ブラックアジア - 注目のランダム・トピックス
◆治ったはずの性病が治らなくなって、パニックが起きる日 ◆マダム・クロード。高級コールガールを生んだ伝説の女性 ◆メルボルン最高のレディーボーイが調理されたという事件 ◆見知らぬ場所にひとりが日常の職業と彼らを狙う売春女性
◆「帰れ、豚」と怒鳴られてドアを閉められたデリヘル嬢の涙 ◆西村勢津夫。6億円を横領してベトナム愛人と酒と薔薇の日々 ◆美しさは分かるが感覚が少し違うというギャップの面白さ ◆旅の中で現金をどう隠すか(2)インドではここまでする

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2018-01-16

映画『ワナジャ』。最底辺の少女の情熱と社会的な壁と踊り

インドの映画業界の中心はムンバイにある。ムンバイはかつて「ボンベイ」と呼ばれていたのだが、このボンベイと頭文字と映画の都ハリウッドを組み合わせて、インド人はインド映画のことを「ボリウッド」と呼ぶ。

ボリウッドが作る映画は大袈裟で騒々しく嘘臭く、それがどんな大ヒット作であっても、私はそれを観ることがない。まったく観たいとも思わない。

そのため、インドを扱った映画で感銘を受けたり、心に残ったりするのは、そのほとんどが外国人の監督が作った映画か、インド人の監督が外国人向けに作った映画だ。

インドを扱った映画で私が愛するものは、たとえば以下のようなものがある。

『サラーム・ボンベイ!』
『The courtesans of bombay』(翻訳なし)
『シティ・オブ・ジョイ』
『モンスーン・ウェディング』
『未来を写した子どもたち』
『スラムドッグ$ミリオネア』

最近、またひとつ好きな映画ができた。『ワナジャ』と呼ばれる南インドを舞台にした映画だ。

この映画はインドの古典舞踊のひとつ「クチプディ舞踊」を学びたいと夢を持った低カーストの少女と、彼女を取り巻く社会の壁をテーマにしている。シリアスで重いが、とても美しい映画だ。実はこの映画はユーチューブで全編を通して見ることができる。






2017-10-11

ヨコハマメリー。誰でも自分の輝いていた頃は忘れられない

横浜ニューテアトルで、10月に映画『ヨコハマメリー』を再上映するという情報を聞いた。この映画は2006年に制作されたもので、もうずいぶん昔のドキュメンタリー映画となったが、今でも根強く上映されているというのが感慨深い。

『ヨコハマメリー』については、ブラックアジアでもずいぶん昔に取り上げたことがある。(ヨコハマメリー。日本の戦後が生み出した哀しい女性の物語

ヨコハマメリーは実在の女性である。終戦後、アメリカ人に身体を売る女性たちはパンパンと呼ばれていたのだが、「メリー」と名乗っていた彼女もそんなパンパンのひとりだった。

戦後の混乱が消えていくに従って、パンパンもまた消えていくのだが、メリーさんはいつまでもずっと生き方を変えなかった。そして戦後50年近く、白いドレスを着て白塗りの化粧をして、じっと横浜の街に佇んで生きていた。

晩年はすでにホームレスになっていたが、それでも白塗りの顔と白いドレスで街角に立つ彼女の姿は横浜の人たちは誰もが目にしたことがあると言われている。

その姿は鮮烈だ。だから横浜の人たちは、今もまだ『ヨコハマメリー』のことを覚えている。(ヨコハマメリー公式サイト「あなた知ってる?ハマのメリー」






2017-04-21

映画『赤線地帯』に見る、1950年代の日本の裏社会の出来事

日本は1945年に敗戦を迎え、日本に上陸したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)はすぐに公娼廃止指令を出した。

しかし、日本には「遊郭文化」が根付いていたので、そう簡単に売春ビジネスは消えなかった。遊郭は「特殊飲食店(カフェー)」に鞍替えして生き残った。

政治家や官僚も遊郭で政治を語り、男は遊郭で友情を深めるのが当たり前の時代だった。GHQの命令には、日本人の上から下までみんな反対した。

やがて、1956年に売春防止法が制定されたのだが、戦後のどさくさの中で売春ビジネスに追いやられた女たちの多くがこれで途方に暮れた。

この売春防止法が制定される前後の日本は貧困が蔓延していた。貧しい女性のために「売春」という仕事はまだまだ日本に必要だという無意識の総意がそこにあった。

この1946年の公娼廃止指令から1956年の売春防止法までの期間において、売春ビジネスが黙認されていた地域は警察によって地図に赤線で丸が書かれて特別視されていたので、この地区は赤線地帯と呼ばれるようになった。

いったい、この赤線地帯はどんな光景だったのか。






2016-09-06

映画『ボーダーライン』に見るメキシコの麻薬戦争の行方

アメリカで2015年に公開された映画『ボーダーライン』はメキシコの麻薬戦争をテーマにしたものである。監督はドゥニ・ビルヌーブ、主演はエミリー・ブラントで、世界中でヒットしている。

原題は『Sicario(シカリオ)』。

これはスペイン語で言うところの「殺し屋、暗殺者」であると言われている。この原題は映画ではとても重要な意味を持つのだが、ネタばれになるのでここでは詳しくは書かない。

メキシコを舞台にしたアメリカの映画は意外に秀作が多い。この映画以外にもブラックアジアでは3本紹介している。(ドラッグに覆われたメキシコの現状をよく描写した映画3本

大統領候補のドナルド・トランプが「メキシコとアメリカの間に巨大な壁を築く」と言って物議を醸しているのだが、その意味はメキシコから流れて来る不法入国者を排除するという意味の他に、メキシコから大量に流れて来るドラッグを阻止したいという意味もある。

ドラッグは貧困層にとって唯一、先進国の人間たちに売りつけることができる禁断の果実であり、だからこそメキシコからのドラッグ流入は今も止まらない。






2016-03-11

映画『ゼロ・ダーク・サーティー』とオサマ・ビンラディン

イラク戦争の爆弾テロを描いた映画『ハート・ロッカー』を撮った女性監督のキャスリン・ビグロー監督の撮った映画で、『ゼロ・ダーク・サーティー』というものがある。

この映画は、2011年5月2日に殺害されたアルカイダの指導者オサマ・ビンラディンの殺害計画を元にして製作されたサスペンス映画だ。

CIAのひとりの女性が細い糸をたぐり寄せるようにして、何年もビンラディンを追い、2011年5月2日の暗殺に至るもので、ゼロ・ダーク・サーティとは「午前0:30」分のことを指すのだという。

映画自体は非常に精巧に作り込まれていて、観る者を引き込む映画的な魅力に溢れている。追い詰めても追い詰めても、たぐり寄せた糸がプツリと切れる絶望感も印象に残る。

この映画はオサマ・ビンラディンというイスラム過激派の象徴を描いた映画だから全世界で物議を醸していたが、そもそもアメリカでもこの映画については非常に賛否両論があり、オバマ大統領の支持率を上げるためのハリウッド流のプロパガンダではないかとも噂された。

そもそも、殺されたオサマ・ビンラディンは「本物だったのか」と問う人も多い。






2016-03-02

映画『女と男のいる舗道』で1962年の売春の実態が分かる

タイ・バンコクの売春地帯のひとつにはスクンビット通りがあるのだが、このスクンビット通りには「ナナ」と呼ばれる駅や区域がある。

初めてこの「ナナ」という場所が売春地帯になっていると知ったとき、私の脳裏にはエミール・ゾラの小説『ナナ』がすぐに思い浮かんだものだった。

ナナ……。バンコクの売春地帯と、エミール・ゾラの小説が、「ナナ」という呼び名でリンクしている。そんな偶然に不思議な縁と感銘を覚えた。

エミール・ゾラはフランス人だ。だから、「ナナ」という名前は欧米ではフランス女性だけなのかと思った。

ところが、ある時出会った、このナナ地区で売春ビジネスをしていたロシア女性の名前も「ナナ」だった。ますます、私には「ナナ」という言葉と売春が密接にリンクした。(娼婦ナナ。戦争を始めるのは男たち、代償を払うのは女たち

エミール・ゾラの小説『ナナ』は何度も映画化されているが、映画と言えば、このエミール・ゾラとはまったく無関係の映画も女性の主人公の名前が「ナナ」だったこともあった。

それがジャン=リュック・ゴダール監督の1962年の映画『女と男のいる舗道』である。この映画が興味深いのは、1962年当時のフランスの売春ビジネスの光景をしっかりと説明しているからだ。



 


2015-01-29

映画『ブロークダウン・パレス』麻薬の運び屋にされた女性

東南アジアからインド圏は、今でもドラッグが蔓延する地域であり、今でも多くの外国人がドラッグ・ミュール(麻薬の運び人)にされて使い捨てにされている。

もちろん、日本人もドラッグの使用や密売で何人も東南アジアの刑務所に放り込まれている。

最近では森田裕貴という男がインドネシアの獄中で首を吊って自殺したのも記憶に新しい。

森田裕貴の自殺は日本ではまったく報道されていない。こうしたアウトローの事件はほぼ黙殺される。(森田裕貴。ドラッグで禁固19年の刑、獄中で首を吊って自殺

この男の他にも、タイでは2015年10月24日に覚醒剤を所持していた日本人が4人逮捕されている事件もあった。

彼らは暴力団の関係者で、タイ女性を使って日本に覚醒剤を運ばせていたとも言われている。ドラッグ・ミュールの元締めだったのだ。

東南アジアのハブは、事実上タイである。このタイは1970年代から大量のドラッグが流通して、ここから全世界に流れる状況下にあった。






2015-05-31

『めぐり逢わせのお弁当』。インド映画なのに繊細で美しい

映画『めぐり逢わせのお弁当』は、ボリウッド映画特有の豪華絢爛さはない。

荒唐無稽なミュージカルもない。荒唐無稽なストーリーもない。派手なアクションもない。そして、登場人物は絞り込まれ、大袈裟な演技等をすべて排している。

リアルで、落ち着いている。これは、インド人のごく普通の中産階級の日常生活からロマンチックな物語を紡ぎ出した大人の映画である。

あの荒々しく騒々しい社会から、こんなにも純粋で、繊細で、美しい映画が生まれるとは思わなかった。映画として完成されている。

監督はリテーシュ・バトラ。アメリカに留学して、それ以来ずっとアメリカを拠点にしているということなので、この監督の感性はインド寄りではなく、欧米寄りなのかもしれない。

だから、インドを舞台にして生粋のインド人が演じているのだが、欧米の映画のように観ることができる。どちらかと言うと、その感性はフランス映画に似ている。主人公たちの揺れ動く心の機敏がよく表現されている。







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