつてはサムイ島がこの手の欧米人(ファラン)を呼び寄せていたが、サムイ島に空港ができて普通の観光客が増えるようになると、ドラッグが好きなファランたちはサムイ島を避けてパンガン島に移るようになっていった。

そして今、パンガン島は「少しいけない冒険」を求めるファランたちの楽園となったのだった。

ジェニー・エヴァンスもまたパンガン島にやってきて、アドベンチャーを満喫していた。パンガン島にはたくさんの自然が残り、美しいビーチがあり山がある。彼女は島でレンタルバイクを借りてパンガンを巡った。

しかし、大変なことが起きた。

彼女はバイクで転倒し、右足にひどい傷を負った。膝から下が30センチ以上に渡って肉がえぐれ、筋肉がちぎれ、骨が剥き出しになるような凄まじいものだった。






2017-05-23

さようならプノンペン。私は再びカンボジアを取り戻した

東南アジアに乗り込む時は気分も高揚していて幸せに満ち溢れているのだが、帰る頃になると後ろ髪を引かれる思いで寂しい気持ちが抜けなくなる。

13年ぶりのカンボジアはもちろん以前とはまったく違う光景もあったが、逆に以前と変わらない雰囲気や光景もまた残されており、懐かしさが止まらなかった。

来て良かったと思う。逆に、どうして13年もカンボジアを無視し続けて来たのかと悔やんでしまう。

2001年はカンボジアを捨てなければならない理由もあったし、自分の決断は正しかったと思っている。(13年ぶりに悪徳の地プノンペンの空気を吸いたいと思った

しかし今回のカンボジア再訪で、もうカンボジアを避ける理由が消えていることも気付いた。もうカンボジアは私のようなノーマルなハイエナにも安全な環境となった。

さらにANAの直行便でプノンペンにそのまま行けるし、昔と違って料理は何を食べてもうまい。停電もないし、インターネットも通じる。

この国の風土が好きだ。もう帰らなければならないが、また次に訪れることも考えている。



 


2017-05-23

廃墟ビルの荒廃と売春する女性に依存する心の荒廃(2)

廃墟ビル前の道路には、よく見ると他にも女性が立っていて、道路には私をじっと見つめている男の姿もあった。

この男たちは何者なのだろうと思ったが、道路際にバイクが停まると男が寄って女性を呼び寄せるのを見てポン引きであることを理解した。

女性と一緒にトゥクトゥクに乗って、プノンペンの暗くなった夜の街を走らせる。プノンペンは夜になっても車やモトバイクやトゥクトゥクで埋め尽くされていて、相変わらず交通規則はめちゃくちゃだった。

プノンペンは右側通行なのだが、バイクは我関せずで両側から迫ってくるし、追い越しも急な路線変更も歩行者の道路横断も蛇行する車も何でもありだ。

日本大使館の安全情報を見ると、カンボジアの自動車数当たりの死亡事故発生件数は日本と比較して100倍も死亡事故が発生している計算になるという。

100倍と言えば尋常ではないのだが、カンボジアのこの道路事情を見ると誰もが1日で実感する。バイクは今も二人乗り三人乗りは当たり前で、ヘルメットもかぶらない。危険過ぎる。事故でも起こした日には間違いなく死ねる。

混乱した道路を走るトゥクトゥクの中で、私がふと隣に座っている女性を見ると彼女は相変わらず静かにしている。目が合うと、彼女の方から話しかけて来た。



 


2017-05-22

廃墟ビルの荒廃と売春する女性に依存する心の荒廃(1)

1999年前後、プノンペン南部にある「ブディン」を初めて見たとき、「こんな廃墟のビルに人が住めるのか」と驚いたものだった。

ブディンは今でこそ廃墟のビルだけを指している。しかし1999年当時のブディンは、この廃墟ビルの前と後ろは広大なバラック小屋のスラムがびっしりと密集していて、そのすべてを指してブディンと言っていた。

ブディンはプノンペンでひどく治安が悪い場所だった。それは今も変わっていないのかもしれないが、当時の状況を知っている人間から見れば今のブディンは治安が悪いと言っても大したことはない。

1999年頃のブディンは、銃を持ったチンピラ、ナイフを持った酔っ払い、軍用ライフルを持った兵士、腐敗した警官……と、危険な人間たちの見本市のようになっていて、よく怒声や銃声が響き渡る場所だった。

銃声が響くと言うのは言葉のアヤでも何でもなく事実だ。夜中のプノンペンは危険な街だった。

モニウォン通りのディスコでは喧嘩した現地の男たちが銃を撃ち合っていたし、ドイツ人は夜中に強盗に遭って抵抗したら銃に撃たれて病院に担ぎ込まれた。

当時は『ホリデー』というディスコにドラッグを売買する男が集まって日本人もたむろしていたのだが、ここでも日本人が現地の男に割ったビンで腹を刺されるという事件が起きていた。犯人は分かっていたが逮捕されなかった。理由がある。



 


2017-05-20

現代プノンペンの姿を大量の写真で一挙に見る(昼間編)

カンボジアが成長期に入っているというのは、ストリートをうろつき回れば本当によく実感できる。

古い建物がどんどん取り壊され、新しい建物がどんどん建つ。そればかりか、今まで沼地や畑だったところが埋め立てられ、新しい土地、新しい道が生み出されて、高速道路も建設途中にある。プノンペンが「拡大」しているのが見て取れる。

街がぐんぐんと成長し、活気に溢れ、躍動している。これは1980年代後半に私がタイで見たのとまったく同じ光景だ。

まずは首都プノンペンが新しく作り替えられ、たくさんの仕事を生み出し、地方の人たちが仕事を求めて都市に流入し、新しいアパートがどんどん建設され、地方との格差を拡大させていきながら、プノンペンは可能な限り膨張していく。

現在はその過程にある。

だから、現在のプノンペンは古いものの隣に新しいものがあり、新興区画と共に旧区画がある。旧区画は誰かが住み、誰かが土地を売ったり立て替えたりするのを拒絶するので変わりにくいが、もともと何もないところは変わりやすい。

そんな変わりゆくプノンペンの現在の姿を写真に収めた。現代のプノンペンがどうなっているのか、街を駆けずり回りながらたくさんの写真に収めてみた。



 



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