ブラックアジア - 注目のランダム・トピックス
◆相手を憎めば憎むほど、文明が発達していくという皮肉な世界 ◆欠点をも個性にして乗り越える女性の強さが美しいと思う ◆ギャング・レイプ。それは女性にとって極度に危険なもの ◆睡眠薬強盗をする売春女性を見抜くのは、基本的に難しい
◆売春地帯にいながら、不満気で、不機嫌で、無表情な男たち ◆「お願い、私を救出させないで。それは救出にならないの」 ◆グアテマラの売春女性。ラ・リネア(線路)の売春地帯 ◆プライバシー皆無。地獄のような大量流出の時代に入った

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2017-12-22

横浜寿町。日本三大ドヤ街の1つも高齢者の街になっていた

横浜の寿町は、東京の山谷、大阪のあいりん地区とならぶ三大ドヤ街の1つとして知られているところだ。寒風が吹きすさぶ2017年12月の真っ只中、私は東京から横浜に向かい、この寿町を歩いてみた。

寿町は横浜からJR京浜東北・根岸線に乗って3つめの石川町が最寄り駅となる。

ここで降りる人々は、そのほとんどが日本最大のチャイナタウン「横浜中華街」に向かう。日本人と外国人の観光客でごった返す横浜中華街だが、線路を挟んだ向こう側の寿町に足を向ける人はほとんどいない。

寿町に向かうと人の雑踏がすっと消え、エリアに一歩入ると古びた雑居ビルが静かに並び、老いて疲れ果てた人たちの姿がちらほら見えるだけの区域となる。

ここが日本三大ドヤ街のひとつである。

横浜は神戸と共に日本を代表する港町だ。港町は常に荷物を船に出し入れする「荷役労働者」を大量に必要とする。だから、仕事を求めて日本全国から労働者が集まってきたのだが、彼らが寝泊まりする場所が近くに必要だった。

1950年代は桜木町の南側にドヤが密集していたのだが、1957年に職業安定所が寿町に移転するようになると、日雇い労働の斡旋が必要な労働者がみんな寿町に集まるようになってきた。これがドヤ街としての寿町の始まりだった。






2017-11-16

社会底辺の貧困層を統計として捕捉するのが難しい理由とは

日本はホームレスが少ない国であると言われている。国が把握しているホームレスは約5000人から6000人程度しかない。

昔はホームレスすれすれの労働者が大量に集まっていたドヤ街である東京の山谷も、大阪あいりん地区も、同時に寂れてしまっている。

どちらの街も、もはや暴動が起きるほど労働者とホームレスでむせ返っていた時代を想像することすらできない。歩いているのは年金と生活保護費を搾取されている老いた高齢者ばかりなのだ。(山谷。かつてのドヤ街の光景から少子高齢化の未来が見える

もちろん、日雇い労働者が消えたわけでもないし、ホームレスがいなくなったわけではない。要塞のようになっている「あいりん労働公共職業安定所」は、早朝になると大量の労働者が集まってくる。

それが過ぎると、職業安定所の二階では仕事にあぶれた人たちが、それぞれシートを敷いて寝ている姿を見ることができる。

それでも、そこは中高年が多く、無職ホームレスの若者が溢れかえっているわけではない。日雇いで生きる若年層は、こうした環境を嫌って寄りつかない。

統計としてホームレスは減っている。しかし、本当に「路頭に迷っている人」は減ったのか?






2017-10-17

山谷。かつてのドヤ街の光景から少子高齢化の未来が見える

日本は少子高齢化を放置してきたので、地方からどんどん寂れてしまっている。人口は急激に減少して、地方の僻地どころか、地方都市そのものまで人口が消えてマンションや民家に空白が増えている。

地方のこの惨状は、実際に自分の目で見て見ると「本当に日本はこのままで大丈夫なのだろうか?」と背筋に冷たい汗が流れるような恐怖に駆られる。

以前、広島の人口減で消えていく村や、廃墟になりつつある民家の写真を紹介したことがあるが、私は「人が消える」ということに居心地の悪い不安を隠すことができなかった。

これは実際に、誰もいなくなった限界村などを歩けば誰もが同じ不安を持つはずだ。もう一度、この写真を見て欲しい。それは「地方の死」に他ならないのである。(滅びゆく地方の光景。やがてそれは日本の致命傷になる

私は東南アジアの多くの地方都市や何もない郊外を、野良犬のようにほっつき歩いてきたが、東南アジアで同じような不安を感じたのはインドネシア・モロ島くらいだ。(不気味なインドネシア・モロ島と、打ち捨てられた村の女性

しかし今、改めて考えると不気味だと思ったモロ島以上に、日本の地方都市は人が消えて薄気味悪くなってきている。






2017-09-14

高齢貧困社会。認知症、心中、ホームレス、ゴミ屋敷、孤独死

1990年までは、日本人が日本に生まれるというのは、それだけで無条件に幸せなことだったと思われていた。日本は稀に見る経済大国だったし、自他共に認める先進国だ。

退屈な仕事でも、どこかで真面目にきちんと働けば終身雇用が当たり前で生活は安定した。だから、結婚してマイカーを買ってマイホームを持って子供を作って和気藹々と暮らすという普通の生活は普通に実現できた。

しかし、バブル崩壊以後、就職氷河期が始まり、土地神話が吹き飛んで資産も減少、終身雇用を約束してくれていたはずの企業も経営が苦しくなり、2000年以後はそれを約束しなくなっていった。

人を雇うのであれば、いつでもクビにできる非正規雇用を増やすようになり、雇用も不安定化した。格差が拡大し、貧困が広がり、重苦しい不安が社会を覆い尽くすようになった。

そこに、子供が減って高齢者ばかりが増えるという少子高齢化の問題も深刻になっていく。すでに日本は世界でも類を見ない超絶的な高齢化社会に突入している。

それは、ただの高齢化社会になるのではない。日本は社会保障費の増大で国家財政は極度の負債を抱えているので、高齢層の面倒を見れなくなる。






2017-02-21

新宿歌舞伎町の「嬰児生み捨て事件」から社会の底辺を窺う

ここ1年、「ブラックアジア・イン・ジャパン」のために、しばしば新宿歌舞伎町をうろついている。(日本の風俗嬢たちに会い、様々な話や人生をまとめた記事群

2017年2月15日、自動販売機脇に設置されたゴミ箱の中に捨てられたカバンの中から生後間もない男の子の嬰児の遺体が見つかるという事件が起きていた。

それが東京都新宿区歌舞伎町2丁目のホテル街にある駐車場・コインパーキングとあるのだが、具体的な場所を言うと「ホテルG7」と「ホテル・リバティ」向かいにある駐車場に置かれてあったゴミ箱の中である。

ここに手提げカバンと一緒にヘソの緒の付いたままの嬰児を生きたまま捨てていた。

この前日はたまたま私も真夜中に歌舞伎町をうろうろとさまよい歩いていたのだが、夜になると冷え込むこの季節に母親は嬰児に服も着せずにカバンと共に捨てていた。

歌舞伎町は水商売と風俗とラブホテルが林立する場所であり、この歌舞伎町2丁目も、そうしたラブホテルが立ち並ぶ場所の一角である。






2016-12-22

傾城フォト 一覧(ブラックアジア高解像度ストリート写真)

ブラックアジアのために、あちこちでストリートの写真を撮っています。

ブログとは別にこうした高解像度の写真を見せるうまい方法がないか、ずっといろいろ模索していたのですが、なかなかうまい方法が見つからずに今日まで来ました。

一時期、「Frikr」というサービスを考えていたのですが、米ヤフーが買収した上にサービスを放置・停滞させておりますので、最近は「Google Photos」のサービスを使って会員の皆様に見てもらおうと考え、試行錯誤しながらやっております。

将来はまた見せ方を変更するかもしれませんが、しばらくはここで高解像度の写真を見てもらえるようにしたいと思います。

折りに触れて、見せられる写真を増やしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。



 


2016-10-14

大阪のドヤ街「あいりん地区」はどんな光景だったのか?

かつて労働者の街と呼ばれた大阪のドヤ街「釜ヶ崎」は今では「あいりん地区」と呼ばれるようになっているのだが、名前が変わったのと同様に、街の性質もまた変わっている。

この街はもう労働者の街ではなく、福祉の街である。福祉の街というのは、福祉が行き届いた街という意味ではなく、年老いた労働者が生活保護や年金を搾取されながら暮らす街になったということだ。

生活保護を受給するためには、そうした交渉に慣れた人間が一緒にいくと受給しやすくなる。

そのため、あいりん地区ではドヤを経営する人間、介護施設、NGO団体、宗教関係者、政党が労働者を囲い込んで生活保護を受給させるように手配する。

そして、それを搾取する構造ができている。

もらえる福祉の金を搾取する。だから皮肉を込めて「福祉の街」と言われるようになっているのである。

そして、生活保護で生きながらえている高齢者から、さらにパチンコ店、ゲームセンター、中国人が経営するカラオケ居酒屋が金を散財させるように朝から晩まで老いた労働者を呼び込んでいる。そんな街を歩いてみた。



 


2016-10-13

鈴木傾城、あいりん地区で1泊1000円のタコ部屋に沈む

大阪のあいりん地区は、かつては「釜ヶ崎」と呼ばれた場所で、東京の山谷と共に日本を代表する「ドヤ街」である。ドヤ街とは「宿(やど)」を逆さに言った言葉である。

裏社会の人間は、自分たちが「裏側」であるという意識があるので、表側の人間が「やど」と言えば裏側の彼らは「どや」、「おんな」を「なおん」、「がくせい」を「せいがく」と逆に言って隠語にしてしまうのが好きだ。

そんなわけで、あいりん地区は宿街ではなくドヤ街と言われるようになって今に至っている。

私は大阪にしばしば足を向けるようになってから、たまたまあるとき、大阪環状線が事故で動かなくなったので、新今里駅で降りたのだが、そこがまさに「あいりん地区」だった。(大阪。あいりん地区と、飛田新地に寄ったので歩いてみた

あいりん地区は今も簡易宿・寄場と呼ばれる宿が密集しており、多くの労働者を吸収している。

ただ、今のあいりん地区はもう活気を失っており、暴動が多発した荒くれ者が集まって危険な空気を醸し出しているような場所ではない。

労働者は高齢化し、高齢化して生活が困っているところを宿が彼らの年金や生活保護費を搾取しながら成り立つ「福祉の街」となってしまったのだ。

しかし、何にせよ、ドヤ街はドヤ街だ。この中でもまだ「タコ部屋」と呼ばれるたった一畳の狭い部屋も残っているというので、物好きかもしれないが、わざわざ泊まってみた。



 



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